<運営支援ブログ・ミニその10> 多摩市の実家に来たので、わたしの小学生時代の放課後の話など。学童キャンプが鬼だった!
放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)運営者をサポートする「運営支援」を行っている「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブを舞台に、新人職員の苦闘と成長、保護者の子育ての現実を描く、成長ストーリーであり人間ドラマ小説「がくどう、 序」を書きました。アマゾンで発売中です。ぜひ手に取ってみてください! (https://amzn.asia/d/3r2KIzc) お読みいただけたら、アマゾンの販売ページに星を付けていただけますでしょうか。そして感想をネットやSNSに投稿してください! 最終目標は映像化です。学童の世界をもっと世間に知らせたい、それだけが願いです。口コミ、拡散だけが頼みです!
今回はミニ。分量は多いですが中身がミニ、ということでご了承を。わたくしが社会人になるまで過ごした東京都多摩市の実家に来たので、わたくし自身の学童体験を紹介します。単なる思い出話です。実のところ、放課後児童クラブに関して千葉県柏市の児童クラブ民営化の話や、児童クラブの質の評価をはじき出す公式のことなど書きたいテーマがあるのですが、それはまた週明けに取り上げます。
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<1970年代後半から80年前後の出来事です>
わたくし萩原は1970年1月生まれ、年度でいえば昭和44年度です。多摩市は「多摩ニュータウン」の整備で人口が急増していた時代です。とはいえ、わたくしの実家がある連光寺地区はニュータウン計画のほとんど区域外でしたから、1980年ぐらいまでは、昔の武蔵野の雰囲気を色濃く残していました。丘陵地帯で、谷になっているところでは湧水が湧いていて、カニもいました。実家のすぐ近くに「1等三角点」があるぐらい、実家は丘の上に、ポツンと一軒家状態で、当時はニュータウン開発でブルドーザーが何台も行きかって宅地造成をしている景色がずっと広がっていました。私の小学生の低学年時代の「音(サウンド)」といえば、ブルドーザーの豪快なエンジン音です。いまでもブルドーザーのエンジン音を聞くと条件反射のように、こども時代を思い起こします。もっともその後、次第に宅地開発が進みだして、雑木林は無くなってアパートやマンションが建つようになり、今ではすっかりごく普通の郊外のよくある地域になりました。
なお、今なおわずかに残った当時の雰囲気は、地域の団体が保存活動をして守っているとのことです。「連光寺・若葉台里山保全地域」として東京都にも指定されているとのことです。(50 連光寺・若葉台里山保全地域|保全地域の指定状況|東京都環境局)
両親はずっと共働きでしたから、私の小学生時代の放課後の過ごし方は「家で留守番」したり「児童館で過ごす」の2つのパターンでした。ほとんど、おそらく8割ぐらいの期間は自宅で留守番でしたね。連光寺小学校から自宅までおそらく片道3キロ近く、毎日往復していたのですから、今の時代では考えられないでしょうか。冬になると日が暮れかけてすっかり暗くなった雑木林の中の道をトボトボ歩いて帰っていました。
そういえば埼玉に住んで子育てするようになって驚いたのは「登校班」「下校班」という集団での登校、下校の仕組みが整っていたことでした。わたし自身にはそういう経験がなかったものですから。兄と一緒に登校したり、仲の良い友達(古川君! 元気かな)と一緒に行き帰りしたり、一人で帰ったりしていましたね。事件事故に遭遇するおそれは、実は今も昔もそう変わりないと個人的には考えています。変質者はしょっちゅう出没しましたし、小学4年生のころは、下校中の私の目の前で男性が道路を走行中のタクシーに飛び込んではねられ、数メートルも空中を飛んだのを目の当たりにしました。タクシーの運転手さんが「あの人が飛び込んだって、これからおまわりさんに様子を話してくれるかな?」と必死だったことを覚えています。当時は毎日、日記を学校に提出することになっていて、私は「事故の目撃者としておまわりさんの商人になりました」と書いてしまい、担任の半田先生(とても優しい素敵な先生でした!)に「証人」と赤ペンで書き添えられていたことを今でもはっきり覚えています。
まあ、そんなこんなで、いわゆる「かぎっ子」でした。とはいえ、3人兄弟でしたから、留守番をしていれば2つ年上の兄はしばらくすれば帰ってきました。5つ年下の弟は保育所でしたから帰りは遅かったですが。
いま断言できるのは、当時は「学童保育」ということばも、まして「放課後児童クラブ」という単語も、耳にしたことがありませんでした。当時、私の住んでいた地域で、自宅で留守番ができないこどもは「児童館」に行くことになっていました。連光寺小学校のそばにも児童館があって、私も時折、その児童館に行きました。特に、留守番の時間が長くなる夏休みは、朝に親に児童館に車で連れていかれ、夕方までそこで過ごすという日も、結構ありました。もっとも、当時は今より何倍もこどもの人数が多い時代で、児童館に通っていたのはそんなに多くなかったですね。ほとんどが地域で過ごしていました。私も児童館に行かないときは地域の「こどもたちのグループ」に入って過ごしていました。ケイドロをしたりキックベース、ハンドベースをしたり、隣の「東部団地」のこどもグループと戦争(ごっか?)になってエアガンでお互いに撃ち合ったということもしていました。なお小学4年生の夏休み以降、週に2回、5年生では週に3回、聖蹟桜ヶ丘駅の学習塾に通わされました。当時、地域で学習塾に通っているこどもはいませんでしたから、嫌でしたねぇ。中学2年生で塾はやめてしまいましたが、逆にその頃は周囲のほとんどが塾に行きだしていましたね。
<夏休みのキャンプ>
児童館は結構楽しくて、本は結構ありましたし、私の好きな「軍隊将棋」があって、よく遊んでいました。ただ、どうしても嫌なことがありまして。それは1学年上のハヤシ先輩です。東部団地グループの子で、さしづめ「ジャイアンと、のび太」の関係みたいに、しょっちゅう私はハヤシ先輩の家来のように、いろいろとこき使われていました。
さて夏休みの児童館は、キャンプが目玉行事でした。小学2年生だったか、もしかしたら3年生だったかもしれません。場所は奥多摩のキャンプ場です。内心、ハヤシ先輩と同じ班は嫌だなぁと思っていましたが得てしてこういう場合は同じ班になるものです。だいたい、ほとんど一緒に過ごしているわけですから仲良しグループと思われるのも当然です。前日の準備はこどもたちで行いました。テントの道具を点検するときも、ハヤシ先輩にこき使われていました。当日、電車好きな私は普段は乗れない奥多摩線に乗れることがうれしくて、石灰岩の輸送列車をけん引する電気機関車(=ED16。名機です)をたくさんみることができてはしゃいでいたのですが、それもまたハヤシ先輩に「お前はうるせーんだよ」と、どつかれました。
児童館にはもちろん、今でいうところの児童指導員の先生たちもいました。先生たちはとても優しくていろいろと教えてくれましたが、ハヤシ先輩にひどいことをされたと私が訴えてもそのことについては「仲良くしなさい」でいつも片づけられていましたね。キャンプの時も先生に「いろいろ言いつけられて困る」と言ったんですが、それもまた「まあ仲良くしなさいね」で終わってしまいました。キャンプの設営も荷物運びもあれこれやらされて、非力な私はへとへとでしたね。
極めつけは夜のキャンプファイヤー。ハヤシ先輩に「始まるから、全部のテントを回って全員連れてこい」と命令されたので、あちこちのテントを回って声をかけていました。全部のテントを回って戻ったころにはキャンプファイヤーが始まっていたのでとても悲しくなったことを今でも覚えていますね。
次の日、終わって児童館に戻ったとき、「もう嫌だ」と思ってそれから児童館にあまり行かなくなりました。
今の時代の児童クラブも、職員が決して多くないですし、こども同士の中のやりとりについてすべてを把握するのは、なかなか難しいでしょうから、こども同士のあつれきやトラブルがきっかけでクラブを辞めてしまうということは、残念ながらあります。のちにクラブを運営するようになって、私は何度も保護者からおしかりを頂きました。「もっとこども同士のことに職員の目を行き届かせてください」と。その都度、頭を下げておわびをしていましたが、40人も50人も、70人もいるクラブで職員が5~6人では、すべてのこども同士のやりとりを常に即座に把握することは事実上、不可能です。そうはいっても、「無理ですから」では片づけてはなりませんが、やはり国がもっと児童クラブの運営費を増やして人件費をたくさん確保できるようにならなければ、こどもの支援、援助が適切にできるだけの職員数はなかなか確保できないでしょう。
さて、その後の私ですが塾にも通い始めたので児童館にはたまにしか行かなくなりました。だいたい、ハヤシ先輩に会いたくなかったので。小学校では学年が違うのでそうそう一緒になることはありませんが児童館に行けばすぐに寄って来るのですから。
こうして、ほとんど良い印象を持たずに終わった夏のキャンプですが、それでも中学生になったとき、こんどは別の地区の児童館の夏のキャンプのボランティアとして2年連続で参加しました。それはまた、いつか振り返りましょう。今にして思えば、昔から学童キャンプのようなイベントはやっぱり好きな性格だったんでしょうね。
最後に。高校は私立高校に進みました。試験というものが嫌だったので人生において試験が少ないルートを選ぼうと思い、大学の付属高校、それもテストで大学入学が決まるのではない、完全に内部進学ができる高校を選んで受験した結果です。第一志望ではありませんでしたが、第二志望の高校ではあったので、まあいいか、と自分を納得させて進学しました。
まだ高校1年生の4月、朝の聖蹟桜ヶ丘駅のホームで「おお、和也じゃないのか?」と声をかけられました。なんか昔によく聞いたことがある声に似ている。振り返ると、ニコニコと笑顔の男が立っていました。ハヤシ先輩でした! 「そうか、高校生になったんだね。学校はどこ?」と聞かれ、内心、凍り付きながらも「ちゅ、ちゅうふです」と答えました。「後輩か! よろしくな!」と言われてさらに凍りました。ハヤシ先輩も同じ高校に進んでいたのです。ところがハヤシ先輩、児童館で見ていたおっかない雰囲気は皆無で、「懐かしいね、児童館でいっぱい遊んだね」というではありませんか! よくある、「いじめっ子は当時の楽しい思い出を懐かしめる」ということです。とまれ、再会したハヤシ先輩はすっかり優しい良い人になっていました。私がちょっと血迷って頭髪にパーマをかけたとき(学校はパーマ禁止でしたが、ちょっと抵抗してみたくなったのでした)には、「頭、バクハツしてんじゃん! 似合わないぞ」と笑ってくれたものです。田原俊彦のような髪形を目指したのですが、毛髪の質がパーマに合わなかったようで、髪型がツバメの巣のようになってしまったのです。それ以来、今に至るまでパーマなるものはしていません。
多摩市は児童クラブで待機児童が出ている地域のようです。兄夫婦はこども3人、地元の児童クラブをずっと利用していたましたが、そういえば「待機にならないでよかった」と兄夫婦が話していたのを思い出しました。今も児童館は残っているようです。こどもたちの居場所として今後も地域のこどもたちと保護者のために、ずっとあり続けてほしいものです。
(お知らせ)
<新着情報!> 2025年6月から放課後児童クラブ(学童保育所)の新規設立と日本版DBS制度への対応に際してご相談者様、ご依頼者様からのニーズに万全対応を期すべく「イオリツ行政書士事務所」(佐久間彩子代表)と、業務上において連携することと致しました。
弊会に寄せられた児童クラブ新規設立のご相談、ご要望に際しては、児童クラブ全般の説明や業務設定の支援を弊会にて行い、クラブ設立に関する具体的な相談や手続きにつきましては、イオリツ行政書士事務所にて対応となります。また、日本版DBS制度につきましては、弊会は事業者の労務関係面の対応助言や必要規程の整備を担当し、イオリツ行政書士事務所が制度の説明や、認定事業者を得るための具体的な手続きの説明や代行面を担当いたします。
佐久間氏は、「日本一、学童保育に詳しい行政書士を目指す」として2025年度から事業を開始された気鋭の行政書士です。児童クラブに関しても豊富な知識を有しており、また実際に保護者運営系の児童クラブの利用者であり運営にも関わっておられるので、児童クラブに関する業務についてはまさに最適任です。
児童クラブの新規設立や運営主体の変更の手続き、また日本版DBS制度の全般的な相談には、ぜひとも「イオリツ行政書士事務所」まで、お問い合わせいただけますと幸いです。
「イオリツ行政書士事務所」(https://office-iolite.com/)
代表者:佐久間 彩子(さくま あやこ)
所在地:〒231-0048 神奈川県横浜市中区蓬莱町2-6-3 KOYO関内ビル406
もちろん、イオリツ行政書士事務所は日本版DBS制度についてきめ細やかな事業者様のサポートが可能です。
・認定取得に向けた申請書類の整備/相談
・導入/管理体制の構築、運用のサポート
・職員/保護者向けの説明サポート
・制度や法令に関する最新情報の提供
・就業規則等の整備、労務関係面の対応助言(弊会も連携して対応いたします)
日本版DBS制度についてのご相談は、弊会並びにイオリツ行政書士事務所まで、ぜひご相談ください。(https://dbs.office-iolite.com/)
※新着情報はここまで。「お得情報」が下にあります!
〇弊会は、次の点を大事に日々の活動に取り組んでいます。
(1)放課後児童クラブで働く職員、従事者の雇用労働条件の改善。「学童で働いた、安心して家庭をもうけて子どもも育てられる」を実現することです。
(2)子どもが児童クラブでその最善の利益を保障されて過ごすこと。そのためにこそ、質の高い人材が児童クラブで働くことが必要で、それには雇用労働条件が改善されることが不可欠です。
(3)保護者が安心して子育てと仕事や介護、育児、看護などができるために便利な放課後児童クラブを増やすこと。保護者が時々、リラックスして休息するために子どもを児童クラブに行かせてもいいのです。保護者の健康で安定した生活を支える児童クラブが増えてほしいと願います。
(4)地域社会の発展に尽くす放課後児童クラブを実現すること。市区町村にとって、人口の安定や地域社会の維持のために必要な子育て支援。その中核的な存在として児童クラブを活用することを提言しています。
(5)豊かな社会、国力の安定のために必要な児童クラブが増えることを目指します。人々が安心して過ごせる社会インフラとしての放課後児童クラブが充実すれば、社会が安定します。経済や文化的な活動も安心して子育て世帯が取り組めます。それは社会の安定となり、ひいては国家の安定、国力の増進にもつながるでしょう。
放課後児童クラブ(学童保育所)の運営支援は、こどもまんなか社会に欠かせない、あらゆる児童クラブを応援しています。
☆
弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイス、メディア対応が可能です。ぜひご連絡ください。
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放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。
さらに運営支援からの書籍第2弾として、放課後児童クラブを舞台にした小説「がくどう、序」を発売しました。埼玉県内の、とある町の学童保育所に就職した新人支援員が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。もちろんフィクションですが、リアリティを越えたフィクションと、自信を持って送り出す作品です。残念ながら、子どもたちの生き生きと遊ぶ姿や様子を丹念に描いたハートフルな作品ではありません。大人も放課後児童クラブで育っていくことをテーマにしていて、さらに児童クラブの運営の実態を描くテーマでの小説です。児童クラブの運営に密接にかかわった筆者だからこそ描ける「学童小説」です。ドラマや映画、漫画の原作にも十分たえられる素材だと確信しています。
この2冊で、放課後児童クラブの世界をかなり知ることができると運営支援は自負しています。いわゆる日本版DBS制度において、放課後児童クラブと関わりができるであろう弁護士や社会保険労務士、行政書士といった各士業の方々には、放課後児童クラブの世界を知るにはうってつけの書籍となっています。他の業種、業態とかなり異なる、ある意味で異質の業界である児童クラブについて知ることができる、運営支援からの2冊を士業の方々には、ぜひご活用ください。
☆
「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
☆(お得情報!)
(放課後児童クラブのエアコン機器の点検と清掃を考えている方に朗報です。弊会をバックアップしてくれている、埼玉県上尾市の「SVシステム株式会社」(埼玉県上尾市の電気・空調設備施工管理会社|点検・修理・メンテナンス|SVシステム株式会社)が、「児童クラブ限定」で、格安にエアコン機器の点検と清掃を承ります。埼玉県や上尾市に比較的近い地域であれば県外でもお伺いできます。見積はもちろん無料です。技術者のスキルは超一流。私が以前、児童クラブ運営事業者だったときからの長いお付き合いです。弊会お問い合わせメールで連絡先をお送りいただければSVシステム社に転送いたします。直接のご連絡も、もちろん大丈夫です。夏前にぜひ、エアコンの点検を!)
☆
(ここまで、このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも共感できる部分がありましたら、ツイッターで萩原和也のフォローをお願いします。フェイスブックのあい和学童クラブ運営法人のページのフォロワーになっていただけますと、この上ない幸いです。よろしくお願いいたします。ご意見ご感想も、お問合せフォームからお寄せください。出典が明記されていれば引用は自由になさってください。)
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