放課後児童クラブの常識を疑ってみる。「親が休みの日に子どもはクラブ・学童を休むことは当たり前」なのか?

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。いつの時代もどの世界も、衰退し滅亡するのは変化と確信を拒んだものであり、進歩や発展をもたらすものは既成概念の打破に成功したものです。常識を「従って当然」という態度のみで関わることは進歩や発展の機会を逃すことになりかねません。放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)においても同じことだと私は考えます。
 ※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。

<「保護者が在宅の時は、児童クラブ利用はお控えください」という常識>
 放課後児童クラブを利用する子どもは、保護者の仕事が休みで保護者が在宅しているときはクラブを休んでください、というのは児童クラブの世界では当たり前の考え方です。児童クラブについて市区町村が用意する説明には、ほぼすべての場合において、保護者が在宅の時はクラブの利用は控えて親子で過ごしてくださいとか、クラブ利用は控えてくださいという趣旨の文言が記されています。中には「保護者が在宅の時はクラブの利用はできません」と禁止としている自治体もあります。
 現実的に、多くの市区町村にて、児童クラブは入所希望児童が多く、常に満員状態。定員いっぱいです。職員数も人手不足で充実どころか欠員があるクラブも珍しくない。そんな状況では、当初する子どもの人数を1人でも減らしたいと思うのは、分かりやすい理由です。同じように、現場で働く職員にとっても、登所する子どもの人数が少なくなればその分、登所している子どもへの関りの機会が増えるわけですから好ましい。この点、行政とクラブ職員の利害が一致するといえるでしょう。
 (さらにいえば、登録児童数を算出する際、在籍児童数が多い場合に利用日数を厳格に判定することで登録児童数を抑えることができ、補助金の減額を抑えることもできます)

 そもそも、児童クラブの存在を規定している児童福祉法そのものが、「この法律で、放課後児童健全育成事業とは、小学校に就学している児童であつて、その保護者が労働等により昼間家庭にいないものに、授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図る事業をいう。」(第6条の三第2項②)と定められており、「保護者が昼間家庭にいないものに」と、保護者の留守の状態において行われる事業が、放課後児童健全育成として位置づけられています。

 法律でそうなっているのだから、「保護者が、仕事が休みなどで在宅の時は、子どもはクラブを利用せずに帰宅することに、何ら疑問をさしはさむ余地はない。法の趣旨がそうすることを勧めている以上、むしろ当然である」として、「はい、その疑問はこれで片付いた」としてよいのでしょうか。私は、そこに異を唱えます。なぜなら、「保護者が留守の時にだけに行う児童クラブでの子どもの支援は、結局、親が不在の時に子どもを預かって支援を施すだけであり、それはつまり児童クラブは「託児所」の延長線上にある、ということになると私は考えているからです。

 児童クラブは子どもの預かり場ではないと考えるのは、「児童クラブは、こどもの健全育成を行う場であること」と、「保護者の子育て支援には、保護者が安らげる時間の確保も必要であること」の2点を、私は重要視しているからです。

<これから児童クラブが重要視していくべきこと:その1>
 児童クラブの役割はなんでしょう。放課後児童クラブが法制化されるはるか以前から、いわゆる学童保育に従事していた「学童指導員」たちが日々、子どもたちと関わって実践を積み重ねてきた「子どもの育ちを支える役割(=健全育成の支援)」、すなわち児童クラブにおける専門性として確立しつつある「育成支援」を、子どもに対して行うことです。つまり、育成支援を行うことが現在の児童クラブの存在意義になっています。それはすなわち「学童は単なる子どもの預かり場、託児所ではない」ということを必死に訴えてきたこれまでの学童の目指すべき終着点でもあるはずです。
 私は、その存在意義である「育成支援」を、子どもに継続的に実施することで保護者の子育てを支援するべきだと、考えています。

 「親が留守だから、子どもを預かり、その上で、親の代わりになって子どもを育てる」という、法が定めている事業の趣旨をさらに充実発展させるのです。「保護者が在宅であっても、子どもはクラブに登所し、クラブにて放課後児童支援員等から健全育成の支援を受けつつ、子どもは主体性を育み、他者との交わりを積み重ねて豊かな人間性を自分の力で育てていく」という機会を保障したい、ということです。
 むろん、児童クラブの支援員、職員は保護者ではありません。子どもの育ちに最終的に責任を負う立場ではありません。しかし、支援員ら児童クラブの職員は「まっとうな事業者のもとで働く者」であれば、育成支援について研鑽をかさねて子どもの育ちを支える専門職として働いている者です。それら専門職が、児童クラブに登所している子どもたちに子どもの主体性を育み社会性を育てていく育成支援を実施して子どもの健全な育ちを支えることは、子どもの利益になるのはもちろん、保護者にも、そして社会の利益になると、私は考えます。

 現実的に考えねばならないのは、保護者の子育てに関する意識です。なかなか子育てがしにくい時代にあると言われますが、保護者自身が、あえて言えば、子育てについて苦慮したりあるいはおおざっぱに関わる事例が決して少なくないと私は感じています。それまでの生活環境、育成環境において他者と関わる機会をあまり持てないまま親になった保護者が子育てに行き詰まりを感じたり限界を感じたりして子育てに向き合う意欲をあまりもてないという、いわば子育てに対して本気になれない保護者がいます。子育てに精神的なストレスを抱え、圧迫感を抱え、なかなか子育てがうまくいかない状況にお困れている保護者もいます。
 そのような保護者に対して、クラブ支援員は子育ての援助をしつつ、子どもにも適切な育成支援を行っていく。それこそが、これからの時代の、児童クラブの新たな事業の中心となるべきだと、私は考えるのです。
 「親が仕事などで留守、不在の時だけ児童クラブで子どもを受け入れて(預かって)、子どもが登所する場合に限って育成支援を行う」から、「親の留守、不在に関わらず児童クラブで子どもを受け入れて、継続的に育成支援を行う」という、子どもに対して育成支援を連続して行うことを、児童クラブの本来の存在意義になるように進化発展するべきだと、私は考えているのです。

<これから児童クラブが重要視していくべきこと:その2>
 育成支援を重要視する放課後児童クラブが、その実務において道しるべとしている「放課後児童クラブ運営指針」には、児童クラブは保護者の子育てを支える役割があることが記されています。
「学校や地域の様々な社会資源との連携を図りながら、保護者と連携して育成支援を行うとともに、その家庭の子育てを支援する役割を担う」(第1章2の(3))
「子ども自身への支援と同時に、学校等の関係機関と連携することにより、子どもの生活の基盤である家庭での養育を支援することも必要である」(第1章3の(2))

 もちろん児童クラブは、保護者の子育てを支援する存在です。保護者に「とってかわって」子育てをするものではありません。しかし、仕事や諸々の用事に追われている保護者には、「ほっとひといき」つける時間が必要です。介護の世界でいうところの「レスパイトケア」(介護するものを休息、休ませるためのサービス)が、今の子育ての世界にも必要だと、私は考えます。児童クラブに子どもが通う時間を、保護者の休息(レスパイト)に使っても、私はなんら問題がないどころか、全体的に見て、保護者が心機一転、リフレッシュして新たに子育てに関わっていく活力を補充させる、良い機会になると私は考えているのです。
 児童クラブの職員は、まっとうに職務をこなしているなら、しっかり保護者と連携しているはずです。保護者がいつ休みなのか、そのぐらいは当然知っているはずです。日々の子育ての様子も知っているはずです。「お母さん、最近疲れがたまっているみたい」ということであれば、「こんどお仕事が休みでも、子どもをクラブに通わせてみたら?その間、横になるなり、どこかでお茶するなり図書館に行くなりしてリフレッシュしてきたら?」と、声をかけることが許される児童クラブであってほしいのです。ほんのわずかな間でも、小休止を得た保護者がまた元気を取り戻して子育てに関わっていく。児童クラブは、子育てに寄り添い、保護者を支える存在であってほしいし、あるべきだと私は考えますし、実は容易にその役割を果たせるのです。
 「保護者が休みの日はクラブを利用しないでください」という常識さえ打ち破れば。

 (ここまで書いておいてあえて付け加えますが、学童の世界は「ゼロか百」、あり又はなしと、極端な見方をする癖や思考が根付いています。保護者が仕事の休みの日に子どもをクラブに通わせたっていいじゃないか、保護者が子育てを休息したっていいじゃないかと私が主張すると、学童の世界から「親の責任の放棄だ!」という反論がわんさか上がってくるのが想像できます。つまり「保護者が休みの日すべてにおいて子どもをクラブに通わせる」や「保護者は常に休息して子どもはクラブに任せっぱなし」という思考を基に意見を組み立てるのです。私は「休みの日ぜんぶ」とか「常に休息して」という趣旨ではもちろんありません。毎週火曜日と木曜日が仕事が休みになったとしたら、ある週は火曜日と木曜日をクラブに通わせた、ある週は火曜日だけ利用した、またある週は火曜日と木曜日の両方を帰宅させてクラブを休んだ、と柔軟な状況を考えています。そのあたりは、保護者とクラブとで相談して決めていってもいい。そうやって保護者と相談することも、児童クラブ側の子育て支援の範ちゅうであると考えるからです。とにかく、極端な思考がはびこる、特に昔ながらの業界には困ったものです)

<現場職員の意識改革が必要>
 児童クラブは親が仕事の休みの日は休むべし、という常識は、育成支援を子どもに行う機会を確保すること、保護者の子育てに寄り添うこと、この2点から打ち破られていいのでは、というのが私の考えです。
 しかし現状はもちろんそのようになっていないですし、むしろ「仕事が休みなのに子どもがクラブに来ちゃうよ」と苦虫をかみつぶしたような表情をするクラブ職員が実に多いのです。私は本当に残念です。あなたたち、子どもの育ちの支えを行う専門家なのに、子どもと関わる機会が減ることがうれしいの?と思うのです。

 確かにクラブ側に同情するべき点があります。例えば「大規模」、これは深刻で、登所する子どもの人数が1人でも少なくなれば良いと思うのは当然です。子どもと関われる機会がふえるからです。親が在宅ならクラブを休んでくれ、と思う気持ちは無理もありません。次いで「問題行動」、実のところクラブで暴れて備品や施設を壊す、他児に乱暴をはたらくような子どもは、親が休みだろうが何だろうが関係なく登所する日が多いことは、珍しくありません。それこそ、「親が休みなんだからあんたも休んでくれ」と心の中で毒づく職員はいるでしょう。
 しかしこれは、その解決はもちろん目指していかねばならないことですが、「育成支援の継続的な実施」「保護者の小休止」とは切り離して考えてほしい。連動させて「大規模だから継続的な育成支援の実施はしない」と結論づけてほしくないのです。大規模はその状態の解消を行政が早急に取り組むべきですし、それが実現するまでは職員数を増やして職員1人あたりの業務量を軽減するべきです。問題行動のこどもにも対応できる余裕のある職員体制を実現するべきです。それらは別途、当然、解消されるべき問題です。
 その上で、育成支援と子育て支援のプロフェッショナルとして、より、社会から感謝され必要とされるような職種として広く認知されるように、奮闘を続けてほしいと願うのです。

<おわりに>
 常識は常識故に変えること、打ち破ることは難しい。まして法に基づく観念が根底にある常識であればなおのこと。しかし、今の子育て環境を考えると、あまりにも「余裕」がなさすぎると私は感じています。立派な子育てを求められ、完璧な子育てを求められ、いい親であれ、いい子に育てられる親であれ、と。子育てにまつわる重すぎる閉そく感は、この国の子育てをますます袋小路に追い込んでいる気がして、私は残念です。
 まずは、児童クラブで子どもが安全安心な環境のもと、育成支援のプロフェッショナルが支援することで育っていくことこそ、最も価値のあることだという認識をこの社会において確立することが重要です。本来、児童クラブの設置責任があるはずの行政がしっかり認識することが必要です。
 そのためにも児童福祉法において、育成支援を重視した「こどもの居場所」として児童クラブが再定義されることが必要です。そして同時に、現場での実践においても、保護者の子育てをどう支えるかの観点において、児童クラブにおける子どもの育ちの支援を充実させることで保護者の子育てをも充実させるという目的を、児童クラブの存在意義として確立してほしい。放課後児童クラブの常識を打ち破って、新たな児童クラブの存在意義を確立してほしいと私は願っています。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の発展を願い、種々の提言を行っています。そして個々の事業者、市区町村における放課後児童クラブの事業運営をサポートします。子育て支援と放課後児童クラブの運営者の方、そして行政の子育て支援と児童クラブ担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営に加わることでの実務的な支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。

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