資格を持つ立場の責任をわきまえ、職業倫理に従うことは、業界の健全な発展と社会からの理解及び支持に必要だ。

 放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。SNSにはあらゆる分野において、連日、驚くべき投稿が数多なされています。私はSNSの投稿が及ぼす影響を過小評価していはならないと考えています。ほとんどが匿名アカウントの投稿であっても、驚くべき投稿が示す内容が繰り返されれば、それを目にした人たちが増えていき、その驚くべき投稿内容が示すところが、やがて常識的理解へと発展していくおそれがあると、私は考えています。
 (※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)

<職業倫理。プロフェッショナルとしての使命を守ること>
 すべての職業、すべての仕事に、職業倫理はあります。それは一般的に広く通用していたり、職業に関する団体が独自に制定していたり、事業者が独自に掲げていたりするものです。たとえば日本看護協会には「看護職の倫理綱領」があります。保育の世界にも「全国保育士会倫理綱領」というものがあるようですね。

 私がかつて身を置いていた新聞記者の世界にも職業倫理がもちろんありました。新聞社にはいろいろと守るべき理念を記したものがあったと記憶しています。恥ずかしながらそれはまったく覚えていませんが、それでも記者として絶対に譲れない、守り抜かねばならない職業倫理は、しっかりと叩き込まれましたし、自分でも意識して忘れることはありませんでした。取材源の秘匿、社会正義の実現、弱者の声なき声に耳を傾け世に伝えていくことなどです。
 私が新人記者だった時代の話です。企業の事務所を標的とした連続窃盗事件の判決公判が地方裁判所で行われることになり、私は傍聴のため裁判所に向かいました。もちろん、判決内容を記事にするためです。この事件は私の勤め先の新聞社が得ダネとして何度も報じていたもので、起訴や初公判、求刑の内容も報じていました。判決は当然ながら報じるニュース価値があるものでした。とはいえ、世間一般が注目するような事件ではありません。傍聴席にはそれまで一般の方がいた記憶はありませんでした。
 判決公判の日、私は某公共放送の記者と一緒に傍聴席に向かいました。某公共放送も事件を報じていたので判決内容を報道するために私と一緒に傍聴席に赴いたのです。傍聴席に入ると、高校の制服姿の女性がいました。いままでそのような傍聴人はいなかったので驚いた記憶は今も鮮明です。判決はすぐに出ました。いわゆる実刑判決です。常習累犯窃盗であり、比較的長めの懲役刑が言い渡されました。
 県警の記者クラブに戻ってすぐに記事を出稿しようと立ち上がった私たちのもとに、その女性が近づいてきました。「記事になるんですか?記事にするんですか?」とその女性は私たちに声を掛けてきました。戸惑う私たちに向かってその女性は「私は判決を受けた者の娘です。あんなだらしない人でも私には父親です。これ以上記事になったら私は退学になるかもしれない、生きていけなくなるかもしれない。どうか記事にしないでください」と泣きながら何度も頭を下げてきたのです。
 私は「お気持ちはよく分かります。とてもつらいということも分かります。でもどんなにつらい事情があっても報道しなければならないことというのもあります。記事にしないという約束はできませんし、記事になると思います。それで大変なことになったら連絡してください」というようなことを言った記憶があります。それを聞いた女性は諦めたのか、その場を駆け足で立ち去った記憶があります。
 この出来事は今になっても私を捉えて離しません。個人の人権、人生と、公益と称される報道の自由とのバランス、調和。そう簡単に結論がでる問題ではありません。よって苦悩するのです。記者であれば多かれ少なかれ、同じような「人権と報道のバランス」に思い悩むものです。

 このことはいかにも「マスゴミ様が偉そうに」と厳しい批判を浴びそうな出来事です。「その子の人生、家庭を破壊するようなことをして平然としていられるのか」という批判を受けて当然の出来事です。ですが、物事は単純ではない。1つの立場だけで考えられることでもない。実際、この連続窃盗の被害を受けた事業者の取材もしましたが、決して大きな企業ではない事業者が何十万円も盗まれて、担当者が頭を抱えて「悔しいです」と涙ながらに語っている姿も取材しています。実際に被害を受けてその後始末に苦しんでいた多くの関係者にとっては、実刑判決は喜ぶべきことでしょう。
 そもそも事件を報道する必要があるのか?という指摘もあるでしょう。それについては「人間は、知らなければ、知らないことに対する考えも方策も何も思い浮かばない」ということを私は指摘します。思想は言うに及ばす、現象にしても、自分と自分の身の回り以外の世界での思想や現象を知らぬまま生きていくことは、多くの見知らぬ人と関わっていかねば生きていけない人間にとって好ましいことではありません。知識を積み重ねないこと、知識を広げないことが人間の生活の範囲と質の向上にどれほどの悪影響を及ぼすか。人類はその長い歴史の中で地球は球体であることを確認し、地動説を確信し、万有引力に気づき、(特殊・一般)相対性理論を見出した。「知識」「情報」は社会が健全に発展するために必要なものです。報道はその限りにおいて必要なことです。書籍だってインターネットだって同じことでしょう。
 当時もそうですが、今になっても、「絶対的に正しいことは、こういう行動をとることだった」という確証は私にはありません。その女性とはそれきり、連絡もあるはずもありませんでした。制服から高校はすぐに分かりましたが、だからといって連絡を取るわけにもいきませんでした。

 どの職業にも、仕事にも、仕事をするうえでいろいろな悩みにぶち当たり、直面し、その解決法を見出せず苦労することでしょう。それは仕事に資格の有無は関係ない。その職業が社会に対して負う責任と、その職業(とその世界)が直面する種々の難問、課題、困難との間に、早期に解決が必要であってもなかなか解決ができず、職業が社会に対して負う責任を全うできない事態も、往々にしてあるものです。放課後児童クラブでいえば、施設数が足りない、施設そのものの設備が貧弱である、職員数も足りないなどとして、「ギュウギュウ詰めの大規模児童クラブなのに職員が数人しかそろっていない」という、実によくある事態がまさにそうです。そこで働く職員は「こんなことでは児童クラブの責任を果たせない。放課後児童支援員としてその職務を果たせない」と苦悩するのです。この現状を解消しようと昔から今に至るまでいろいろな人がずっと改善を求めて声を上げていますが、なかなか解消しない。それでも、児童クラブに関わる人たちの中には、改善を求めて声を上げ続け、行動を続けている人がいます。それは「職業倫理があるからこその責任感の現れ」だと私は理解しています。

<課されている責任を裏切ってはならない>
 放課後児童クラブは次代を担う児童の健全育成のためにある、とても重要な仕組みです。そこで働く者には国家資格ではないものの公的な資格である放課後児童支援員はである者がいますし、資格がない人もいます。国は、放課後児童クラブで児童の健全育成に従事する者に対して「健全な心身を有し、豊かな人間性と倫理観を備え、児童福祉事業に熱意のある者であって、できる限り児童福祉事業の理論及び実際について訓練を受けた者でなければならない。」と定めています。それをまっとうすることが児童クラブに従事する運営者と実際の支援者に課せられた責務です。

 私は社会保険労務士の試験に合格しました。いずれ社会保険労務士として登録し、国家資格者として活動を行っていくことになります。社会保険労務士法には「社会保険労務士は、常に品位を保持し、業務に関する法令及び実務に精通して、公正な立場で、誠実にその業務を行わなければならない。」と定められています。正式にはまだ社労士ではない私ですが、法律に定められたこの内容は当然、自らにも課せられていると考えています。ですので、労働基準法とか、労働安全衛生法とか、労働契約法、健康保険や国民年金、厚生年金など業務に関する法令や実務に背く内容のことは決して行ってはならないと固く信じています。決して「時間外勤務手当?ああ、そんなの払うことなんかないよ」とは言いませんし、そう思う人に対しては「法に定められたとおりにしなければなりません」と忠告する立場です。

 どんな資格であれば、同じことでしょう。資格に対して課せられる責任や使命を裏切ってはならない。裏を返せば、資格に対して課せられている責任や使命を、資格を持つ人たちが常に全うしているからこそ、社会はその資格とその資格者に敬意を払うのです。

 いわんや、法令は守らねばなりません。「自分はこのことに納得がいかない。だから、法を逸脱しても、法を破っても仕方がない」とは、決してなりません。「法を守れないのは、劣悪なこういう状況にあるからだ。それは、劣悪な状況を放置している政治や行政や社会が悪いから、法を守らない私自身には何ら責任は及ばない」というのは、この法治主義社会においてとても許される言動ではありません。

 その職業、職場を苦しめている状況があるなら、それはもちろん改善を求めて行動するべきですし、法令が時代の現実に即していない、現状を適正に反映していないというのであれば法令の改正を求めて行動することです。資格者が従事することになっている職業、職場においては、その資格者に課せられた使命でもあるでしょう。資格者が、その資格に課せられた使命を放置して、あるいは劣悪な条件であるからとして使命を無視し、あるいは曲解して、「その条件が是正されない限り、自分は資格が求めている使命を果たす考えはない」という理解を仮に持っているというなら、私は言いたい。「その資格を返上しなさい」と。改善を求めて声を上げ活動をしていれば、その資格に社会が期待している使命を放棄しても許されるという関係には絶対にならない。
 どんな大規模児童クラブでも、「大規模だから子どもの安全を守りません」とは決して考えてはならない。その状況において最善を尽くして子どもの健全育成のために資格者としての職分を果たすことは、少しも揺るがしてはならない大前提であると、私は考えています。大規模の改善を強く求めることは必要。だからといって、「子どもの健全育成」を半ば人質のようにして「これが実現されない限り、資格者として求められる使命を私は遂行しませんし、遂行されない事態はやむを得ない当然のことと理解する」という考えは、その資格を制定した社会の期待を完全に裏切る致命的な自殺行為であると、私は考えます。

<黙認してはなりません>
 私は放課後児童クラブの世界を対象に活動をしています。よって、放課後児童クラブの中の世界で活動をしている方、それが資格者であろうとなかろうと、児童クラブに対して社会が期待することを裏切って平然としている行動や言動は看過しません。「ダメなものは、ダメ」と言います。それは制度に対しても同様です。近く実施される日本版DBS制度もそうで、私はこの制度そのものに反対はしていませんが、この制度が及ぼすことが懸念される不利益な点については考えうるかぎりにおいて縮小することが必要であるとも考えます。常習的に性犯罪を繰り返して何度も有罪になった経緯を持っていた人が児童クラブにおいて職員として雇用されていたことがこの制度で判明した結果、その者に対して職を続けさせることを断念させる措置は必要と考えますが、一般的に考えて軽微で1回限りの前科である、あるいは前科の事実は本当はなかったのに事情によってやむなく罪を認めたであろうことが状況からうかがえ、その後はまったく何の前科前歴もなく平穏に生活をしている人がこの制度で職業や人生をも棒に振るような事態に追い込まれることは、あってはならないとも考えます。
 「それはどうなの?ちょっと、おかしいと思う」という声もまた、挙げていかねばならないとも考えているのです。

 資格がある人が、資格に関連する職務において、法令違反を是認するような主張や行動をしていることを目にしたときには、「それは違う」と、その資格を持つ人であれば率先して是正するような行動をとる。それもまた職業倫理に基づく責任ある行動だと私は考えます。どんな劣悪な条件、状況であっても、法令を破ることはあっていい、昔の流行語でいうなら「造反有理」は、社会がその責任を期待する資格の世界であればことさら許されるものではないと、私は考えます。法令を破ることを宣言している者をいさめない、同じ有資格者も半ば同罪だと考えます。それを具体的に表現するか、あるいは心の中に留めるかは、現実的な状況もあるのでそこは何とも言いません。具体的に指摘できる人は指摘するべきですし、何らかの事情でアクションを表に出せない人は、心の中でそう思ってほしいし、あるいは実際の自分の職場において「こういうことを訴えている人がいるけれども、決してそうではないので、自分たちはしっかりやっていこう」と、口にしてほしいのです。

 またSNSを見る不特定多数の人にはもちろん、相応の社会常識を備えて日常生活を送っている人だっているでしょう。そういう人たちが、法令違反を是認する投稿をみたり、その投稿に対して誰も指摘をしなかったり、「そういう投稿をする人も、その投稿をいさめる人も、どっちもどっち。楽しい仕事であることが分かればいいじゃないか」という意見の投稿を見た時に、「この職業に属する人たちは、法令違反の主張を放置して、ただ楽しい仕事であればいいじゃないかと本気で考えているわけ?そういう人たちが多くいる職業に資格を与える意味がある?」と思うことは、その資格に属する人たちは、まったく考えないのでしょうか。私なら思いますよ。「その資格の世界に属する人たちって、もしかして、社会的な規範の重要性を理解できない人たちだらけなの?」と。

 SNSは閉鎖的な空間ではありません。「嫌なら自分の投稿を見なければいい」という理屈を仮に打ち出す人がいるとしたら、その人はSNSを理解していませんし、「公共における言動」についての理解が根本的に欠けています。世界中の誰もが投稿を目にすることができる点で、SNSは公共の場と等しく、そこにおける投稿は自由な言論活動です。言論の自由はもちろん最優先に保障されるべきですが、同時に、その言論(SNSなら投稿内容)がもたらす影響や動きについて、発信者は責任を負うことになります。「見たくなれば見なければいい」というのは、「公共の場には、相手(それは個人でも、社会でもある)がいる」という当然の大前提をそもそも理解していない。仮に「見たい人だけ見ればいい」というのであれば、投稿を見られる人を限定していなければなりません。限定していれば、「見たい人だけが見ている」という主張は根拠があるでしょう。不特定多数の人が見られる状態にしておいて、自分の投稿は限られた人にだけ向けていますという主張は根拠に欠けます。

 私が恐れるのは、資格の有無に限らず、ある職業の方から発せられた発信内容についてそれが正しいのかどうかを常に冷静に判断、判定できる基準を、発信内容を目にした、見聞きした不特定多数の人が、必ずしも身に着けているとは限らないということです。「大規模な児童クラブでは子どもの人権は守られなくて当然である」という主張を目にした不特定多数の人が、どれだけ児童クラブの世界のことを知っているのでしょうか。「ああ、そんなものなのか。大規模で職員がとても目に届かない子どもがいる環境なら、子どもの人権は守られないものなんだな」という理解をされることは、絶対に合ってはならないのです。世の中の多くの人が、児童クラブであろうがマスコミであろうが、学校や保育所であろうが、その世界の現状や規範について詳しく理解しているわけではないですし、むしろ、理解していない人の方が当然多くいるだろうと考えるべきです。よって、それは間違っているという主張を見聞きしたときは、できうる限り、その違う点について指摘だけはしてほしい、まして資格者が関与する職業の範囲内であるならなおさらです。議論までは求めません。「それは、こういう理由があるので、違います、私は違うと考えます」という指摘だけでいいのです。その指摘を見た不特定多数の人が、「なるほど、そういう事情もあるのか。一方的に、うのみにはできないんだな」と気付くことが何より重要だからです。
 「あの人には何を言っても無駄。無視が一番」と黙殺を決め込んで高みの見物をしている人が、私は大嫌いです。仮に資格に関する世界の出来事であって、資格者が高みの見物を決め込んでいるのであれば、その見物者を私は軽蔑します。もっとも、SNS等で発信することだけがすべての意見表明ではないので、SNSという限られた世界ではなく、その方の周囲や職場で「こういう意見が今、広まっているけれど、そうではないと私は思う」と言ってくれていることを大いに期待するものですが。それであっても、もちろんいいのです。ただ、SNSで発信された「明らかに誤解を招く、明らかに法令を逸脱する、明らかに法令違反であることを是認する、法令違反を奨励する」ような意見には、SNSでしっかりと「それは違う」という意見表明してほしいのですがね。種々の理由で表明できなくても、表明できそうな人に頑張ってもらう、そのための誘い水をすることだっていいと私は考えますし、ストレートにそのことに対する反論や指摘でなくても、別の機会に、法令を守ること、資格の責務を果たすことの重要性を指摘することだって、とても重要なことと私は考えます。

 昨日(2月16日)から、日本に居住する外国人に、健康保険の適用の是非をめぐって公党の顔といえる立場の政治家がテレビで発信した意見に賛否が集まっています。これもまた、「それは違うのでは」と思った方々がSNSで意見を表明しています。もちろん、賛成する人の意見もまた同じぐらい多くSNSで見かけます。議論が興ること自体は良いことだと私は考えます。個人的には、「外国人だから」として社会保険の適用に広く制限を設けることは反対です。社会保障は国家間の相互保障が進んでいます。一定の条件を満たした居住者に対して相互に社会保障の制度の中にて処遇することは、海外に住み活動する日本人がこれだけ多くなっている現在において欠かせない。日本が、一定の条件を厳しくしてその条件に適合しない外国人への社会保障の制度の網から追い出す政策を選んだ場合は、同じように、海外で活動する日本人もまた、そういう目に遭うということです。具体的な制度上からの反論ですが、そもそも、「日本人であろうが外国人であろうが、この土地に適正な手続きを経て住んでいる人を人権の観点からしても、法の下の平等の観点からしても、できうる限り、社会保障制度の適用とする」ことは必要であると考えます。つまり健康保険法に定められた要件を満たしていれば高額療養であろうがなかろうが、何人たりとも健康保険の適用とするという単純なことです。今度の政治家の意見発出は、社会の分断によって特定の範囲に属する者だけに利益を誘導して党の支持を集めるために世論をあおっているだけで大変残念な主張であると私には感じられました。

 貧すれば鈍する。児童クラブもそうですし、保育所も学校の世界も、日本の社会全体がそうなっていると私は憂いています。カネがあれば職員の給料を増やせるし、人だって多く雇える。直接的には配置基準の劣悪さを事業者自身の努力で克服できますし、そうやって手厚く(というか当たり前に)育成支援や保育、教育を受けることが当たり前だと社会全体が理解すれば法令、制度の改善を求める声が強まって、構造上においてより進歩した仕組みになるでしょう。つくづく、社会全体を支える仕組み、福祉や教育に投じられる予算の少なさが、あちこちにおいて社会のゆがみを生んでいると残念でなりません。

 <おわりに:PR>
 弊会は、次の点を大事に日々の活動に取り組んでいます。
(1)放課後児童クラブで働く職員、従事者の雇用労働条件の改善。「学童で働いた、安心して家庭をもうけて子どもも育てられる」を実現することです。
(2)子どもが児童クラブでその最善の利益を保障されて過ごすこと。そのためにこそ、質の高い人材が児童クラブで働くことが必要で、それには雇用労働条件が改善されることが不可欠です。
(3)保護者が安心して子育てと仕事や介護、育児、看護などができるために便利な放課後児童クラブを増やすこと。保護者が時々、リラックスして休息するために子どもを児童クラブに行かせてもいいのです。保護者の健康で安定した生活を支える児童クラブが増えてほしいと願います。
(4)地域社会の発展に尽くす放課後児童クラブを実現すること。市区町村にとって、人口の安定や地域社会の維持のために必要な子育て支援。その中核的な存在として児童クラブを活用することを提言しています。
(5)豊かな社会、国力の安定のために必要な児童クラブが増えることを目指します。人々が安心して過ごせる社会インフラとしての放課後児童クラブが充実すれば、社会が安定します。経済や文化的な活動も安心して子育て世帯が取り組めます。それは社会の安定となり、ひいては国家の安定、国力の増進にもつながるでしょう。
 放課後児童クラブ(学童保育所)の運営支援は、こどもまんなか社会に欠かせない児童クラブを応援しています。

 弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイスが可能です。ぜひご検討ください。

 放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかご検討ください。

 「リアルを越えたフィクション。これが児童クラブの、ありのままの真の実態なのか?」 そんなおどろおどろしいキャッチコピーが似合う、放課後児童クラブを舞台にした小説を完成させました。「がくどう、序」というタイトルで、2025年2月下旬または3月上旬に、POD出版(アマゾンで注文すると、印刷された書籍が配送される仕組み)での発売となります。現在、静岡県湖西市の出版社に依頼して作業を進めております。
 埼玉県内の、とある町の学童保育所に就職した新人支援員が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。残念ながら、子ども達の生き生きと遊ぶ姿や様子を丹念に描いた作品ではありません。大人も放課後児童クラブで育っていくことをテーマにしていて、さらに児童クラブの運営の実態を描くテーマでの小説は、なかなかないのではないのでしょうか。児童クラブの運営に密接にかかわった、元新聞記者である筆者だからこそ描ける「学童小説」です。ドラマや映画、漫画の原作にも十分、活用できる内容だと確信しています。ご期待ください。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。

(このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも共感できる部分がありましたら、ツイッターで萩原和也のフォローをお願いします。フェイスブックのあい和学童クラブ運営法人のページのフォロワーになっていただけますと、この上ない幸いです。よろしくお願いいたします。ご意見ご感想も、お問合せフォームからお寄せください。出典が明記されていれば引用は自由になさってください。)