放課後児童クラブで「これが聞きたかった」「この言葉があるからうれしい」そんな言葉を集めてみよう。
学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)のお仕事は、とても責任重大で、大変で、しんどいことが多いのに給料は激安、という悔しいことが多いですが、こんな言葉を聞いた時に「ああ、よかった」という瞬間があるもの。もちろん私の独断と偏見ですから、ご容赦ください。
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<先に念押し。やりがい搾取は、だめ>
どの仕事、職種でも似たり寄ったりとは思いますが、仕事はそれなりにきついもの。仕事と見合った報酬がしっかり約束されている仕事も、そうそうないでしょう。それでも人が仕事を続けるのは生活のためですし、転職しても今より良くなる確約もなければ、日々の仕事の繰り返しにいつの間にか「慣れ」も出てくるでしょう。そして、時々訪れる、喜びの時。それは臨時ボーナスのこともあるでしょうが、往々にして、思いがけない、感謝の言葉や評価の言葉ということがあります。
児童クラブでいえば、子どもや保護者からかけられる言葉です。同僚や上司ということもあるでしょうが、特にクラブの現場で働いている人たちには、子どもや保護者から送られる言葉に感動したり、それまでの苦労が吹っ飛んだりするものです。
それはとても素晴らしい事。まして児童クラブの世界のように、本質的な仕事の重要性がなかなか理解されない職種においては世間や社会から評価されていないんだな、という疎外感がどうしてもまとわりつきますから、そんなときに現に関わっている人からの評価の言葉は、本当にうれしいものです。問題は、その、評価や感謝の言葉「だけ」を、仕事を続ける動機にさせてはならない、ということです。それは「やりがい搾取」に直結するからです。評価や感謝の言葉を、仕事を続ける前向きの動機の1つとすることは当然ですし、そうしてほしいもの。しかし、それ「だけ」を児童クラブの仕事を続ける動機、きっかけ、理由にしないでいただきたい、理由と「位置づけないでほしい」ということです。これは、とりわけ、職員を雇用する事業者の経営担当者や、児童クラブを設置する市区町村、そして国の、児童クラブ担当者に、しっかりと意識してほしいのです。まずは業務に見合った報酬、賃金の設定をすること、仕事の質の向上によって得られる感動を仕事を続けるための動機付けとする施策を講じてほしい、ということです。
現状の、「あなたたちは、子どもが大好きですよね。大好きな子どもたちの成長を支える仕事ですから、給料が安くても、きっと頑張れますよ。だって、子どもが大好きなんでしょ?」といわずもがなの状態は絶対に間違っています。しっかりと育成支援の本質を理解して実践できる者には、それに見合った評価を、雇用労働条件として備えるべきです。(育成支援のことを理解せず、理解しようともせず、実践もしない者にはもちろん、給料を払う必要はありません)
<ここが居場所だったよ>
ぶっちゃけ、児童クラブに在籍する子どもで、職員が本音では「もう、早く退所してくれないかな」とつい思ってしまう、困った行動を繰り返す子どもはいるものです。私個人の経験ですが、ベテラン職員から聞いた話で「室内で自転車を乗り回して低学年の子を追いかけまわしていじめている子ども。どんなに注意しても反抗的だった」とか「泥をクラブのいたるところに投げつけてクラブじゅうを泥だらけにして、私たち職員にも容赦なく泥を投げつけてくる子どもたちがいたときは、本当に辛かった」というとき、一瞬だけもう無理だ、と思ったということです。
もちろん、すぐにプロ意識から「この子たちを突き動かしている、どうしようもないやるせない気持ちに寄り添うこそが、仕事なんだ」と思ったということです。ただ、その状態についてだけはとてもつらい。
児童クラブの鉄則ですが、「子どものする行動には子どもなりの理由がある。それを知ることが大事」です。クラブで他人の迷惑を顧みずに暴れてしまう子どもも、その子なりに何らかの葛藤や苦しみを抱えていることが少なくないのです。それを児童クラブを本当に分かっている職員や運営者なら、安易にそのような子を追い出したり辞めさせることなく、寄り添い続けようとします。それがクラブ在籍期間中に暴れる子どもたちに何も変化が見られなかったとしても、プロの育成支援者は最後の日まで、子どもと関わろうとします。
とても手のかかる子が退所、退会して何年も過ぎた時、成長したその子がクラブにやってくることがあります。時には「高校に入った」「就職した」「結婚するんだ」という知らせとともに。また「アルバイトしたいんだけど、いいかな」ということも。そして「あの時はとてもひどいことをした。本当にごめん。でも、そうでなければ自分自身、やっていけなかった」「何をしても追い出されなかったことで、自分の居場所なんだって分かっていた」などと、話してくれることがあるのです。
職員の中には「そんなこと言われても当時は本当に辛かったから私は許さないよ」という人もいますし、私もそういう人に多数ではないですが会ったことがあります。でもどちらかといえば「あの子たちの居場所であると分かっていた。だからつらくても頑張ることができた」と嬉しく思う職員の方が多いのではないでしょうか。
私の息子が通っていた学童保育所には備え付けの頑丈な木製のランドセル入れ(ロッカー)があります。その隅っこ、普段は本が積まれていて職員すらも目につかないところに、かつてクラブを揺るがしたほどの超絶やんちゃ者が卒所する際にメッセージを彫り込んで残したのです。「ここが俺の居場所だった。ありがとう」という思いが込めれらたメッセージ。今の時代、学校は当然、家でも、いい子であれ、立派になれ、いい学校に行っていい会社に就職してこそ成功だ、という、子どもにあれもこれも「いい子、いい人間、立派な人間」になることを強制します。親心といえばそうですが、本当の親心なら、子どもには自分のやりたいこと、目指したいことを目指してほしいという子ども自身の希望や目標をまずは応援するでしょう。それより上位に「いい子、立派な人間」になれ、いい子、立派な人間という要素は「テストで高得点、偏差値が高い学校に進む」ことですから、話になりません。
そのようや、親や社会からのプレッシャーに押しつぶされそうな子どもの逃げ場所が、児童クラブになっているなら、それは児童クラブとしては本来とても不幸なことです。ただ、現状がそうであるなら、押しつぶされそうな子どものせめてもの「発散の場」になってしまうことを理解しつつ、子どもを押しつぶそうとする強大な「意識」にどう抗っていくか、児童クラブの世界はそれに注力するべきでしょう。本来の「子どもの居場所」として児童クラブが機能するために。
<いてくれてよかった>
児童クラブの世界は、すぐに辞める職員が多いですね。現場も運営本部も同じです。1週間で辞めてしまった人を数えきれないぐらい見てきました。運営本部ならため息で「もう一度やり直し」で済みますが、クラブの現場では、子どもたちがそのたびにがっかりします。いやもう、子どもたちは新しい職員に「どうせすぐいなくなる」と最初から決めつけてかかっています。
子どもたちに関する職員の悩みとして、「なかなか素直に話を聞いてくれない」というものがあります。しょっちゅう、職員が入れ替わるようなクラブの子どもが、職員の話を真正面から受け入れると思いますか?職員がすぐにいなくなるようなクラブの子どもたちは、職員を信頼していません。当たり前です。初めて会ってすぐにその人を信頼してなんでも話してね、打ち明けてね、こちらもお願いするから言う事を理解してね、なんて無理です。大人だって同じですよ。(もちろん、大人の場合は「仕事」で相対することがありますね。上司が部下に「起こったこと、感じたことをすべて報告してください」というのは業務命令であり指示ですから、それが1時間前に上司になったばかりの人でもその命令や指示に従うのは当然です。「あなたのことがよく分からないから、話せません」という者は社会人として失格です。なお児童クラブの世界にはそういう考え方の職員がチラホラいますけどね)
子どもから「先生がいてくれてよかった」と言われたら、それはもう信頼の証です。聞きたいですね。存在を求められているという事ほどうれしいものはありませんね。
だからといって、複数のクラブを運営する事業者には、人事異動を否定する事業者もありますが、私は反対です。しょっちゅうの異動は極力避けるべきですが、異動に合理的な理由がある場合は当然、人事異動は必要です。業務の質の平準化に異動は欠かせません。何より重要なのは、同じ職員がずっと同じ場所で勤務することによる弊害を防ぐためです。つまり、同じクラブにて勤務を続ける職員はそのクラブを完全に「自分の城」としてしまいがちということです。もともと、児童クラブ職員の忠誠心は雇用する事業者より自身が配置されて子どもたちと向き合う児童クラブそのものに向きがちですから、自分の勤めるクラブこそ自分の居場所となり、自分の思うようにクラブ内の統治を行ってしまうのです。それでは運営事業者にとっては困ります。その弊害を防ぐために一定期間ごとの人事異動は私は肯定しています。6年程度を1サイクルとして、長くても10年でしょうか。異動をさせない職員は、例えば「限定正規職員」という職種を設定して異動がある正規職員より基本給、賃金を低くし、主任や施設長にはさせない、ということであれば、弊害はある程度防げるでしょう。
<安心して仕事が続けられます。助かりました>
保護者からこう言われると、とてもうれしく感じました。少なくとも私は。例えば例の新型コロナウイルス流行期に突然、国が決めた学校の臨時休業のとき、行政より率先して児童クラブの開所を決めたときは、特に医療従事者や保育所などに勤務する人から「良かったです、仕事が続けられます」と言われたとき、児童クラブの1つの目的である、社会経済活動に寄与することを果たせたとして安どしました。
この手の話をすると、「職員の健康や安全はどうでもいいのか」という批判を必ず受けますが、私に言わせれば、同じ事象での議論が成り立たないので無意味です。なぜなら、職員の健康や安全は当然ながら重要ですし、そもそも法令によって事業者(使用者)は労働者の健康や安全に配慮しなければなりません。義務です。その健康や安全の配慮は、別の方法で実施されるべきものです。台風が近づいているとかコロナウイルスが流行している時に事業を行わねばならないとしたら、「絶対にこれ以上は事業継続をしてはならない」という限界点を明確に設定することを大前提に、その危険や不安を解消する手段を講じて対応すればいいだけのことです。例えば、管理職を現場に投入するのはよくあることです。装備を整えること、避難先や避難手順を確立しておくこと、危険手当などを用意することなどがあります。「いやいや、それでは実際に働く者の不安や不満は無くならない」という人は、従事しなければいいだけです。あるいは、別の事業者で働けばいいだけの話です。
私の考えとすれば、自然災害や、感染症流行といった社会的な災害においてできる限り児童クラブが開所して、そのような厳しい状況でも就労せねばならない人たちの最後の支えになることは当然として、そのような災害や大きな出来事がなかったとしても、日々の子育てにおいて、保護者と一緒に子どもを育てる機関としての児童クラブが、今後の児童クラブの中心的な機能として確立されるべきだと考えています。当然、保護者が仕事を休みの日であっても、保護者の休息のために児童クラブに子どもを通わせても構わない。クラブ側と保護者が常に情報を共有し、状態を共有し、ともに子育てに関わることであれば、そこに保護者が主で児童クラブが従、という区別は不要です。「共に」子育てに向き合うのです。当然、親権や監護の点で保護者が主体となることは否定のしようがありませんが、こと、子どもに直接関わる日々の1つ1つの出来事については、親と児童クラブが一緒に取り組めばいいと、私は考えています。
こどもまんなかという新しい時代に、子どもの育ちを社会全体で支える(それは裏返せば、家庭や親という存在の持つ能力の相対的な低下であることは否定しませんし、現実に保護者だけの力で子育てができない保護者、人間が増えていると思わざるを得ない)新しい考え方が早急に確立することを期待しています。
<ひっかぶる>
ひっかぶるとは、辞書によると「勢いよくかぶる」ことです。「布団をひっかぶる」というように使われます。私は児童クラブに関わるようになって、数多の尊敬する職員からこの言葉を何度も聞きました。「こどもたち、保護者の抱える、つらい局面を、職員がひっかぶる」ということです。これはやりがい搾取とは違います。これもまた児童クラブで聞きたい言葉に「寄り添う」というものがあります。つまり、子どもや保護者に「寄り添って」、その抱えるつらさを「ひっかぶる」ことで、効果的な支援、援助の方策が見いだせるということです。
なお、これもいちいち明示しておかないとすぐに揚げ足を取る人がいるので申しておきますが、「職員個人の私生活やプライベートを犠牲にして」ひっかぶる必要はありません。勤務時間内に、あるいは時間外勤務を申請して事業者に認められた範囲内で、ひっかぶってください。日曜日や公休日を犠牲にして義務的にひっかぶる必要はありません。個人の意志でやりたいのならどうぞ。ただし賃金はでませんし、労働ではないので労災にもなりませんよ。
ひっかぶるということは、全身全霊を持って、その問題にぶちあたるということです。けんかをした子ども同士をその場で叱って無理やりお互いにごめんなさいを言わせるという、およそ育成支援の本質とかけ離れたことがまかり通っている(特に広域展開事業者の)児童クラブでは、この、ひっかぶりとは正反対の局面にありますね。例え面倒でも、子どもに嫌がられても、「何があったか、事実にできるだけ近づく」ことが大事なのです。
実はこれ、報道の仕事と似ています。報道の世界は「事実」を世間に知らしめることです。児童クラブの世界も、できるだけ「事実」を把握しようとする仕事が多い。子どもがころんでけがをした。「では、なぜ、転んだのか。その原因は何か?石につまづいた?地面がくぼんでいた?平らで障害物の無い地面だったが無理な体制で足を着地しようとしてひねったか?」と、原因の「事実」を知ろうとする姿勢が、児童クラブの職員に必要です。
そうした苦労も含めて、子どもや保護者(時には同僚)の悩みやつらさをひっかぶって、その原因の解消に、緩和に取り組む。それが児童クラブの職員の仕事であり、児童クラブそのものの役割です。単に子どもを預かる、保護者の仕事を可能とする、という単純な役割ではないことを、社会にぜひ知っていただきたいと切に願いますし、だからこそ私はこうして訴え続けているのです。
<おわりに:PR>
弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。
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放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。1,900円(税込みでは2,000円程度)です。注文は出版社「寿郎社」さんへ直接メールで、または書店、ネット、または萩原まで直接お寄せください。お近くに書店がない方は、ネット書店が便利です。寿郎社さんへメールで注文の方は「萩原から勧められた」とメールにぜひご記載ください。出版社さんが驚くぐらいの注文があればと、かすかに期待しています。どうぞよろしくお願いいたします。
(関東の方は萩原から直接お渡しでも大丈夫です。なにせ手元に300冊届くので!書店購入より1冊100円、お得に購入できます!私の運営支援の活動資金にもなります!大口注文、大歓迎です。どうかぜひ、ご検討ください!また、事業運営資金に困っている非営利の児童クラブ運営事業者さんはぜひご相談ください。運営支援として、この書籍を活用したご提案ができます。)
「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
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