単なる身辺雑記、放談です。「このたびの、参議院議員選挙に思うこと」をつづりました。

 放課後児童クラブ(学童保育)運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所の中核的存在)の健全な発展を願い、とりわけ児童クラブで働く人たちが安心して一生続けられる仕事となるように雇用労働条件の向上の必要性を訴えている、児童クラブの運営支援です。今回は身辺雑記として、7月20日に投開票となる参議院選挙について思いのままをつづりました。短いですが、のちほど適当に追加するかもしれません。
 (※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)

 陰謀論やカルト主義の政党が参院選で躍進することが避けられない状態です。
陰謀論やカルトが共感され受け入れられる社会になりつつあることは、これまでの権力者、政治(家)のだらしなさの反動だと私は感じています。法令順守を都合よく解釈し党利党略ばかりに固執する政治、国家の運営と、当選して権力を得ることが目的の政治家に、有権者の多くが反旗をひるがえした。「あなたたちはもう信じられない。退場してもらおう」と、これまで権力をになってきた政党や政治家に対して有権者がノーを突きつけるという雪崩的現象が起きつつあるのが、この参議院選挙だと私は感じています。

 何十年間も権力側に都合の良すぎる解釈で国の政(まつりごと)が行われ、国民の多くが疑問に思うことが放置されるどころかさらに悪化しても尚、権力側が恣意的な政を続けてきたその末路が陰謀論やカルトの繁栄なのだろうと私は考えています。有権者の相当数が今の社会を否定しているのは、今まで権力を握ってきた側にしてみれば、私は自業自得だとすら考えます。有権者が、多くの国民が、今の政治に愛想をつかしたのだ。教育を大事にせず、人を育てることを怠った社会の末路であると。これから陰謀論やカルトの跋扈を防ぐには、既存の政治勢力、政治家が猛省しなければなりません。政治家を監視、批判する報道機関も、もっと強く、法の下の正義や倫理や哲学を訴えることが必要です。

 陰謀論やカルトというものは、「正義」を装いつつ、「みなさんを救うのです」と甘い言葉でささやく。いままでと違った世界への期待感をいざなう。ところが、陰謀論やカルトというものは、「それは陰謀論、カルト主義だ」と良識を基礎に指摘する多数が存在してこそ成り立つもので、陰謀論やカルトが権力側となれば立場は逆転し、陰謀論やカルトが「正しい基準」となり、かつての良識は迫害弾圧されるでしょう。米国がそうなりつつあるとは言いませんが、そうなりつつある気配は私は感じます。陰謀論やカルト、もっといえば、多くの人々を情緒的に扇動して不安をあおり、自分たちについてくれば大丈夫だと訴える人気取りに忙しい政党が人気になってしまったのは、これまでの政権、政治家の自業自得です。ですが、それでも決して陰謀論に社会を委ねてはならないと私は考えます。
(以上、7月7日投稿)

・政見放送をときたま見ます。選挙公報は目を通しました。どうしてこんなにも「日本人を大事に」「日本人が守られていない」と連呼する偏った思想の人が多いのか。疑問なのは、そういう方たちが口にする「日本人」っていったい何? 人種としての日本人なのでしょうかね。生物学的な日本人? そもそも、そういう区分が正しいのかどうかすら私には分からない。なぜなら、私は「日本人」という概念を考える場合は、日本に住んで日本の法律に従い、納税している人を考えるから。旅行や病気の治療で、単一の目的で短期間だけ日本で過ごす人以外の方を「日本人」と考えます。日本人を守れ!と威勢よく叫ぶ人は不法滞在の外国人が日本人を圧迫していると訴えます。不法滞在であればそれは法令に従って対応すればいいだけのこと。法治主義なのですから。もちろん、その法令は、基本的人権を不当な理由で制限してはならず、国際的な基準で考えても不当に基本的人権を圧迫するような内容であってはなりません。
 何を持ってそんなに日本人を守れ、日本人が優先だと言いたいのか。私の思うところでは、日本で生まれて暮らしている人の生活が苦しい、豊かになれそうでなれない、という日々のうっぷんや不満を、「日本で生まれ育っている自分たちがこんなに恵まれていないのに、ヨソから来た人たちに分け与える恵みなど無い!」という形を支持という形で吸い上げているのが、今、日本人優先を訴えている政党や立候補者たちの「計算」なのでしょう。あるいは本気でそう思っている人もいるかもしれませんが。
 ごくごく当たり前のこととして、日本で生まれ育った人も、何らかの事情で海外で過ごすことになれば、その当地では「ガイジン」になります。日本で生まれ育った人が海外で済むようになって「ヨソ者のお前たちには何の恵みもいらない。出ていけ!」と言われることを正当化することになるのが、今の外国人排斥運動だということが想像できないのでしょうか。海外で暮らすことなんてないもーん!とでも思っているのでしょうか。人生、先がどうなるか分かっているのであるとしたらそれは単に想像力が欠如しているだけのことです。
 気になるのは、日本人最優先を主張する方々がその対極として忌避対象としているように私に思えるのはアジア人であることです。相変わらずか、と言いたい。アジアだろうが欧州だろうが、正当な手続きで、日本国の法令に従って入国し、暮らし、学び、働いている人は私は日本で暮らす日本人だと考えます。どの日本人であっても法令は守るべきですし守れない人は法令に従った措置、対応をうけるのもこれも当然。日本人最優先を叫んで排除対象を作り出してそこに憎悪を向けることは、かつて人類が繰り返してきた愚行そのままです。
 日本の政治や社会が、広く人権や権利をしっかりと学ぶ機会をもってこなかったひずみの顕在化だろうと私は思いますよ。教育の予算を削り続けて、充実した教育を提供することをこの国が怠った結果ですよ。図書館や博物館の予算を削って、国公立大学の予算を削って、教育を、利益をもたらすかどうかで重要視できるかどうかの判断材料とした結果でしょう。また、政権与党はじめ政治家の法令順守のいい加減さと、低次元の倫理観が国民から愛想をつかされたことが非常に大きい。失政のツケが、やるせない思いを抱えた国民のうっぷんとなって一部過激な排外主義やポピュリスト政党、ポピュリズム政治家への支持を押し上げているだけです。
 返す刀でいえば、これまでの批判勢力であった野党がだらしない。いまだに大企業を敵視して多くの有権者の共感を得られる? 企業で働いている人ばかりなのに? まったく正当な理由がないのに一方的に他国に侵略したり、テロ行為を繰り返したり、領土拡張の野心を隠そうともしない国が東アジアにあるにもかかわらず平和平和と叫び続ける、明らかに独善的な正義のうすっぺらさを見透かされていることに今もなお気が付かないのは愚の骨頂。批判勢力のだらしなさが、極端な排外主義やポピュリズムを成長させた。肥やした。ああ、なんたることか。(7月10日記載)
 

(終わり)

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萩原和也