放課後児童クラブの現場職員を悩ます「学校との連携」は、どのようにすれば作り上げられるのか。

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)で、特にクラブに勤務する職員を困らせることの1つに、学校との連携があります。
 ※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。

<学校との連携における問題>
 放課後児童クラブは全国に1つとして同じようなクラブがないように、児童クラブと小学校との関係も一筋縄ではありません。ものすごく連携が取れており良好な関係を築いている例はいくらでもあるでしょう。クラブと小学校の双方の職員(それはクラブの現場職員と学校のクラス担任レベルの教員)だけでなく、上層部、行政の担当どうしの関係も含んで、情報共有と互いの事業の目指す目標の共有が常に可能な状態にあるクラブと学校の関係が存在しているということです。

 一方で、クラブと学校の関係が良好ではないケースも、実際はそれなりに多いと私は想像します。断絶状態にあるほど関係が悪化していることはそうそうないとはいえ、情報共有ができない、お互いにそれぞれの事業の目標を理解できていない(もしくは理解しようとしない)ので、事業遂行に困るような要求や要望を(お互いに)平然と行う、ということです。または、当然に自らが行わねばならない業務を(個人もしくはその組織の能力や成熟度の問題で)完全に実施できない、あるいは意図的に怠り、その結果として相手方である学校や児童クラブに迷惑をかけるということです。具体的には、こういうことがあるでしょう。

・小学校に登校した児童が体調の悪化を訴えた(もしくはけがをした)のに、小学校は保護者に連絡せず、児童クラブにそのまま登所させる(もっと言えば、体調が悪化したことを学校側が伝える場合もあれば、伝えない場合もある)
・小学校で過ごす間、児童クラブに在籍している児童どうしで深刻なトラブルを起こしたのに、小学校側が児童クラブにその情報、状況を伝えない。(その逆もまた然り)
・小学校、児童クラブの双方とも、独自に、児童に関して虐待などの重大な問題が家庭で発生していることを知りながら、相手に伝えていない。
・児童クラブで、いわゆる問題行動(物品の破損、他児への危害)を繰り返す入所児童について、小学校での様子を知りたい、小学校がその児童に対してどう捉えているか情報を共有したいと児童クラブ側が小学校側に要望しても、「学校では問題ない」として拒否される。(逆のケースはほとんどないでしょう)
 特に、障がいのある児童で特別支援学級に在籍、もしくは通級している児童(当ブログでは「特別支援児」と表記しています)については、小学校でどのような支援や関りが行われているかその情報を児童クラブ側での支援につなげるために情報の共有、ひいていえば支援の方策の共有が必要なところ、その動きがなかなか確立できないことがあります。これは児童クラブの特別支援児担当職員を大いに悩ませるものです。

 もっと細かいレベルでは、こういうことがあります。
・小学校の下校時、児童が「今日は家に帰る(下校班で帰る)ということになっている」と教員に言って、教員はそれをうのみにして下校させてしまう。児童クラブ側は、児童が登所しないので所在確認に追われるはめになる。
・その所在確認も、小学校からの下校においては小学校の管轄だが、「もう校門を出たので、うちの子ではない」と小学校側が所在確認に応じない。
・放課後の時間、校庭を児童クラブ側に使わせない。あるいは、児童クラブ側も「無断で」校庭を使用する。
・小学校での急な時間割やスケジュールの変更について児童クラブ側に連絡がない。給食の時間が変更になったり内容が替わったりすることの連絡がない、等。
・授業参観などについて「児童クラブの職員は保護者ではない」との理由で小学校側は児童クラブ側の参観や見学を許可しない。
(これらのことは、筆者である私が実際に見聞きしたり直面したことです)

 児童クラブ側、特に現場職員には「小学校も児童クラブも、同じ子どもをみているのに!児童クラブの子どもは、小学校の子どもじゃないか!」と歯ぎしりをして悔しがることが多いのですが、それは感情としては分かりますが小学校も児童クラブも「事業」です。組織が行っている事業です。組織で行う事業というものは、感情よりもルールや取り決め、仕組みで動くものです(感情は、動いた後の内容の充実度に影響します)。相手は社会人であり、それぞれ役割があり、立場があります。行えることの権限がありそれを超えた行動はできません。それが組織に属する社会人の行動原理です。
 そのことを理解しないで感情だけで判断し、相手の見方を決めていることが多いとしたら、大変に残念です。(同じように、教員側にも、児童クラブの役割や意義を理解しないで、単に預かる場として理解することから派生する、放課後児童支援員の専門性を軽視する、無視して軽んじる態度に出ることがあるのも、私は残念です)

<結果として起こること>
 もちろんですが、(互いに、もしくは一方的に)感情を悪化させる状況がさらに悪化するだけであり、それは互いに連携が必要な局面(それは極めて多いはず)において効果的な事業を実施することを不可能とさせます。
 児童間のトラブルが小学校で継続的に起こっている、その状況が児童クラブにおいても引き続き、さらに悪化してしまうことがあります。どうしてそのような問題が起こったのか、何が原因だったのかをつかめずに、児童クラブの職員は解決に取り組めるはずがありません。つまりそれが効果的な事業実施を阻むこと、ということです。
 これが児童虐待の局面であればさらに深刻となります。また、児童の深刻な精神的、心理的な状態(自傷行為、拒食症等)について小学校ですでに取り組んでいることがありながら児童クラブ側にはその対応について知らされず、児童クラブ側も独自に対応しようとして、結果的に児童や家庭に二重の負担をかけるということも、ありえます。

 そこまで深刻でなくても、例えば放課後、児童クラブの子どもが学校の備品、施設を壊してしまったことに児童クラブ側が把握してもその連絡を学校側にするのが遅れた、という「ちょっと困るなあ」ということがたびたび繰り返された結果、「向こうは信頼できない」となってしまったら、児童クラブ側にしてみれば困ることがたくさん起こってしまいます。そのような不信感が根底にある関係になると、時間割の変更にしても子どものトラブルにしても、なかなか、「信頼できない相手」に伝えようとする考えに至らない、連絡があったとしても時間的に余裕のないギリギリの状況で連絡がなされるというようにも、なりがちです。つまり、事業運営に影響を及ぼす状況になってしまうということです。

 私はよく耳にしましたが、児童クラブ側には「学校は本当にいい加減。全然、連絡してこない」とたくさんの不満があります。一方で学校側も「クラブ側はいつも突然、あれはどうした?これはどうなった?と聞いてくるが、ちゃんとルートを通してアクションしてほしい。何でもいつでも学校に聞けばいいと思っている。聞いていいと思っている。ルールも礼儀も知らない」と不満や厳しい意見を募らせていることが、珍しくないのです。

<2つの局面で断固たる姿勢が必要>
 小学校と児童クラブ側の関係をどうやって改善するか。あるいはもっと濃密な、互いに信頼しあって常に協調できるようにするには、何をすればいいかを考えます。
 問題は2つの局面にあります。それは「組織的な関係」と「個人的な関係(ヒューマンファクター)」があって、それが個別に、又はからみあって、関係が良くなったりも悪くなったりもします。

 私はよく感じるのですが、とりわけ「組織的な関係」について児童クラブ側の認識が薄い、もっといえば「甘い」と考えます。それは、学校は極めて官僚的な組織であって、誰かが何を決めたり意見を発したりするにも組織的な行動が必要だ、という理解が児童クラブ側(現場職員も、運営に当たる幹部や役員も)に薄い、はっきり言えば、組織は原理原則を踏まえて働きかけないと動かない、ということに関する知識がない、ということです。例えば、「あの子の家庭ではこのようなことが起こっているようですが、学校は把握していますか?」と、クラブ職員が突然、学校の担任教員に質問したとしても、重大な個人情報であることを「ええ、それは知っていますよ」などと答えられるはずがありません。(これは逆に、児童クラブ側の情報管理の仕組みと認識が適切であるかどうかの問題と表裏一体です)

 組織的な関係を良好にするためには、学校と児童クラブ側の双方の「上層部」つまり管理職、組織の責任者がしっかりと対応する関係を構築することが大前提です。それは結局、行政機構の内部の連携の問題でもあります。児童クラブの管轄が教育委員会の場合は、教育委員会内部の連絡調整の問題、児童クラブの管轄が首長部局であれば、例えば福祉部局と教育委員会の連絡調整の問題です。行政機構内で、児童クラブ、小学校、双方で起きた問題や通常の状態の情報であっても、どのように共有し、協議し、対応するかという「仕組み」が備わっていなければ、児童に関する問題が重要であればあるほど、双方の連携はうまくいきません。虐待や問題行動について、学校と児童クラブ側でスクラムを組んで立ち向かうことは、極めて困難です。
 組織的な関係を良好にするために必要なことは、その組織において、連携や情報共有がルールとして「しなければならない」仕組みを構築することです。それは条例や要綱である必要はなく内規でも構わないのですが、例えば定期的に双方が情報共有や将来の方向性をすり合わせるための会議を開催すること、という決まりを作ることです。児童クラブの担当が教委の生涯学習課であれば、生涯学習課と学校教務課、学校保健課が児童クラブ在籍児童について定期的に協議、確認する仕組みを作ることです。
 当然、児童クラブの運営責任者が、それを行政に強く要望することが大事です。できれば行政機構内の児童クラブに関する情報共有等の会議に、児童クラブの運営責任者が同席できるような仕組みが常置するよう、児童クラブ側が強力に要望することが大事です。
 この点、株式会社による児童クラブ運営では、なかなかクラブ運営側の企業の動きが鈍い、あるいは何らかの理由で行わないということが往々にして予想されます。しかし、それはクラブ運営側の内部の事情であり内部の問題です。現場の職員にしてみれば「いくら上(管理職)に言っても動いてくれない」と文句があるでしょうが、残念ながら世間の視点では、「それはそっちの問題。そちらが望むことをするにはまずはそっちが態勢を整えてからにしてくれ」と一蹴されておしまいです。クラブの施設長、主任が、さらにその上長、例えばエリアマネジャー、地域本部長、事務所所長を動かせねば、行政機構なんてもっと大きな、かつ、頭の固い組織は動かせません。

 個人的な関係については、これがうまくいけば全て上手くいく、というものではないことを特に児童クラブ側は理解しましょう。学校はあくまで巨大な官僚機構です。学校の教員が情報を教えてくれたとしても、それは単に個人の善意であることが往々にしてあります。それは個人プレーなのか、あるいは学校側が実は協議して児童クラブに伝えてもいいとして伝えられた情報なのかは、しっかりと確認しましょう。教えてくれた教員本人に確認すれば済むことです。
 つまり、個人的な関係に基づく協調関係は、足元が実にぜい弱であるのですが、その反面、この世界はおしなべてそうですが、「担当者個人の感情で物事が進むか進まないかが左右される」ということもまた、現実です。組織的に「これからは児童クラブと積極的に連携するように」と学校側が決めたとしても、現場レベルで「児童クラブはいつも勝手で困る」と反感を持っている教員がいたとしたら、情報の共有は思うように進みません。つまりサボタージュ(手抜き)が横行するのです。
 これを防ぐためには、児童クラブ側としてはたった1つのこと、それは「(ルール、礼儀を守った上で)子どもや保護者に関して必要と思われる情報や出来事を伝え続けること。それは、子どもと保護者の利益を守りたいとして、必要な情報を伝え続けること」です。それは誠意であり、真摯な態度です。その姿勢を理解してくれる教員は、必ずいると信じて行うことです。例えそれが冷たくあしらわれても、ずっと続けることです。
 もちろん、それは「おもねる」こととは違います。小学校を出て児童クラブに登所するはずの子どもが登所してこない場合、児童の安全確認はまず小学校側が担います。その点は厳然と小学校に指摘しつつ、「もちろん所在確認についてはクラブ側も協力します」と歩み寄る姿勢を見せることです。(俗な言葉でいえば、「恩を着せる」ことを繰り返し続ける、ということです。事業、ビジネスには大事なことです。「損して得取れ」といいますが、まさにこのようなことです)

 このような態度の積み重ねは、信頼を醸成するものだと私は信じていますし、そう信じて行ってきたことで、多くの小学校と現場クラブの関係を改善してきました。

<異常な緊急事態は個人の突破力がモノを言う>
 以上は主に平常時や、事態解消に数日かかるようなやや時間がかかる問題を扱うときに必要な関係性についてです。時には、「今すぐに決断しなければならない」異常な緊急事態が起こり得ます。児童虐待が行われて重大な結果となっていることを確認した、あるいは不審者が侵入して児童や職員に危害が加えられようとした、という事態です。
 そのようなときは、児童クラブ側も緊急に組織の枠を超えて行動しなければならない事態になります。クラブの責任者が、「よし、任せておけ」として事態の打開、問題解決に取り組むべきです。それはクラブ運営者側の覚悟にもなります。普段は取り決めらている連絡ルートを無視しても、例えばいきなり校長や教委の責任者に連絡するなどのことも行う場合があるかもしれません。それはクラブの運営責任者が責任をもって取り組むべきです。
 また、重大な事態が現場職員の目の前で発生、もしくは展開することもありえます。その際は児童クラブ職員も、「私は責任者ではないので」なんて言っていられません。正規職員として最善の選択をする際に、それが例えば通常の取り決めと違うことを執り行うことになったとしても、それはちゅうちょしてはならないのです。もちろんそのことによる「後始末」は、クラブの運営責任者と一緒に取り組むことになります。

 このような個人の突破力は、のちのち「あの人がいたから、より深刻にならなかった」という安心感、信頼感につながります。もちろんあくまで異常な事態に限られます。普段から、ルールや取り決めを無視した行動をしていたら逆効果です。

 なんだかんだで、ヒューマンファクター、つまり「あの人がいるから任せよう」というのが、組織と組織の対応が必要だとされる官僚機構においても実は連携した結果の充実度を左右する重大な要素です。(その逆が「あの人がいる限り、協力は必要最低限にしておこう」という状況)。組織間で連携、協調する仕組みが設けられてそれが稼働しているとして、そのことで実現できることが10であったとしたら、好意的なヒューマンファクターが存在するとその10が20になったり50になったりする。その逆に、10が8になったり、5になったりもする。それがこの世の現実であることも受け止めなければなりません。その状況の解決には最終的には「人が替わる」ことを待つしかないことも、ままあります。

※可能であれば、地域の小学校で定年退職をした、教頭や校長クラスの方(教頭校長にはなっていなくても、ベテランの方を含む)を児童クラブ側で迎え入れることは、それなりに有効です。その方が勤務していたクラブに配属された場合はもとより、そうでなくても、例えば運営本部に配属となって各クラブを巡回する役職であっても、いざ、何かあったときに学校側と連絡調整を行う任務を担ってもらうことは、効果的な場合があります。ただしこの方式には弱点があります。それは、退職された元教員が「学校側の世界でどのように評価されていたか」によります。教員の世界には、強烈な「ムラ意識」が往々にしてあります。分かりやすいのは、教委寄りの立場であるかどうか。もっとも、「どっち側」に属するか否かの前に、その元教員の「人間性」が良ければ慕っている教職員は当然多いので、何かと「調整がうまくいく」ということはあります。同一地域で複数のクラブを運営している場合は、検討しても良い手法です。

<まとめ>
 学校と児童クラブの関係は、当然、良好かつ濃密でなければなりません。それが子ども、保護者のためであり、お互いの事業がうまく実施できるからです。しかし、昨今は、学校側には「働き方改革」があって教員の勤務時間も厳正に管理され、かつ、「授業をする」以外のことは「業務外」として敬遠される傾向が急加速しています。
 これらは「子どものためならどこへでも」という意識が(特に非営利法人系に)濃厚な児童クラブ側の意識とは年々、ずれが広がっていると私は感じます。
 このような、学校と児童クラブ側の連携が難しい時代(それは、国がいくら小学校の余裕教室を児童クラブに転用しなさいと、上の上からはっぱをかけても現場はなかなかそれに従わないことが証明していると私は考えていますが)に、現場のクラブ職員は頭を抱えることが増える時代です。そんなクラブ職員を助けるのは、私はクラブの運営責任者の行動であると考えます。学校との連携が是が非でも必要なんだ!と、行政に訴えて連携協調の形を作る、仕組みを作るまで、クラブの運営責任者が汗をかかねばなりません。
 その汗をかかない者がクラブ運営を手掛けることは不幸です。そのような者がクラブ運営責任者であるなら、一刻も早く追い出すなり辞めてもらうべきですね。そのくらい、学校と児童クラブの連携は重要であり、クラブ側に覚悟が求められるのです。このことは保育所やこども園との関係にも共通します。近いうちに保育所等との関係構築についても考えてみましょう。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。

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