私が「学童保育」の世界で覚えた違和感。この違和感が消えなければ、学童はこれからの時代を生き延びられない

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。子どもの育ちを支える学童保育、保護者の安定した生活を支える学童保育、そして社会を支える学童保育を支援する「学童保育運営支援」の重要性と必要性を訴えています。学童保育の問題や課題の解決に向け、ぜひ皆様もお気軽に、学童保育に関するお困りごと、その他どんなことでも、ご相談やご依頼をお寄せください。講演、セミナー等をご検討ください。

 私は学童保育の世界で働く人がもっと恵まれた雇用労働条件になることを目指して活動をしています。それが、子どもと保護者にとって最良の放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)を実現させる極めて重要な要素となるからです。もちろん、放課後児童クラブで働くすべての人が、社会から尊敬と評価を受けていることは前提です。厳しい賃金や職場環境であっても、子どものため、保護者のために貢献しようと働き、育成支援の理念を実践しようとしている姿勢に、尊敬と評価が得られるのです。

 私は異業種から学童保育の世界に入ってきました。しかも育成支援(いまだに学童の世界では「保育」と言いますが)の実践者すなわち支援員(これもまだ未だに「指導員」と呼びますね。全てが指導ではないのに)ではありません。学童保育の事業運営を担う責任者、事業体の経営者で学童の世界に入ってきた、いわば異端者です。それはつまり、学童の世界、学童業界とは違う視点で学童業界を眺め、観察し、判断できる視点を持っているということでもあります。それゆえに、学童の世界に覚える「違和感」は今なお、明確に感じる局面が多々あります。

 その違和感を列記すると次の通りになります。もちろん、わたしくの個人的な違和感です。つまり個人の感想です。学童の世界に誰もが感じるであろう共通事項ではないことは、あらかじめ断っておきます。

・クラブの現場で働いた経験の有無によって、その人の思想や行動に対する価値の優劣を図る姿勢。「あの人は指導員だったから学童のことが分かる」という判断基準を重視する姿勢。
・学童のことを本当に分かり合えるのは「指導員であるかどうか」で判断する姿勢。
・学童のことを大事に考えてくれるのは、学童の世界にいる人。それ以外の「外部の人」は「学童仲間」ではない。
・クラブの現場で働く職員や運営者の多くが思う「子どもの最善の利益」とは、「クラブにいる子ども、クラブに入所している子ども」の最善の利益だけであって、クラブに入所していない子どもについては考えない態度。
・クラブの現場で働く職員や運営者の多くは、「クラブにいる子どもたちの環境を守りたい」と考えるため、その考えの実現に妨げとなる大規模状態を嫌うが、それは「クラブに入れない子どものことは考えない」「クラブにおける子どもが過ごす環境が悪化するなら、クラブに入れない子どもがいても仕方がない、障がいのある子どもが入所できなくても仕方がない」と考える思考回路。

 ざっと、こんなところでしょうか。

 つまり、学童の世界で生きる人たちには少なからず、「同じ学童の世界で、苦楽を共にしている」という「共通の経験、共通体験」を、学童の世界を分かり合える関係であるかどうか、同じ世界で同じ方向を向いている人でかどうかを判断する基準としているということです。強烈な同質性の追求とでも言いましょうか。こういう傾向は、得てして、疎外感が強い人たちが共有するものです。あるいは過酷な環境でお互い助け合って生き延びている人たちが共有するものです。「戦友」はまさにその代表例でしょう。学童の世界も、過酷な世界であることは間違いありません。学童保育という仕組みが保護者の必要に応じて保護者自らが作り上げた1950年代以降、それなりに学童保育という仕組みが子育て支援に必要であるとの認知が広がった2000年代までは、国や市区町村からの支援や補助が期待できない中で、保護者と職員の「自助努力」で学童の仕組みが生きのびてきた事実があります。

 そのような過去から、学童の世界は、今まで生き延びてきたその源が「職員と、学童に理解がある一部の保護者との連携、連帯」であるからこそ、自らの立場の正当性を、同じ学童保育で過酷な現場を過ごした共通体験の有無に求めるのだろうと、私は感じています。「あの人は学童の指導員だったから、私たちの本当の苦しみを、問題点を分かってくれる」という言葉を、私は何百回も耳にしてきました。その言葉を耳にするたびに、「その考えがずっと残るようでは、学童保育での勤務経験などまったく持たない一般社会のパワーエリート層や状況を変えられる人たちからは、異質の存在として判断されて一般的に存在する価値のない存在だと見なされてしまう」と残念な気持ちになってきました。

 今なおクラブの現場ではとても働く上での環境が整っているとは言えません。だからこそ、仕事がより大変になる子どもの入所人数が多くなることや、車いすなど障がい、難病のある子どもの受け入れに消極的になるのです。それはつまり、自分たちの仕事量がまた増えるからです。もちろん大規模状態は許されないひどい状況ですが、待機児童を出さないため市区町村が施設を整備するまでの限定的な期間であれば受け入れはやむなしというのが私のスタンスです。確実に職員の人手がさらに必要となる一時的な大規模状態や、車いすや難病の子どもの受け入れに、表向きは「なんとかしなければ」と装いつつ、内心は「仕事が増えるから嫌だよ」という気持ちは、隠そうとしても隠しきれません。
 前日、私は車いすの子どもがクラブ入所を断られた事案について告発をしました。それは現時点で匿名ですが、そうであってもこのような事例があるのであれば、学童の世界全体の問題として直ちに是正に向けて動かねばならない、子どもへの重大な権利侵害であると、多くの学童関係者は考えてくれたでしょうか。もちろん、私ひとりの発信力には限界がありますが、旧ツイッターやフェイスブックでの投稿内容を見た人が、「それは大変だ、これは解決されねば放課後児童クラブの存在意義に関わる」と重要視して思いに共感してくれた学童関係者が、どれだけいたでしょうか。私はこの点、いささか残念に感じています。ともすれば「そんなこと言ったって、車いすの子どもをむやみに受け入れられないよ。今いる子どもたちの面倒をさらに見切れなくなる」という考えになった方もいるのだろうなと、私は思うのですね。残念ながら、これまでの私の経験値ではそうなります。

 自分たちの共通体験を大事にする学童の関係者には、顕著な「内向き姿勢」があります。それは、自分たちの立場、権利の維持に固執する姿勢のこと。それは、同じ世界に属する人たちとの結束力を増す反面、外部社会で起こっている変化や動きについて、冷ややかに眺め、無視、敵対視する行動を引き起こします。営利の広域展開事業者による放課後児童クラブの運営施設数の急増、日本版DBSなど子どもを取り巻く社会制度や意識が急速に変化している中で、その動きを冷ややかに見つめる、あるいは取り上げるとしても内部に向けて「あれはダメな制度だよ」と批判するだけで物事を解決したように満足する姿勢は、自らの属する世界の進歩や発展、改善とはまったく無縁の行動です。むしろ時代の変化に取り残される「ガラパゴス」と化すだけです。現実のガラパゴス諸島に生きる動植物は貴重な存在で保護されるべきものですが、こと、社会現象におけるガラパゴス化は、近い将来の絶滅と同義です。

 学童の世界全体が、仲間うち意識、同じ感覚を持つことを大事にしている「思いだけを重要視してまとまっている」世界である限り、「時代や組織の発展は、目指す目標をどうやって合理的に、具体的に解決していくかを考えることで達成できる」とする機能的な行動原理を基盤とする世界や組織によって打ち負かされることは必然だと私は考えます。事業者(企業)規模の大小で判断される事業継続能力や管理運営体制の成熟度、財政の安定度、各種法令への対応の度合い、職員従業員の採用研修能力等は、合理的かつ機能的な大きな組織であれば充実することは当然で、それが社会的な評価、安心と「見た目で」判断されてしまう現実。その現実が幅を利かすことで起こっている急激な変化。
 それが実際に進行しつつあることを、伝統的な学童保育の世界にいる人たちは恐怖として実感できているのだろうか。私には苦笑いしかありません。私の感じる違和感は解消されないまま、私が素晴らしいと思いながらも「このままでは、いずれ滅びることは間違いない」と思った学童世界は淘汰され、やがてごくごく一部の賛同者に支えられながらようやくひっそりと社会の片隅に生き長らえることになるのでしょうか。

 私がかねて当ブログやSNSで発信している内容は、上記の違和感をすべてベースにしてるといって過言ではありません。その違和感はそのまま既存の、伝統的な学童の世界に対する厳しい見方、批判とも言えます。実は私のSNSの投稿に付けられる「イイネ」は、その伝統的な学童の世界で学童の発展に尽くしておられる方々からは、まずもって付けられることはありません。それが如実に私の、伝統的な学童の世界から見ている「立ち位置」を示していると言えます。私の考えるこれからの学童のあり方と、伝統的な学童を大事にしている方々が崇めている学童のあり方、そのどちらが正しいのか、そんな勝敗に私は興味はありません。私は、私が思うところの考えで動き、発信し、呼び掛けていくだけのことです。もちろん私は自分自身の考えを信じてこれからもたった1人、ドン・キホーテのごとく、職員の雇用を大事に考え、保護者が「あってよかった」と思える放課後児童クラブのあり方はこうだよね、と呼び掛けていくだけのことです。それが結果的に、子どもの最善の利益を守る放課後児童クラブの実現に結びつくのですから。大事なことは「子どもと保護者にとって大切なクラブが、これからも存続し続けること、そのためにあらゆる手法を取り入れていくこと」なのですから。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。

 (このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも共感できる部分がありましたら、ツイッターで萩原和也のフォローをお願いします。フェイスブックのあい和学童クラブ運営法人のページのフォロワーになっていただけますと、この上ない幸いです。よろしくお願いいたします。ご意見ご感想も、お問合せフォームからお寄せください。出典が明記されていれば、当ブログの引用はご自由になさってください)