放課後児童クラブでの許されない失敗。私の痛恨の大失敗を語る。失敗を語ることで、次はもっとうまくいく

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。いつも偉そうに語っている私ですが、現実では数々の大失敗を重ねてきました。今なお私が心を痛めているきわめて深刻な過ちも、たくさんあります。子どもと保護者の生活に重大な影響を及ぼした失敗の数々を今でも悔やんでいます。今回はその1つを記します。
 ※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。

 まだ子ども子育て支援新制度が始まる前の2010年代前半のことです。当時の私はまだ新聞社勤務をしながら現役保護者の立場で、非常勤の身分で放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)の運営団体の代表理事を務めていました。代表理事とはいえ非常勤ですから、常に事業に関わってはおらず、日々の実務は本部事務局に任せていました。とはいえ、時には重大な判断をしなければならない状況があります。登記上では代表者ですし、非常勤であっても代表者を引き受ける、担うというのは、どんな状況であれ判断を下さなければならない立場であることは当然だからです。

 ひとり親世帯の小学校低学年が途中入所を申請してきました。その子には循環器系に持病があり、治療を継続しているということでした。本部事務局から「途中入所申請児童について代表の判断をおうかがいしたい」という連絡がありました。非常勤とはいえ、毎週1回は本部に顔を出して経営運営状況の把握と必要な指示を行ってはいましたが、それを待たずに連絡がくるのは、よほどのことです。仕事を切り上げて本部に向かいました。
 資料を見ると、身体に強い衝撃を受けると循環器系に影響を及ぼし、最悪の場合は生命の危険があるという情報でした。転入した小学校でも、当面は、体育の時間は見学するとのこと。ただ、日常の生活を送るだけなら特に問題はない。要は、突然、強い衝撃を受けなければよいのです。
 しかしご存じのように、児童クラブというのは、そんなに広くないスペースに何十人もの子どもが、わちゃわちゃしている空間です。子ども同士の物理的な衝突は日常茶飯事。しかも入所希望のクラブは、残念なことにそれほど広くはなかったのです。そのクラブの正規職員は100人近い正規職員(当時は放課後児童支援員はまだ影も形もなく、指導員と呼んでいた時代でした)の中でも十本の指に入った優秀な職員ですが、本部から入所希望の子どもについて伝えられると、「私は不安です。もしその子に何かあったらと思うと、とても怖いです」と率直に意見を伝えてきていました。

 実際、どのようなときに、どのような危険が起こりうるのだろうか。書類だけでは何とも言えません。当然、本部は電話で保護者と何回か話をしていましたが、私はまだ話をしていませんでした。そこで保護者と面談することにしました。保護者さんは、学童に入れないと仕事ができないこと、生活のために働くには学童が必要であること、子どもは元気に過ごしている、実際はよほど強い衝撃が身体にかからない限り日常生活に問題ない、ということをお話されました。「どうか入所させてください。お願いします」と何度も何度も言われました。私は「状況はよく分かります。お互いに最善の道になるようにわたくしどももしっかり考えます」とお答えして面談を終えました。

 「その子がどのような行動をする子なのか、クラブでどのように過ごせるか、実際はどうだろうか。それを見てみないと判断はできない」と、試験入所として1週間、実際にその子にクラブに来て過ごしてもらいました。その様子を重要な判断資料としようと私は考えたのです。しかし、試験入所を終えて現場職員から提出された報告書には、「その子の行動に付きっ切りになってしまった。元気で明るい子で、それだけにあちこち走り回ってそのたびに職員は肝を冷やした」という内容でした。「現場としては、何かあった時にとても責任は負えません」ということが意見として添えられていました。また、試験入所を終えて保護者からは改めて嘆願書として「どうか入所を認めてください」という手紙が別途、本部に届きました。
 行政にも相談しましたが「受け入れする、しないは、受託者の判断です。どのような判断をする、どのような結果になるとしても受託者の責任で対応してください」というばかり。まして、その子のために特別に人を加配するための予算なんて見込むべきもありませんでした。だいたい、その子は障がいに関する手帳がないので加配要件には該当しないのです。まあ、委託契約上はその通りです。
 試験入所期間中に開催された法人組織の会議では、実のところ「入所は無理」という意見が圧倒的多数でした。役員のほとんどが保護者でしたが、「現場の先生に何かあったら大変だ」という意見ばかりでした。またその当時、障がいや重篤な病気に関する子どもの受け入れについて運営組織としての明確な入所基準は規定として整備されておらず、個別の状況に応じて責任者が判断していました。

 最終的に判断は代表である私が決することになりました。結論は保護者さんに直接お伝えすることとして、改めて保護者さんと面談しました。実のところ、当日朝になるまで私は迷っていました。試験入所では結果として「何もなかった」。それが「その先も何もないと言えるだろうか」ということ、何かあった場合はその子の生命身体の問題になるということ、現場職員に過重にかけることになるストレスのこと、当時の私はそのことばかり考えて、結局のところ、「入所は、見送ってもらおう」という結論を出し、面談で保護者にお伝えしました。確かにその時、私は本心から、その子と、保護者に大変申し訳ない気持ちでいっぱいでした。面談で保護者は「どうしてもだめなんですか?1週間、大丈夫だったじゃないですか」と言っておられました。「それが1か月、数か月先も大丈夫だとお約束できることがどうしてもできないのです」と私は答えたことを記憶しています。「私たち、この先、どうやって暮らせばいいのですか。何か考えてもくれないのですか?」と問い詰められたことも覚えています。「ご親戚とかお知り合いとか、頼りにできる方に相談して」とお話しましたが「そういう人たちがいないから学童に入りたかったんです」と言われて、返す言葉がありませんでした。

 私の完全な敗北でした。代表になってまだ間もない時期だったとはいえ、特別な事情を抱えている子育て世帯が緊急に児童クラブを必要とした場合の対策、対応について、まったく組織的な対応ができる状況でなかったことに気付かなかったこともありますが、何より、必死になって暮らしている子育て世帯、それも特別な事情を抱えて困っている子育て世帯を、「自分たち組織の都合」を「その子の命を守れない=その子を守れないのは、その子にとってあってはならない」という「絶対的に最優先される子どもの事情」に置き換えてしまったことです。私はなるべくその子を受け入れようとしたのか、結論からするとそうではなかった。他の多くの役員と同じように「そんな子は受け入れられないよ」という意見に同調することになってしまったのです。
 今の私なら明確に、その子を受け入れる判断をするでしょう。他の予算を削ってでも職員を増やしてその子を含めた支援体制を再構築する、クラブ在籍の子どもたち全員と話してその子との関りについてみんなで考える、学校ともしっかり連携する、いざというときのために受け入れの医療機関を見つけて意思疎通を密にしておく、当然、職員のストレスに配慮していく。いろいろな方策を行っていくことを決めるでしょう。そして保護者には「できる限りのことをします。受け入れると決めた以上、クラブが安全安心な場所であるために最善を尽くします。安心してご利用してください」とお超えたするでしょう。

 でもあの時はそれができなかった。それが今でも悔やまれます。その後しばらくして、そのご家庭は市外に転出したと聞きました。それを聞いてまた、複雑な思いを抱きました。あれから時はかなり過ぎました。その子はとっくに成人しているでしょう。元気に過ごしているはずと思っています。
 放課後児童クラブの使命である、保護者の生活を支えられなかったこと、子どもに安全安心な居場所を提供できなかったことは、痛恨の極みです。今ならそれははっきり理解できます。当時も忸怩たる思いはあったことは間違いないのですが、クラブ運営組織の経営者として、事業の使命を貫徹できなかったことは、二度と起こしてはならない大失敗でした。
 もし次の機会があるなら、あのような失敗はしてはならないし、失敗はしないと私は強く念じています。誰しもが全員、大喜びになる結論はそうそうありえない。だれかが妥協し、我慢し、受け入れることになる。しかし全体的にみて、「それが一番よかった」という「モア・ベター」な選択をすること、選択ができることが事業にとって大事なことなのです。仕事とは、常に、最善の選択をすることの繰り返しです。

 放課後児童クラブに関わる者、とりわけ事業の経営、運営や、直接の支援、援助に関わる者は、児童クラブを必要とする子どもと保護者の生活、人生に関わっています。児童クラブ側の考え方、判断、行動の1つで、子どもと保護者の生活、人生を左右します。それが良い方向であれ、悪い方向であれ、子どもと保護者に変化を及ぼすことの重大な意味を、重大なこととして受け止めて、物事の判断を決めなければなりません。その判断は常に重いものです。失敗はしてはならない。最善の選択を続けていくこと。でも、常にそれができるとは限らない。失敗は絶対に「しないことは、ない」のです。失敗を次にどう活かすかは、その後の事業において、子どもと保護者の支援、援助に関して極めて重要です。だからこそ、失敗を語ることは大事です。「わたし、失敗しないから」は、現実にありえないからこそ、ドラマで劇的に描くことができるのです。「わたし、成功したことがないから」でも、困ってしまいますけれどね。

 また近いうちに、失敗の取扱い方についてもこのブログで考察していきたいと思います。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の発展を願い、種々の提言を行っています。そして個々の事業者、市区町村における放課後児童クラブの事業運営をサポートします。子育て支援と放課後児童クラブの運営者の方、そして行政の子育て支援と児童クラブ担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営に加わることでの実務的な支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。

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