非認知能力を育てる「放課後児童健全育成事業」こそ、本質的に高付加価値学童です。呼称を変えましょう。

(代表萩原のブログ・オピニオン)学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」萩原和也です。「学童で働いた、こどもをあきらめた」の悲劇が起きないように全力で訴え続けます。

 わたくしがもう何年もずっと考えてきた問題に、いわゆる「高付加価値学童」という呼称があります。所沢の高野さんによると、セレブ学童とかいろいろな呼び名があるとか。大都市部を中心に急増していて、大手企業の参入も相次いでいます。送迎、食事付は当然、学習支援やスポーツ経験、各種アクティビティ(活動)をアピールポイントとしています。放課後や学校休業日の時間に、子どもにいろいろなことを経験させたい、学ばせたいという保護者のニーズを反映していて人気があり、今後さらにその数は増加していきそうです。国など行政の補助金交付対象ではない場合が多いでしょうから、受益者負担のみで運営することになり毎月の保護者負担額は5万円前後、受けるサービスによってはさらに数万円必要ですが、子どものためを思って「投資」を惜しまない世帯の強い支持をうけているようです。

 わたくしが気になるのは「高付加価値」という文言です。新聞記者出身ですから、やはり文言にはこだわります。高い付加価値というのは、比較対象とする存在があってであり、それに比べて「高い付加価値」ということです。比較対象となるのは、従来からある、オーソドックスな学童保育のことでしょう。従来型というのは、基本的に国が出した放課後児童クラブ運営指針に従って育成支援を行っている、放課後児童健全育成事業そのものを指すと理解しています。放課後児童クラブ運営指針をもとにしながら学習支援を行っている学童保育所もありますが、ここでは放課後児童クラブ運営指針に拠っている場合は、従来型と(勝手に)区分します。

 高付加価値というのは、では何を指すのでしょうか。それは従来型ではサービスとして提供しない高度な学習支援や各種アクティビティの有無であり、そのサービスが保護者のニーズに沿っていること、なのでしょう。従来型の学童保育は「家庭の延長」ですから宿題や自習の時間はもちろん確保して構いませんが学習塾のような教育支援は想定していません。このあたり、従来型の学童保育所しかサービスとして展開されていない地域の保護者には、「学童で勉強を教えてくれればいいのに」というニーズには十分、応えられていない現状があります。ですが一方で、そのクラブが立地している自治体の想定する枠内での育成支援事業でしか行うことができないという事情もあります。

 言うなれば、「(子どもの将来を思って)放課後や一日保育のときにしっかりと勉強させたりいろいろな体験をさせたりして、いい学校に入って大人になった時に困らないように」という保護者のニーズに応える形(かつビジネスとして十分、成立すること)であるのが、いわゆる高付加価値学童。「第二の家庭として、のびのびと、集団の中でいろいろな経験をしながら育っていくことが大事」という放課後児童クラブ運営指針に基づいた支援を行っているのが、伝統型学童。この双方を比較すると、現在の、子どもにしっかりといろいろなことを学んでほしいという保護者のニーズを満たすという観点でいえば、高付加価値学童に分があると言えそうです。

 では、従来型学童保育は、「低付加価値」なのですか?といえば、もちろん、そんなことはありません。わたくしは(そして全国の放課後児童支援員さんたちもきっと同じでしょうが)、「子どもの育ちにとって、とても大切な時間と空間を用意している場所」と胸を張って言えるでしょう。

 「非認知能力」という概念があります。ちょうど、岩手県医師会さんのウェブサイトに大変分かりやすい説明が掲載されていましたので、引用します。
(以下、引用)非認知能力とは、読み書き・計算などの数値では測れない能力をさします。大きく分けて、自尊心、自己肯定感、自立心、自制心、自信などの「自分に関する力」。そして、一般的には、社会性と呼ばれる、協調性、共感する力、思いやり、社交性、道徳性などの「人と関わる力」です。(いったんここまで)
 そしてさらに、こう続きます。(再度、引用)非認知能力は、「心の土台」のようなものです。土台がぐらつくと、小学校や中学校で、たくさんの教育を乗せられたときに、支えきれずに自分のものにできません。幼少期に、しっかりとした土台を作っていくことが大事です。(引用おわり。なお、岩手県医師会さんのサイトの非認知能力の解説はとても分かりやすいです。勉強になります。ありがとうございます)

 放課後児童クラブ運営指針に基づいて運営している学童保育所では、この非認知能力を育む日々の育成支援を行っている、はずです。学童っ子は、将来に進学したり就職したりするときにきっと役立つ、その人の土台となる時間を学童保育所でゆっくりと整えながら過ごしているのです。学童保育所で働く支援員は、子どもの非認知能力の育ちを支援しているのです。
 現代の若者(というと、ジジ臭いですが)に多く見られる、「自己肯定感の低さと主体性の無さ」というのは、この非認知能力を十分に育む機会が得られなかったことが要因の一つではないかと、わたくしは考えています。
 学童保育所にいるときに、「やりたいことを、やっていいんだよ。自分たちで決めていいんだよ」の集団の中で、子どもたちが、自己肯定感と主体性を、支援員の支えを受けながら自分自身で育てていく機会を持てること、これこそが、人間の成長において高い価値を持っているのではないでしょうか。自己肯定感や主体性が育たぬまま、各種知識を詰め込んでも、それはその人にとって本当に幸せなことなのかといえば、そうではありません。毎日のように習い事に行かされている低学年のこどもをよく見かけましたが、この子は本当に毎日、楽しいのだろうかと思って心配になったことが多々ありました。(この点、わたくしが前に属していたあげお学童クラブの会は、西川正さんを中心にしっかりと認識して育成支援の方針を策定しました。とても素晴らしいものです)

 だから、従来型の学童保育所こそ、わたくしは、高付加価値であると思うのです。
 と同時に、学童保育所で働く人たちこそ非認知能力への理解があり、自らも非認知能力がある程度育っていなければなりませんし、学童保育運営者は当然ながら、非認知能力と認知能力(財務や労務、法務の知識)の双方において高いレベルを持っていなければなりません。放課後児童支援員の研修には、専門技能を学ぶ時間もさることながら、この非認知能力を磨く研修や講義が絶対に必要です。まして運営者となれば当然です。

 さて当然ながら、ここまでくると、いわゆる高付加価値学童とは、なんだ?ということになります。名は体を表す、ですから、私は今こそ、入り乱れている学童保育所の名称を整理するべきだと考えます。
 従来型の学童保育所は法令で放課後児童健全育成事業と定められています。放課後児童クラブ運営指針に拠って行う健全育成、育成支援が、非認知能力の向上となる、と理解すればいいでしょう。すると、従来型の学童保育は「育成支援型学童保育」(なんだか「屋上屋を架す」になってしまいましたが)でしょうか。この「育成支援型学童保育」は当然、国など行政からの補助金が交付されるべき事業と位置付けられます。たとえ日常の学童保育業務として子どもに対して学習支援を一部行っていたとしても、です。
 都市部にあって基本的に受益者負担で運営し、学習支援や各種アクティビティを提供サービスとして行っている事業は、さしづめ「教育・体験支援型児童育成事業」とか「支援多機能型児童育成事業」(これは「かんたき」から思いついたもの)などと呼ぶことにして、「保育」という文字を外したうえで必ず「高」という文字を使わないようにするべきです。高があるということは比較として「低」があることになり、それが社会や保護者の誤解を招く余地を生むからです。

 育成支援に重きを置いている学童保育は「非認知能力の育み」にとても有益であること。これを明確に言語化して、もっともっと強く社会に訴えていくべきです。誤解なきようにですが、支援多機能型を決して否定はしません。保護者や社会のニーズが実際にあるなら、それに応える事業があって当然です。理想を言えば、放課後や一日を過ごす子どもが過ごす場所が、いくつもあって保護者が選択できるのが一番良いのです。育成支援型、支援多機能型、放課後子供教室型、いろいろな過ごし方を保護者が選択できるようになればいい。それぞれの事業者がそれぞれの立場で利点をアピールすればよいことです。大事なことは、非認知能力はすなわち「人間の土台」(岩手県医師会さんのHP)であって、社会人になったときに実は相当な部分において役立つことは非認知能力なんですよ、だから学童っ子は社会に出ても困らない(実のところ、エビデンスには困りますが)、ということが広く理解されていくこと、です。

 ぜひ、国や学童保育業界が問題提起して議論を興していただきたいと願います。

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