「困った人を動かす」という考え方は、放課後児童クラブの世界に決して存在してはなりません。寄り添い、支え、一緒に考えるのです。
放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)運営者をサポートする「運営支援」を行っている、ほぼ唯一の事業者「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブを舞台に、新人職員の苦闘と成長、保護者の子育ての現実を描く、成長ストーリーであり人間ドラマ小説「がくどう、 序」を書きました。アマゾンで発売中です。ぜひ手に取ってみてください! (https://amzn.asia/d/3r2KIzc)お読みいただけたらSNSに投稿してくださいね!
本日(2025年4月24日)は、自称カウンセラー氏の新刊「職場の「困った人」をうまく動かす心理術」(三笠書房)の発売日です。この書籍に関してのわたくしの意見表明と、危惧している点をつづります。
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<発刊は大変、残念であり懸念を表明します>
わたくしはかつて新聞記者として「ことば」「文章」によって生計を立てていました。今は運営支援という事業ですが、これもまた「ことば」を用いて依頼者へ助言したり話をしたり、著書で運営支援の考えを広めていく仕事です。ことば、文章は、私にとって最も大事な手段であり、仕事そのものの一部です。ことばや文章が、その人の考え方や性格、本質を示したり、その一端をのぞかせたりすることがあると信じています。一方で、ことばや文章といった言論は、民主主義の根幹をなす人類の権利であると理解しています。大学で法律を学び、その後は記者として報道の自由、言論の自由を掲げて生きてきました。
内容が取りざたされている、自称カウンセラー氏の新刊「職場の「困った人」をうまく動かす心理術」と題された本のことです。まず最初に申し上げると、わたしはこの本を購入する考えは毛頭ありません。これからつづる懸念点がある中で、著者と出版社にわずかであっても利益を献上することは嫌です。内容を読まずに批判するのか、という指摘には、すでに公表されている表紙や帯、目次などの内容で十分に懸念点が明確になっていると申し上げます。「読むまでもない」ということです。ただ、それは私が心理学の専門家ではないためであって、もし私がカウンセリングに関するしっかりとした資格を持っていたりカウンセラーとして活動をしているとしたなら当然に購入して書物の内容を検討し、意見を表明することでしょう。専門家の方にはこの書物の内容を吟味していただいて、自由に批評を行っていただきたいと期待していますし、その内容を心待ちにしております。
さて言論出版の自由を考えると、どのような内容の書物であれその出版を妨害されることはあってはならないという考え方は理解しています。もちろん、内容そのものが個人の権利を直ちに侵害するような明確に違法なものである場合は別です。その点で考えると、自称カウンセラー氏の著作は、直ちに誰かの権利や名誉を侵害したり犯罪をそそのかしたりするものではなさそうです。
しかし、もっと深刻な事態を招く恐れが大きいとわたし個人は恐れています。
1年前の4月から始まったNHKのいわゆる朝ドラ「虎と翼」。1年前の今頃はすっかり高い評価が固まりつつありましたね。わたしはあの作品について、「はからずも、本意ではないのに、社会の仕組みや構造、雰囲気によって、虐げられたり追いつめられたり、救われなかったりする立場の人々を、その立場から物事を観察し理解することを怠ることなく、そのような立場に追い込まれた人たちと同じ立場に精神を置きながら、追い込まれた人たちの権利を確立し、人権を打ち立てて守っていく人たちのドラマ」と感じていました。あまり好きではないのですがあえて「弱い」ということばを用いれば、「本来はまったく弱くないのに一方的に弱い立場に追い込まれている人たちを、まっとうな立場に戻すために奮闘する人たちのドラマ」といえるでしょうか。
だから私も好きなドラマでした。ところが、自称カウンセラー氏の書物からは、そうした「人権を守り抜く、支えぬく」という考え方がまったく感じられないのです。「虎と翼」で描かれた、不当に扱われている人たちを救おうという考え方とはまるで正反対な、不当に扱っている人たちの側に立ってより巧妙に狡猾に、追いやられている人たちを取り扱うノウハウを教示してそれを書物という形で販売して利益を得ようというのは、私には到底、許容できません。(なお、出版や言論で利益を得ることはまったく問題視していません。その内容に問題がある、ということです)
自称カウンセラー氏の書物におけるカウンセリングや心理学的な側面については私は門外漢ですので、旧ツイッター等で表明されている多くの専門職の意見を参考にしています。「なるほど、問題が多いのだな」ということは私なりに理解してきました。
そうした面ではない部分において、さらに私は懸念を強く抱いているのですが、その1つが先に申し上げた、「人権擁護の感覚の欠如」です。
SNSではいわゆる発達障害と呼ばれる特性を持っているという人から自称カウンセラー氏の書物について多くの意見表明がされています。その多くに共通するのが「今もつらいなかで仕事をしている。自分はそのように思われていたということが改めて明示されて、傷ついた」というものです。
それは当然です。発達障害のある方を「困った人」と決めつけ、「彼らを6タイプに分類し、それぞれの言動や思考の裏側を解剖することで、戦わずして勝つ」という表現で、共に活動する立場というよりも勝ち負けで圧倒することを目指していることを明確にしています。発達障害の方は、屈服させられるのです。
SNSで批判が集中していましたが、「職場にはびこる」という表現を書物の宣伝コピーに使っています。デジタル大辞泉には「はびこる」について、こう示されています。
1 草木などが繁茂する。「雑草が—・る」 2 よくないものの勢いが盛んになって広まる。広まって勢力を張る。「害虫が—・る」「悪が—・る」
明らかに、「困った人」(=職場にいる発達障害やその他いろいろな悩み事を持っている人。この書物では学術的な根拠が不明なまま6タイプに分類していますが、それも大問題でしょう)のことを「はびこる」と言っているのは、上記のデジタル大辞泉の解説によれば「よくないものが広まっている」という意味としか、私には理解できません。つまり、自称カウンセラー氏の書物においては、職場における発達障害等の方がどんどん増えていって困る、良くない人たちが増えているということを訴えているのです。
これが人権感覚の欠如と言わずして、なんでしょうか。ことばや文章にはその人の思想、思考、倫理観、哲学や人生観が顔をのぞかせます。自称カウンセラー氏の書物の内容の一部からでも、人権感覚の欠如がうかがえてしまい、私には残念です。
しかし一方で、私も雇用者として何度も職員が行った失敗やミスの収拾に追われた経験があり、現実的に「きれいごと抜きに、発達障害系の人たちがやった失敗やミスの対応をする側のしんどさをしっかり考えてほしい」という意見がある、それも実は相当、表に出せないうっくつとした不満として存在していることも容易に想像できます。だからこそ、アマゾンで、自称カウンセラー氏の書物が売れ行きランキングでずっと上位を占めているのでしょう。人権やら発達障害の人のことはどうでもいい、とにかく今の自分の仕事の悩みを軽減させるノウハウが欲しい、という人は大勢いるのも当然でしょう。
しかしそれは、突き詰めれば、職場で関わる人の一部を「困った人」と決めつけて上手にコントロールしたいから、というよりも「業務上のミスや失敗を少なくしてもらいたい、どのようにすれば失敗やミスを減らすことができるのかその適切な指示の方法や接し方を知りたい」というニーズ、期待であるのではないでしょうか。ですから私は、言論出版の自由も考えて、本の絶版や発売中止を求めてはいませんが、心理学やカウンセリングの専門家、専門職が加わって、「どうしたら職場にいる、種々の悩みを抱えている人たちが困ることなく一緒の目標に向かって業務を遂行できるのか。特性や悩み事が理由で仕事がうまくはかどらない人たちと一緒になって解決策を共に見出していける方法の探し方」などについて解説したり指南したりする内容になって改めて世に問うてほしいと考えています。もう発売日を迎えてしまいましたが、「過ちては改むるにはばかることなかれ」と論語にいいます。これからでも変えていけるのですから、自称カウンセラー氏および三笠書房には善処を期待します。
この書物の問題で気になっていることがあります。言論出版の自由というあまりにも重要な基本的な権利があるがゆえなのか、法律関係の方からの意見発信がほとんどSNSで見かけていないことと、これからわたしも属することになる社会保険労務士の世界からの意見発信もまた同様に少ないことです。別にSNSが世界のすべてではないですし、むしろごく一部の方しか参加していないのがSNSですから、自称カウンセラー氏の書物にまつわる事案そのものを知らない人が単に多いだけなのかもしれません。SNSで意見発信が少ないから問題であるとは言えませんが、それでも私には気がかりです。
前者は、まさに「それでも言論出版の自由は保障されねばならない」という態度なのか、あるいはすべてが証拠を基に論理的に判断されるべきという法律の世界ですから「内容を見ずに意見も出せない」ということなのでしょうか。その点について私には想像ができませんが、「すでに職場、いや社会で、追いつめられて弱い立場とレッテルを貼られている人たちをさらに追いつめることが容易に想像できる書物」ということでは、法曹の世界の方々には意見発信をするにはまだ足りないということだったのでしょうか。
社労士界隈からの意見がほとんど見かけられなかったのは、もしかすると、実務上において自称カウンセラー氏の書物がレッテルを張った「困った人」への対応がまさに社労士に相談される内容でもあって、むしろ自称カウンセラー氏の書物に記されているであろう「職場で困った人を動かす」ノウハウが内心、必要であると思っているのかもしれません。振り返れば私はこれまで2年弱、社労士試験の勉強をしましたが、社労士の試験勉強は法学を学ぶ勉強ではありません。労働者としての権利やハラスメントへの予防対応対策は学習内容になりますが、基本的人権は試験対象の範囲外、学習内容の範囲外です。職場において困っている人、誰かを困った人と認識している人に関する諸問題を考える機会を資格を得るまでに要しないので、社労士界隈では生産性の向上は関心事であるとしても、むしろ「業務をしっかりこなせない人をどう戦力化するか、あるいはうまく辞めてもらうか」という観点に傾きがちなのかな、と想像した次第です。
以前も記しましたが、この自称カウンセラー氏の書物が目指す先は、「二分化の究極的な進行であり、強者が弱者を支配する社会の実現」だと私は考えています。生きにくさ、働きにくさを感じている人たちはさらに追い込まれ、使われ、使う側が駆使するノウハウによっても動けなかった場合は容赦なく追い払われるという世界です。職場において、「他者を使える立場の者」が、「使われる立場の者を効率的に使う」ことをより追い求めることで、「能力的に問題がある者をうまく動かす方法を駆使して動かしていくが、それでも動いてもらえない場合は消えてもらう」という考えにより染まっていく社会になっていく、ということです。
それは結局のところ、「使えない者」「困った人」の人権をより低く判断評価することになり、排除する行動をより容易に実施させることになります。それこそ、いわゆるヘイト社会であり、差別社会です。今は「対立」であり「区分」された世界に踏みとどまっていても、「使えない人はこうして使え。それでも使えない場合は取り換えろ。使える人だけが価値がある」という考えが支配する社会に移り変わっていくのではないかと、私は大いに懸念しているのです。
SNSに触れながら生活している人ばかりではありません。SNSで騒動になっていることを知らない人の方が多いのではないでしょうか。そこにきて、自称だろうがカウンセラーを名乗る、一般の人から見れば「心理学の専門家」を感じさせる人が、「職場であなたたちを困らせる人がはびこっていますね、こういう対処法がいいですよ」ということを指南する本が出れば、それは人気が出るでしょう。専門家が言うのだから参考になるだろうと、多くの人が思うのは間違いないでしょう。そうやって、自分がそうなりたくはないのにそうなってしまって困っている、悩んでいる人たちをさらに追いつめる事態がさらに進行していくのです。それが私には問題だと考えるのです。
なお、自称カウンセラー氏がどのような考え方、思考、思想を持っているのかについて私は問題視していません。それこそ思想の自由です。発達障害にある人を困った人と思うその思考を誰かが抱くことに私は異議を唱えません。どうぞご自由に、です。懸念しているのは、多くの一般の人たちが「心理学の専門家だよね」と認識するカウンセラーの称号を使って、発達障害等で悩んでいる人を、社会において困った人と決めつけ、その対処法を指南するその思考が「専門家が言うことだから間違いない」と思わせること、そのものです。その点ではむしろ、出版社の姿勢こそが問われるべきだとわたしは考えます。
SNSには「エセ治療法を紹介する書物だって世間にあふれているじゃないか」という意見も見られます。出版社だってピンキリだ、ということです。私はそれと完全に同一ではないと考えます。エセ治療法、インチキ治療法は個人や家族が信じて勧める限りにおいては、結局はその治療法を信じた人の問題であり、それで死期が早まっても個人の問題です。自称カウンセラー氏の書物は、一般人に専門家と信じさせる称号を使って困っている人、悩んでいる人の側の事情に考慮することなく一方的に操縦して操ることを勧めているという内容であって、社会における二分化をそそのかす内容ゆえの危険性は個人の生死などよりはるかに重い、社会における人権を揺さぶる深刻な問題であると私は考えます。
しかもそれなりに有名な出版社が手掛ける書物です。あの書物の内容が、より「権威性」を伴って社会に広まっていくことを私は懸念しています。この出版社は言論の自由を掲げて当該書物の発売をためらわないようですが、言論出版の自由を掲げながらも実は本音で「売れて利益になれば良い」という考えが支配しているかのように私には感じられてやまないのです。(これは余計なことですが、この出版社さんは、いわゆる官能小説を手掛ける某出版社の親会社であり、かつては出版社本体の赤字を官能小説の売り上げでカバーしていたのは業界関係者には周知の事実です。しかもそのことは決して広まることが無いように相当な注意と警戒をしていました。本業の看板を汚すことを恐れていたのですね。今はインターネットで気軽に官能的な情報にアクセスできるので官能小説の売り上げがさほどあるのかどうか私には分かりませんが、少なくとも1990年代からの十数年間は、そのような状況にありました。つまり、建前=知的な生き方を広める書籍などで進歩的な出版社と認知されることと、本音=本体では赤字なのでよく売れる官能小説でがっちり稼ぐがそのことは絶対に内緒、という二分化がこの出版社さんには当たり前の状況として存在していたと私は考えています。よって今回の状況も、特段、頭を抱えるような状況ではきっとなかったでしょう。本音と建て前を使い分けることには、長けている、ということです。)
<実際、児童クラブの現場ではやむなくそうなっているのではないか>
児童クラブの世界は深刻な人手不足、職員不足です。求人に応募してくる人がそもそも少ないので、応募してきた人をなるべく採用しようとしています。このあたり、大きく二分化されていると私は感じています。
「マルチタスク能力が必要な児童クラブの仕事では、向き不向きがある」として情報処理に問題がある方々の採用に慎重な児童クラブ事業者は、特に地域に根差した児童クラブ事業者に目立つような印象があります。一方で「配置基準を満たすために数が必要だ」ということでどんな人でも求人応募者はほぼ採用するという事業者も現実に存在しています。特に大手の広域展開事業者にはその傾向が強いと私は感じます。
そうすると、自称カウンセラー氏のいうところの実に差別的な表現ですが「困った人」が現実に職員として働いているという状況になります。その人たちの失敗やミスを収拾する職員の疲弊は確かに大きいのです。私もそうでした。こどもの健全育成を行う、まさにこどもの人権を守る立場の職業でありながら、内側の世界では「もう発達障害の人は絶対に採用しないでください。まともに仕事をしている私たちに迷惑です」とはっきり主張する人たちが実に大勢います。
これではダメなのです。児童クラブの使命はこどもの健全育成です。育成支援においては、人格の形成においてこどもたちの主体性を大事にしてこどもたちが自ら育っていくことを支援、援助することが児童クラブ職員に求められます。こどもが知らずにいた生活習慣や社会規範を職員が指導、教示することは当然にあるとしても、「こどもが、自ら考えて行動する」ことを欠かさないのが児童クラブにおける育成支援の根底に横たわっているものと私は考えています。
ですから「困った人を動かすテクニック」などは不要なのです。むしろ邪魔な考え方です。そもそも「困った人」を作り出す、レッテルを張って生み出すことも絶対にダメです。職員からみて「あいつは困った奴だ」というのは、その1つの行動(例えば、窓ガラスを意図的に割った)ということに対して湧き出る感情としてはあるとしても、「あいつの存在そのものが困る。困った人だから」という決めつけ、レッテルは決して貼ってはならない。むしろ、私は言いたい。「そういう困った行動をする人の支援こそ、あなたの、わたしたちの仕事だよ」と。
人を動かす、と似たような行為で、判断がつきかねて先の選択に迷っているこどもに対して、支援や援助(ヒントを出す、いくつかの解決策を提示することで考える機会を作る等)することで、その先にこどもが進むことを促すことは、あるでしょう。しかしそれは本質的に、「誰かを思いのままに動かす」ということとは違います。自称カウンセラー氏の書物ではまさに「困ったことしかしない同僚や職場の人を、上手に操る、動かす」という観点にあると想像できますから、児童クラブにおける育成支援の「こどもたちが自分で考えて選択、行動することを支援し援助する」とは根本的に異なるのです。
ここを児童クラブの方々には勘違いしてほしくないですし、児童クラブと関わる保護者や行政関係者にも勘違いしてほしくはありません。
また児童クラブの事業者に対しても同様です。確かに現実的に、いわゆる発達障害とくくっている人たちが多く児童クラブで働いています。その人たちを「うまく転がす、扱い操縦していく」という考えは捨ててほしい。同じように「あの人は困った人だ」という決めつけは絶対にしないでいただきたい。確かに児童クラブの業務内容は、いわゆる発達障害の方には不向きなものが数多い。ですから担ってもらう業務を限定したり、業務量を適正にコントロールすることで負担を減らすなどの配慮が必要です。それは事業者であれば当然のことで、そのことを負担と思ってはならないのです。
雇う、雇わないは別の話。発達障害のある方をむしろ進んで雇いなさい、とはいいません。児童クラブの中核的な業務は本質的にいわゆる発達障害の方には困難な業務が多いのは事実です。しかし、雇用した以上、どんな事情がある人でもその人の能力に見合った仕事をしてもらって賃金を支払うことは当然の責務です。仕事でミスを繰り返す人だって生活があり、家庭だってあるでしょう。その人の立場になって一緒に考えることを事業者や同僚職員には実行してもらいたい。こどもを意のままに動かすことが児童クラブの本旨ではないのと同じように、働きにくさに悩みながらなんとか働いて生きていきたいと思っている人の気持ちや立場を理解して、限界は当然あるとしても、できうる限りの配慮をするべきです。寄り添い、一緒に考えて悩んでください。私はその点、雇用主だった時期における自身の過去の行動に悔いが残ります。能力や特性によって仕事の上で悩んでいる人たちと、その悩んでいる人たちに対して悩んでいる人たちに対して、できることが沢山あったはずであろうと。
最後に一言。繰り返しですが、児童クラブに関わる人たちには、「誰かを困った人だと、決めつけてほしくない。こどもであれ、職員であれ、保護者であれ、誰にでも」です。そして「こちらが楽になるように、便利になるように、相手を動かす、操縦する、操るというような考えは絶対に捨ててほしい」。意のままに動かしたいのであれば、ロボットでも使用しなさい。人はロボットではない。権利を持ち、人としての尊厳を備えているのです。まあ、今どきのロボットは、一方的に偏った考えの人間の指示に修正を求めることがあるかもしれませんが。そしてぜひ、職場における人間関係の難しさを描いた、わたしの作品「がくどう、 序」をお手に取ってください。
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弊会は、次の点を大事に日々の活動に取り組んでいます。
(1)放課後児童クラブで働く職員、従事者の雇用労働条件の改善。「学童で働いた、安心して家庭をもうけて子どもも育てられる」を実現することです。
(2)子どもが児童クラブでその最善の利益を保障されて過ごすこと。そのためにこそ、質の高い人材が児童クラブで働くことが必要で、それには雇用労働条件が改善されることが不可欠です。
(3)保護者が安心して子育てと仕事や介護、育児、看護などができるために便利な放課後児童クラブを増やすこと。保護者が時々、リラックスして休息するために子どもを児童クラブに行かせてもいいのです。保護者の健康で安定した生活を支える児童クラブが増えてほしいと願います。
(4)地域社会の発展に尽くす放課後児童クラブを実現すること。市区町村にとって、人口の安定や地域社会の維持のために必要な子育て支援。その中核的な存在として児童クラブを活用することを提言しています。
(5)豊かな社会、国力の安定のために必要な児童クラブが増えることを目指します。人々が安心して過ごせる社会インフラとしての放課後児童クラブが充実すれば、社会が安定します。経済や文化的な活動も安心して子育て世帯が取り組めます。それは社会の安定となり、ひいては国家の安定、国力の増進にもつながるでしょう。
放課後児童クラブ(学童保育所)の運営支援は、こどもまんなか社会に欠かせない児童クラブを応援しています。
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放課後児童クラブを舞台にした、萩原の第1作目となる小説「がくどう、序」が発売となりました。アマゾンにてお買い求めできます。定価は2,080円(税込み2,288円)です。埼玉県内の、とある町の学童保育所に就職した新人支援員・笠井志援が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。リアルを越えたフィクションと自負しています。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、群像劇であり、低収入でハードな長時間労働など、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。残念ながら、子どもたちの生き生きと遊ぶ姿や様子を丹念に描いた作品ではありません。大人も放課後児童クラブで育っていくことをテーマにしていて、さらに児童クラブの運営の実態を描くテーマでの小説は、なかなかないのではないのでしょうか。素人作品ではありますが、児童クラブの運営に密接にかかわった筆者だからこそ描けた「学童小説」です。ドラマや映画、漫画の原作に向いている素材だと確信しています。商業出版についてもご提案、お待ちしております。
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弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイスが可能です。ぜひご検討ください。
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放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかご検討ください。
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「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
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(このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも共感できる部分がありましたら、ツイッターで萩原和也のフォローをお願いします。フェイスブックのあい和学童クラブ運営法人のページのフォロワーになっていただけますと、この上ない幸いです。よろしくお願いいたします。ご意見ご感想も、お問合せフォームからお寄せください。出典が明記されていれば引用は自由になさってください。)
(宣伝です:放課後児童クラブのエアコン機器の点検と清掃を考えている方に朗報です。弊会をバックアップしてくれている、埼玉県上尾市の「SVシステム株式会社」(埼玉県上尾市の電気・空調設備施工管理会社|点検・修理・メンテナンス|SVシステム株式会社)が、「児童クラブ限定」で、格安にエアコン機器の点検と清掃を承ります。上尾市に比較的近い地域であればお伺いできます。見積はもちろん無料です。技術者のスキルは超一流。私が以前、児童クラブ運営事業者だったときからの長いお付き合いです。弊会お問い合わせメールで連絡先をお送りいただければSVシステム社に転送いたします。直接のご連絡も、もちろん大丈夫です。夏前にぜひ、エアコンの点検を!)