隣の空は灰色なのに!

(代表萩原のブログ・身辺雑記。なお、本文と猫の写真は関係ありません)学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」萩原和也です。このタイトルが分かる人はわたくしと同じくきっと熱烈な桑田佳祐さんのファンでしょう。「真夜中のダンディー」(1993年)の歌詞の一部です。歌詞の引用掲載は厳しく制限されていますのでここにもっと記すことはしませんが、弊会の法人名の由来である愛と平和を歌詞に出しつつ、「幸せならば顔をそむけてる」と、わたくしの独断と偏見では、保身と事なかれ主義にピシッと釘を刺している詩になっています。本当に桑田さんは作詩の天才だと思います。

 この歌詞が今、頭の中でぐるぐると回っています。先週末のツイートでみた、本日のブログオピニオンでもテーマにした問題があるからです。明らかに社会正義に反するような悲しい事態が現に存在している。なのに、自分たちが大丈夫なら、特に問題ないなら、「ああ、かわいそうね、でもそれがこの業界あるある話だから」で、他人の不幸としてそのまま流してしまってよいものか。いや、断じてそうではないなずです。

 もっと言えば、学童で働いているがゆえに家庭を持つのを断念したなんてことは、隣の空だけが曇っているのではない。学童保育に関係する人だけでなく、この世に住んでいる人たち全員の頭上に、灰色の雲が覆っている状態だと、わたくしは思います。「まだ曇り空だし、雨じゃないから、いつか晴れるかもしれないし」では、わたくしはいかんと思うのです。曇り空の雲をどこかによけるのはそりゃ大変です。時が来れば雲は流され晴れ間がのぞく、でも、それでいいのですかと切なくなります。

 社会を支える重要な社会資源と認知されつつある学童保育ですが、多種多様な発展を遂げたゆえに、各地域で千差万別、百花繚乱の状態となっています。それはそれで構わないのですが、根本的なところで、学童保育に従事している方が人間らしい営みすら断念せざるを得ない状況が確かに存在しているのならば、その解決に、社会が、政治が、関係者が、ありとあらゆるすべての人が全力を挙げて取り組むべきではないでしょうか。社会正義よいずこに、です。

 こんどはサザンオールスターズになりますが「栄光の男」(2015年)の歌詞にもシビれます。現実主義の歌です。「この世は弱い者には冷たいね」とあります。確かにそうなんですが、かなわない夢を追いかける野暮であっても、渡り切るのが精いっぱいな世間であっても、この世の中、弱い者に優しくある社会であってほしいと切に願います。

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