放課後児童クラブの問題は「量(数)」と「質」で考えられます。数字の多さやイメージの質での評価は危うい。
学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。夏休みは、その期間中の子どもの過ごし方とからめて放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)に関する報道が多くなります。その取り扱われ方は、主に「量(数)」に終始することが目立ちます。今回は運営支援の観点で気になることをつづっていきます。
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<よくある形の報道>
夏のこの時期に放課後児童クラブをめぐる報道は、クラブに入れなかったどうしよう!というものが多いですね。つまりは待機児童の問題です。7月31日19時8分配信の、Jcastニュース ビジネス&メディアウオッチの記事の見出しは次のような文言でした。
「♯学童落ちた」働く母親の悲痛な声 「学童に預けられなかった」2割、待機児童が深刻化 専門家「施設より、職場の改革が必要」
待機児童は深刻ですので解消を求める声を報道で伝えることはとても重要です。どんどん報じてほしいと私は願っています。待機児童は児童クラブに関する、よくあるテーマですが、まだまだ論じられる機会が足りないと私は感じています。
待機児童は「量(数)」の問題そのものです。クラブに入所できる児童数が少ないから生じる現象です。児童クラブをめぐる重大な問題であり、その解消は急務です。待機児童を解消するには施設数を増やすことですが、それは本質的な解決方法のようで、実は本質的な解決法ではありません。待機児童問題を本質的に解消するには、根本的な発生要因、つまり児童クラブを必要としている、働く子育て世帯の保護者をめぐる環境を変える必要があります。育児時短勤務の制度や育児休業制度の拡大、あるいは児童クラブの送迎が必用な保護者に対する勤務への制度としての配慮(フレックス制度や在宅勤務の拡大)、などです。先の記事の中で識者が指摘していますが、まさにその通りだと私も同意です。
この記事は、「量(数)」の観点で切り込んでいます。もともと児童クラブに関しての調査結果をもとにして構成している記事ですが、途中で「質」の方面に足を踏み入れる内容があります。調査で集めたコメントを取り上げた箇所で、「「役員があるから預けなかった」「子どもは楽しいと言っていたが、小3までだったのが残念」といった声」を記事で紹介しています。この部分は、児童クラブで行われている運営の形態や制度に関する内容です。児童クラブに関する質の問題点からも児童クラブに関する問題を取り上げていってほしいと期待します。
<考えてほしい「量(数)」と「質」の切り口>
放課後児童クラブをめぐる議論や報道で、量(数)、質、それぞれの問題を取り上げるときを考えてみます。このブログでもよく取り上げる問題点でいえば、次のようになるでしょう。
・待機児童=量(数)
・大規模クラブ=入所児童数では量(数)だが、実際は支援の「質」の問題(子どものストレス、職員の疲弊I)
・利用料金=量(数)だが収入面を考えると職員雇用の「質」の問題に波及
・職員の低賃金=量(数)だが職員の資質を考えると「質」の問題に波及
・貧弱な施設=投入される予算の額、つまり量(数)の問題
・保護者の負担=負担感は、マイナス面の意識の「量」だが、本来は法的観点からの「質」の問題
・児童クラブの提供するサービス内容=質の問題だが「量(数)の観点に置き換えられがち」
先日、旧ツイッター(X)で、(地方)議会では児童クラブの利用料金ばかりに議論が向かってしまう、という趣旨の投稿がありました。利用料金の問題は、毎月、それを負担する保護者にとって切実な問題ですから、利用料金をいかに下げるか、ということは利用者視点では大事な問題です。それは私も否定しません。しかし当たり前ですが、安いということは、どこかで誰かが「負担増」という事態に見舞われている可能性があります。誰かにとっての利益は誰かにとっても負担であるということが、一方の当事者にとってつい忘れがちになります。
利用料が下がる、保護者は喜ぶ。下がった分だけ減った収入について、行政が補填、穴埋めをするのであれば児童クラブの事業運営に支障は出ません。ただし行政にしてみれば経済面の負担が増えますし、それは最終的には住民の負担に転嫁されます。かりに、行政が補填、穴埋めをしなかったら、事業者は減った収入の分、それに見合ったサービス提供をせざるを得ません。公営クラブであれば赤字は行政が穴埋めしてくれるでしょうが、民営事業はそうはいきません。結局のところ、支出の8割近くを占める人件費を調整、つまり削減して穴埋めするしかありません。安い賃金、安いか支給そのものが無い賞与で一生懸命働いてくれる人を探すのは難しいですね。離職が増え、新たな採用は難しい。そうして人材の質はどんどん下がっていくのです。
児童クラブの問題を考えるとき、料金やクラブの入所人数に焦点を当てて議論する、あるいは報道する場合に、時間や文字数の制約があるとしても、量(数)だけではなく質の問題がおおむね影響を受けることに、せめて一言でも触れていただきたいと私は思います。料金を安く求める意見がある。それはそれで大事だ。しかし安くなると困る問題があるということ。安くすればすべてが正義ではない、ということをつい利用料を支払う側は忘れがちですが、議論をする際はそこに注意喚起をしてほしい、報道する際はその部分にも言及してほしい、ということです。
「では、数と質の問題、どちらを大事に考えているのですか?」と仮に聞かれた場合、「どちらも」と答えるのは簡単です。私はあえて、「まずは数、そして間を置かずに質の問題解決に全力を挙げて取り組む」と答えます。待機児童でいえば、待機児童が出ている状態は起きてはならないことが絶対的に優先です。極論すれば、
「待機児童が発生していない状態なので定員を超えて子どもがクラブに入っている>待機児童が出ているが、既存のクラブでは支援が上手くいっている」です。
しかし、このような大規模状態はあくまでその場しのぎであり、一時的なものでなければなりません。1年も2年も固定化されてはなりません。解消できるめどを保護者、職員、何よりも子どもたちに伝えて、そのわずかな間だけ頑張ってほしい、とおわびをしつつお願いしなければなりません。つまり、行政や事業者が新たな施設を整備しつつ、その完成までの間だけの一時的な大規模状態しか許容されるべきではない、ということです。利用料についても、仮に保護者の負担する金額が高すぎるという議論が起きた時、では単純に料金を引き下げましょう、では正しい解決法ではないということです。失われる収入分の補填策を確保するまでは料金は引き下げらない、ということも選択肢として持っていることが大事です。
<児童クラブを評価するにおいて必要なことは?>
児童クラブの良しあしを考える上では、単純に量(数)の多寡や肯定、あるいはイメージとしての「質」で評価されるものではありません。
例えば、保護者の利用料の額が低いからうちの地域の児童クラブは素晴らしいんだ、児童クラブの子ども1人あたりの予算額が高いからうちの地域の児童クラブは評価されるべきなのだ、というものではまったく違う、ということです。本来の児童クラブの評価はイメージではない現実的な「質」を踏まえて行われるべきものです。定性的とか、定量的という言葉があります。児童クラブの評価は、定性的なものが反映されて現れた定量的な現象で評価が可能な部分と、定性的な面だけで評価しなければならない点がありますが、それを混同してはなりません。そして、児童クラブで過ごす子どもたちをめぐる諸問題に対して厳正な脅威評価が行われてそれが問題解決の最上位に来るべきです。そしてその後に保護者や職員に関する問題点もまた同様に解決されねばなりません。子どもたちにとって安全安心に過ごせる児童クラブの環境を実現するために、何が問題になっているか。その問題点が解消されている状態が、高い評価を生むのです。
「子どもの登所率」を考えてみます。雨の日や年度当初という時期的な環境要因は除外して、子どもたちが居心地の良いクラブを感じているクラブは子どもたちがクラブをあまり休まないもの。8割以上の登所率が当たり前なら、そのクラブは質が高い育成支援が行われている可能性があります。登所率という数値は、クラブにおける子どもの居心地を反映しているとすれば、クラブに子どもが行きたいと思うような支援、援助をクラブ職員が行っている可能性があるので、それは質の高いクラブのの状態が維持されていると考えてもよい、ということです。もちろん、子どもたちが自分たちのやりたいことが何でもできるからクラブに行きたがっている、という場合もゼロではないですが。この登所率の高低と、児童クラブの子ども1人あたりの予算額の高低に何らかの相関関係が見出されてはじめて、子ども1人当たりの高い予算額がすばらしい児童クラブ運営に寄与しています、と胸を張れるのではないでしょうか。
職員の勤続年数も、長いだけが評価ポイントではありません。勤続年数が長い児童クラブ職員は貴重です。児童クラブの仕事は対人支援職の中でも極めて属人性が高い職種であると私は理解しています。育成支援の基礎的な概念はまとまっていても、個別具体的な場面場面では、その時々に応じた職員の判断に基づく支援の手法が展開されるためです。基礎的な概念を基に職員個人の技量が発揮されて日々の支援が実施されているということです。よって勤続年数が長い職員は、いわば「引き出し」を沢山もっているので、周りから信頼されますし、自身でも「自信」を持っているものです。しかしその属人性によって、時代の変化や状況の推移によって、知らず知らず(いや、実のところは自覚しています)、その個人の支援の技量が不十分になっていることがありえます。さらに、児童クラブはほとんどが年齢給ですから、報酬額は多くなる。「いまだに、子どもたちにいい子いい子ばかりしてその場をうまく取り繕う事だけは長けている職員が勤続30年40年で基本t給35万円」ということは珍しくないのです。
「あら、けんかしゃったの?じゃあ2人で同時にゴメンナサイをしようね」でいつもその場で丸く収めているような職員は、日常のささいないざこざやトラブルでは対応できても、構造的な歪み、ひずみが元になって生じた深刻なトラブルには対応できないものです。そしてそのようなトラブルこそ完全な解決が期待されるものです。しかしただ勤続年数が長いだけの職員にはお手上げになってしまう、ということは実はよくある話です。
運営手法についてはそもそも「質」の誤解があります。イメージに基づいた質での評価です。その典型例が、保護者が運営に加わる児童クラブこそが質の高い育成支援をもたらす、とまことしやかに語られる「保護者の運営参画による児童クラブの質の良さ」です。保護者が運営に加わることで児童クラブの質が担保できるというのは冷静に考えると違うのです。
児童クラブに限らず、サービスを受ける側の意見や要望を取り入れることでサービスの質を改善、改良することで、そのサービス自体の価値がどんどん上がっていくことはあります。その点で、保護者が児童クラブ運営について意見を出す、要望を出す、あるいは一緒に考えることは、児童クラブの質の向上に効果的です。それは私もその通りだと同意です。児童クラブのサービスはクラブにおける育成支援が中核ですから、「クラブで行われている子どもの過ごし方、育ちに関して、児童クラブの職員が保護者と一緒に情報を共有し、必要な支援の方策や関わり方について意見を出し合う」ことは、私は必要なことと考えます。
しかしそれは、保護者が運営に加わる=経営陣に加わる、こととは全く別の話です。経営に加われば当然、各種の法的な義務や責任を負いますが、それを保護者に認識させないまま「保護者が運営に加わることは素晴らしいことですよ」と、チョウチンアンコウのチョウチンよろしく保護者を呼び集めることは、私には理解できません。よくそんな詐欺師みたいなことができるな、とも思います。「保護者が運営に加わることは経営上の責任を負う。善管注意義務も負う。そうしたことを全部承知の上で、運営に加わってくれるだろうか?」と依頼するのであれば私は納得しますし、むしろ、業務効率を重視した広域展開事業者では持ちにくい「現場意識の経営施策への反映」ができる可能性が高まりますから利点でもあると考えます。よって、児童クラブを運営する団体が自主的に責任と義務を負うことを承知している保護者を運営に加わらせることは制度としてあってよいでしょう。もっとも、それは定期的な保護者との意見交換の場や保護者有志の代表(評議員など)による会議、協議の場で保護者側の意見を取り入れられるのであれば、そちらのほうが安定しているでしょう。
児童クラブの運営の保護者が加わっていることだけを持って「質」が高いクラブであるとは言えません。保護者の犠牲の上に成り立っているであろう質の高さであることに留意したいところです。
最後に。先の記事でも、あるいは児童クラブをめぐる記事でも気になるのですが、どうしても児童クラブは子どもを預かるという無意識の前提のもとに議論が組み立てられたり報道されたります。「東京都、学童保育にお墨付き 質向上へ認証制度創設 25年度にも」という産経新聞配信の記事(2024年8月1日16時58分)ですが、記事がいきなりこう始まります。
「共働き家庭の小学生らを預かる放課後児童クラブ(学童保育)について、(後略)」
これでは、いくら児童クラブをめぐって量(数)だの質だの観点を分けてみても、そもそもの土台からして間違っているので、その後の議論の展開も不毛です。メディアには、児童クラブの本来的な使命、役割をまず踏まえての報道を期待したいですね。この点、児童クラブが世間の話題に上がる量(数)が不足しているうえに、質についても正確性を欠くことが原因です。確かに見た目は「預かる」です。しかし違うのですよ。「子どもが過ごし、成長する場を提供している」仕組みなのです。まずはこの点をメディアだけではなく社会に広く知っていただけることから地道に取り組みましょう。
<おわりに:PR>
放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。1,900円(税込みでは2,000円程度)です。注文は出版社「寿郎社」さんへ直接メールで、または書店、ネット、または萩原まで直接お寄せください。お近くに書店がない方は、アマゾンが便利です。寿郎社さんへメールで注文の方は「萩原から勧められた」とメールにぜひご記載ください。出版社さんが驚くぐらいの注文があればと、かすかに期待しています。どうぞよろしくお願いいたします。
(関東の方は萩原から直接お渡しでも大丈夫です。なにせ手元に300冊ほど届くので!書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかぜひ、ご検討ください!また、事業運営資金に困っている非営利の児童クラブ運営事業者さんはぜひご相談ください。運営支援として、この書籍を活用したご提案ができます。)
「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
(このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも共感できる部分がありましたら、ツイッターで萩原和也のフォローをお願いします。フェイスブックのあい和学童クラブ運営法人のページのフォロワーになっていただけますと、この上ない幸いです。よろしくお願いいたします。ご意見ご感想も、お問合せフォームからお寄せください。出典が明記されていれば引用は自由になさってください。)