放課後児童クラブに期待される役割の「理想と現実」。「いま役立つ知識」を求める保護者はますます増えていく
学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。子どもの育ちを支える学童保育、保護者の安定した生活を支える学童保育、そして社会を支える学童保育を支援する「学童保育運営支援」の重要性と必要性を訴えています。学童保育の問題や課題の解決に向け、ぜひ皆様もお気軽に、学童保育に関するお困りごと、その他どんなことでも、ご相談やご依頼をお寄せください。講演、セミナー等をご検討ください。
放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)に対しては、多くの人が多くのイメージをそれぞれに抱いています。例えば、伝統的な学童保育の世界=保護者と支援員が一緒に学童のことを考える仕組みがある学童保育=では、「子どもは学童でたくさん遊び、異年齢集団の中で過ごし、支援員の育成支援のもとで、子どもが社会性、自主性を自ら育てていく」と理解する保護者が多いでしょう。そしてこの考え方こそ、学童保育にとって真に重要で必要な至高な考え方だ、と崇め奉っています。
では世間一般の保護者や、直接に児童クラブを利用することのない立場の人たちはどう思っているのでしょう。昨日、私は埼玉県内のとある市に居住して子育て中の方(おそらく、議員選挙を目指して活動中の方)のブログをたまたま見かけました。その方の住む市は、学童業界ではなかなかに有名な街で、保護者由来の非営利の法人が、育成支援を掲げて保護者と職員がともに児童クラブにおける子どもの育ちに関わっていることで、業界内部では広く知られています。私も、前職時代を通じて、いかに質の高い児童クラブ運営をしているかつぶさに見聞きしてきました。
そんな市に居住されていて、子育てについてとても興味関心、また知識も深いと思われる方が、ご自身のブログに児童クラブについて投稿されているのですが、直近の内容は、学習支援系の児童クラブを市内に誘致したい、何故ならそのような学童こそ保護者が待ち望んでいるものだ、英語やプログラミングなどを教えてくれる学童って最高ですよ!というものでした。安全に過ごして友達と遊んでいるだけでよかったと思っていたけれど、子育て世帯が何を学びたいか選べることが、子どもの居場所の多様性であって、それこそが子どもと保護者の利益にともに合致するのだという趣旨でした。
この方の考え方は、多くの保護者にとってごく普通に受け入れられる考え方だと私は想像します。もちろん、正しい、正しくないという観点で評価できるはずもありません。育成支援を大事にする考え方とは対極に位置する考え方であることは間違いないですが、育成支援こそ学童の正義だ!という考え方に私は与しませんし、学習支援を重視する児童クラブこそ今の時代の中心になるべきだという考え方も、まったく持っていません。私の考え方は、育成支援も学習支援にもそれぞれに特徴があり、どちらを選ぶのかは保護者、国民の判断によるものだ、という考え方です。(個人的な感情で申せば、育成支援を大事にしている学童保育所に息子がお世話になったこともあるので、共感は育成支援の学童保育にありますが、それは児童クラブに関する施策展開とはまったく別です)
学童保育、児童クラブ、それも伝統的な育成支援を重視する学童に関わる人たちが常に尊重して大事にする育成支援の考え方は、今の時代には「理想的」という位置にあると思っています。一方で、多くの保護者や市民は、「うちの子が、将来、社会に出るときに困らないように、いま、たくさんの知識や技術を身に着けてほしい。学童に通っている時間を、子どもの知識、技術の習得に使えるようになれば便利だ」(先のブログでは「一石二鳥」と形容していました)という考え方、現実的に有用なことを追い求める考え方を抱いているのです。学習支援系の児童クラブの開所のニュースが相次ぐ状況は、いま役立つ知識を学童にいる時間で得られることにメリットを感じている保護者が増えていることの現われでしょう。
運営支援ブログでよく使う単語を用いれば、「非認知能力を大事にする育成支援系の児童クラブ」と、「認知能力の伸長を掲げる学習支援系の児童クラブ」との勢力争いです。
理想と現実のギャップ(非認知能力が大事だという理想と、認知能力を伸ばすことが現実に子どもの役に立つという現実)。それ自体は、ずっと以前から存在しているギャップです。そのギャップは、こども家庭庁も、子どもの居場所の多様性を推し進める政策を掲げるようになった以上、真正面から取り組んでいくべき問題になったといえるでしょう。結局のところ、「どちらに、費用(補助金)を多く投入するほうが、より国民の理解を得られるか」という判断に落ち着いてしまうからです。
育成支援が掲げている子どもの育ちは、英語の理解やプログラミングの理解を直接に助けません。人として生きるために必要な土台をこしらえていくことが育成支援の目指す子どもの育ちであり、それはとても地味で目立たないものです。学習や勉強はテストの点数で理解の度合いが判定できますが、育成支援が大事にしていることは点数で評価ができません。しかし、育成支援を大事にする学童、児童クラブの側の人たちは、「育成支援こそ実は大事なんですよ」という理解をもっともっと広くこの社会に根付かせない限り、やがて、多くの保護者や国民が当たり前に理解している「学童の時間にもっと子どもに学ばせればいいんだ」という考え方に、完全に圧倒されていくでしょう。そうなった場合、事業の命運を握る市区町村の判断は、学習支援系のクラブを優遇し、そうでないクラブは補助金交付の面でそれなりに扱うという判断に偏っていくと、私は想像します。
このままでいいのでしょうか、育成支援を大事にする側の立場の人たちは。自分たちのやっていることこそ正しい学童だと思うことはもちろん自由ですが、それだけで世間の人たちにその評価が広がっていくことはありません。歴史が証明しています。広がるのであれば、とうに広がっているはずです。もちろん日々の実践を通じて、育成支援の重要性を身に染みて感じた保護者が増えていくことは大変心強い。しかしそれだけではダメでしょう。もっと社会に、声を大にして呼び掛けていかねば、じり貧がさらに拡大するだけ。そうならないように、例えば、学習支援のメリットを望む保護者の考え方にも配慮した育成支援の児童クラブ運営に踏み切るという方策は良いと私は考えていますし、可能だと考えています。
大事なことは「存在し続けること」です。大事な理念を掲げていても、存在できない状況に追い込まれては意味がありません。まずは社会に存在ができること。生存戦略こそ、育成支援の児童クラブに今最も必要な戦略なのですが、それがどれだけ理解されているか、私ははなはだ残念でなりません。
「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。
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