「預かり」を捨て「遊び」を訴えよう。「学童」の位置づけ、今こそ再確認するべきです

(代表萩原のブログ・オピニオン)学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」萩原和也です。「学童で働いた、こどもをあきらめた」の悲劇が起きないように全力で訴え続けます。

 いま、日本において、「学童」と呼ばれている事業は、大きく分けて2つあります。ひとつは、児童福祉法で定義された「放課後児童健全育成事業」そのものであり、放課後児童クラブ運営指針に基づいた育成支援を行っています。わたしはそれを「育成支援型学童保育」と独自に呼称するようにしました。
 もうひとつは、受け入れた子どもに英語教育や各種学習、各種体験を実施しているもので、わたくしはそれを「支援多機能型児童育成事業」と独自に呼称するようにしました。いわゆる通称「高付加価値学童」と呼ばれているものです。

 この2つの事業は、実施する目的や内容がおよそ異なっていますが、社会全般には、「学童」という言葉で、ひとくくりにされて扱われているようにわたくしには思えます。それは、大変分かりやすい外形的な特徴である「子どもを受け入れる(預かる)施設」であるということが、大きな理由だと考えています。さらには、支援多機能型の事業でも「学童(保育)」という文言を積極的に使用していることもあります。メディアが双方を区別することなく社会に発信していることも影響しているでしょう。
 もちろんそれは何ら問題のあることではありません。そもそも「学童(保育)」という文言が、放課後児童健全育成事業のように法的に定められたものではないので、極論を言えば、どんな事業を行っても事業者が「うちは、学童(保育)」と名乗ることに、まったく問題はありません。

 都市部を中心に、支援多機能型の「学童」が順調にその市場を拡大しています。近く、このジャンルでビジネスを展開する事業者様の業界団体も設立される運びのようです。子どもを受け入れる施設が整っていくことは、子育て世帯にとって大変心強いことです。団体を設立してその中で各種のルールも整っていくことにもなれば、業界の更なる健全な発展も期待できます。何より、保護者のニーズに機敏に反応できるのが、企業主体の「学童」の利点です。

 一方、絶対的多数の存在であるのが、育成支援型学童保育です。法令に基づいていることから国など行政からの補助金交付対象にもなり、補助金と受益者負担で運営費用を半分ずつ負担する、ということになっています。ただ、こちらのジャンルは、その設置主体(地方自治体)の考え方や理解度によって、また運営事業者の方針によって、その施設で働いている人(放課後児童支援員、補助員)への給与待遇は、およそ千差万別です。大まかにいうと、公設公営の学童保育所や任意団体運営の学童保育所、営利企業運営の学童保育所にて働いている人たちは、週の所定労働時間が短い(午後からの5時間程度)こともあって、その収入は相当、低い水準にとどまっている場合が多いでしょう。これがすなわち、「学童で働いた、子どもをあきらめた」の悲劇を招く原因になっています。公設公営の場合は会計年度任用職員という扱いがほとんどなので収入が低く抑えられてしまいます。また、任意団体運営の場合は財政力で、営利企業運営の場合は本社の収益を確保するため、それぞれ人件費が抑制されている状況があります。
 このように、育成支援型学童保育は、ごく一部の恵まれた運営組織で働いている人以外は、おしなべて、生活の不安定さが常に付きまとう職業となってしまっています。

 この状態を解消するには、育成支援型学童保育に従事する人たちはすぐれた専門職であり、子どもたちの非認知能力の育成に重要な役割を果たしているという理解をこの社会全体が持つことが絶対に欠かせません。人件費を含む学童保育所運営において、行政からの補助金が5割を占める状態では、そこで働く人の賃金はおおむね補助金の額によって決まってしまいます。また、受益者負担を増やそうにも、世帯の所得が増えない上に物価だけで家計が苦しくなっている現状では、そうそう増やすことも難しい。では補助金を増やしていただきたい、ということになりますが、それには「育成支援型学童保育所で働く人は、すぐれた専門職だから、これこれこのぐらいの年収があって当然」という社会的なコンセンサスがないと、補助金もなかなか増えていかないでしょう。働いている人の職務内容に対する尊敬なくして、収入を増やすことへの理解は生まれず、そうなれば補助金も増やすことはできないでしょう。受益者負担(保護者負担金)の増額をお願いすることも難しいでしょう。実際に、「子どもを預かって様子を見ているだけで、なんで年収300万円以上もあるわけですか?」と、育成支援に従事する人たちの職務内容をよく理解されていない方たちからの声は、現実として存在しています。

 やはり問題なのは、「子どもを預かる」というカタチがもたらす影響です。支援多機能型「学童」と育成支援型学童保育がごっちゃになってしまうのも、育成支援型学童保育に従事する専門職の評価が低いのも、「子どもを預かっている」というカタチから連想されるひとつの結果だと、わたくしは考えます。そしてそれは、育成支援型学童保育が何より大事にする「遊び」の重要性がこの社会に浸透していないからだとも、考えます。
 放課後児童クラブ運営指針の第2章4「児童期の遊びと発達」においては、遊びが子どもの成長にどれだけ重要なのかが分かりやすく記載されています。「遊びは、自発的、自主的に行われるものであり、子どもにとって認識や感情、主体性等の諸能力が統合化される他に代えがたい不可欠な活動である」と、非認知能力の育成にどれだけ重要な役割を果たしているのかが説明されています。
 この「遊び」に対する社会の理解も決定的に欠けているからこそ、育成支援型学童保育で働く人への理解が足りず「子どもと遊んでお金がもらえるなんていいよね」という心無い言葉になってしまったり、「遊びより学習が大事。英語、計算、漢字、プログラミング、それを子どもに学ばせたほうがよっぽど有益」という保護者の理解を招く結果となってしまいます。大人でもありますよね、「時間が余ったから遊ぶか」という考え方。大人はそれでいいのですが、成長発達期にある子どもにとって、遊びは時間つぶしのためにあるものではありません。遊びは学習の時間を削る有害なことでもありません。

 わたくしは今こそ、育成支援型学童保育の世界の方々にお願いしたいのです。まず、「預かる」という言葉から捨てること。言葉はどうしても概念を招きます。育成支援に関係する人たちから「預かる」というコトバを捨てて、「子どもの生活、人生を背負っている」という意識で日々の支援や組織運営を行ってほしいこと。
 そして、「遊び」の重要性をさらに社会に強く訴えていくべきということ。これらのことが十分になされていくことが、育成支援型学童保育の更なる充実と社会的評価の向上に直結し、当然それは、そこで働く人の雇用労働条件の改善につながるのです。「子どもを預かる午後だけの勤務で十分」という、育成支援を実施するには到底不十分な考え方も是正されていくでしょう。

 また、支援多機能型「学童」の世界で子どもを受け入れる企業や団体には、「保護者のニーズを受け入れるビジネスを展開しつつも、子どもの成長と発達についても十分配慮した時間の過ごし方を取り入れていっていただきたい」と強く願います。
 育成支援型、支援多機能型、この双方の世界とも基盤となるべきは、「児童の権利に関する条約」で強くうたわれている「子どもの最善の利益の保障」です。「預かる」という言葉で育成支援型と支援多機能型が混同されて社会に理解されてしまうのではなく、「子どもの最善の利益を保障している」という考え方で双方が共通して互いに連携しあっていくことが、日本における子どもの成長を支え、同時に子育て家庭の支援につながることに必要だと、わたくしは思います。

 ぜひ、業界団体および国と地方自治体の「学童(保育)」担当者には、今すぐにでも必要な行動を起こしていただきたい。わたくしからの意見とさせていただきます。