放課後児童クラブに関わる保護者が抱く「負担感」は、「負担」と異なるもの。区別して考えて対応しよう。

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。わたしのいる埼玉県は、放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)の運営に、程度の差はあれ、保護者が関わることが多いのです。保護者運営の過酷な現実を取り上げた新聞の連載記事が最近ありました。本日は保護者と児童クラブとの関りを「負担」というキーワードから考えます。
 ※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。

<児童クラブと保護者とのかかわり方>
 児童クラブと保護者はどのように関わっているか、大雑把ですが区分してみます。関わりが薄い方から濃い、濃密な程度の順で挙げてみましょう。
・全く関わりがないー児童クラブが提供するサービス(役務)はすべて事業者が用意する。保護者は「完全な」利用者であり、事業者は保護者に対して(各種利用料金の納入通知など、業務上必要なこと以外)要請することはない。
(事業者の形態としては、株式会社や公営クラブなど、保護者が運営に加わる方法がない場合)

・少しだけ関わりがあるが、片方向の関わりー児童クラブが年に1~2回、保護者に参加を呼び掛ける会合を持つ程度。会合にはクラブにおける子どもの様子を伝える説明会(保護者会)を含む。他、クラブで行う行事やイベントの「観覧」のお誘いなど。
(事業者の形態としては、株式会社や公営クラブ、非営利法人など多くの形が当てはまってくる)

・それなりに関わりがあり、クラブと保護者の双方が互いに意向を伝える機会があるが、業務の運営に保護者は関わらないー児童クラブが年に数回、保護者に「積極的な参加」を呼び掛ける会合を持つ。クラブにおける子どもの様子を伝える説明会(保護者会)がある。クラブにおける行事やイベントの計画をするために「役員を設ける、団体としての保護者会」を設置するクラブもある。
(事業者の形態としては、これも多くの形が当てはまってくるが、広域展開事業者による株式会社ではこの段階にあることは多くはない)

・かなりの関わりがあり、クラブそのものの業務運営に保護者が加わることが、その事業者にて規定されているークラブにおける行事やイベントには必ず「団体としての保護者会」が関わり、その保護者会が予算を設けて実施する。クラブにおける子どもへの支援を充実させるためにバザーを行うこともある。ただし、事業者組織が行う組織運営にまでは関わらない程度。
(事業者の形態としては、保護者が運営に参加しない非営利法人が多いと想像できる。公営クラブでも保護者会設置を勧めている地域では可能)

・極めて強い関わりがあり、クラブを運営する事業者の組織運営に保護者が参加できる、もしくは参加を強く勧められている。または比較的軽易な組織運営業務を保護者が担っているー事業者の組織運営に保護者が参加できる、あるいは保護者が参加することになっている各機関(理事会や各種委員会など)が事業者内部に規定に従って設置されている。各クラブにおいて団体としての保護者会がもれなく設置され、クラブが行うすべての活動について保護者会が実施について影響力を行使できる状態にある。また、クラブにおいて行う施設の整備、修繕を保護者が担う、実費負担である「おやつ代」の徴収程度の業務を保護者(会)が行っている、職員が出勤しない早朝の時間におけるクラブ開所を保護者が輪番で担う、など。
(事業者の形態としては、保護者に運営参画を呼び掛けている非営利法人に限られる)

・保護者が運営そのものを行っているー保護者は事業の運営者、経営者と同一となる。実際に運営業務に当たっている保護者はいわば「取締役」のようなもの。否が応でも、保護者はクラブ運営に関わることになる。むしろクラブ運営をしなければならない立場である。
(事業者の形態としては、保護者会運営や地域運営委員会方式のクラブ。強制的に理事など事業者の役員を選ばなければならない形態の非営利法人も。)

<私が考える「児童クラブにおける保護者の負担」>
 私は負担と負担感を区別して考えています。まず負担ですが、これは上記の区分でいえば、一番下と、下から2番目の段階において生じるもので、「実際に、クラブの運営事業者が事業を営むにあたって、保護者が負わねばならない業務がある」状態のことと私は捉えています。この負担は、児童クラブ運営において必須なものとして組織運営に組み込まれている作業において発生するため、この負担を取り除くには、構造的に負担を除去する、すなわち組織の運営の方法を変えることになります。例えば、今まで各クラブから必ず1人、運営事業者の役員となる人物を推薦してください、ということを取りやめるといったことです。
 この負担で重大なのは、法律上、負わねばならない「責任」が往々にしてその負担に備わっているということです。例えばクラブを運営するのが非営利法人だった場合、保護者が法人の役員に就任する場合は当然ながら役員に就任したその保護者は事業執行に関して(有限であっても)責任を負います。その責任を伴う役員としての業務が「負担」となります。
 保護者会がクラブの運営を行っている場合は、保護者会に加入している保護者(現実的には圧倒的に強制加入のため全保護者)が、事業運営の責任を負います。とりわけその年度において実際に業務を執り行う保護者会の役員は、例えれば取締役のようなものですから、事業運営の責任を負うことになります。その業務はまさに「負担」です。新聞連載にあった、決算や勤怠管理の仕事を担う保護者は、その仕事がもたらす「負担」によって、子育て生活を圧迫されてしまうのです。なお、保護者会運営であっても、実際に行う業務が割り当てられていない場合は、負担は生じません。ただし、その負担への嫌悪感、恐怖感などから感じる嫌な思い、すなわち「負担感」を感じることは避けられないでしょう。

<負担感の正体>
 私の考える負担感は、先に述べた「嫌な思い」です。個人それぞれの感情ですから、どんな局面にも、どのような事態でも現れる可能性があるものです。実際にその本人が背負っている「負担」から生じる負担感は当然あるでしょうが、例えば、児童クラブでの仲良しの保護者が役員として行っている作業、業務の様子を見て、自身は役員ではない(無役)なのでその業務を行うことはないのだけれど、「来年、あれをやることになるかもしれない」「自分がもし役員になったらとてもできない」などと、恐れたり嫌がったり逃げたくなったりする気持ち、それこそ「負担感」であると私は考えてきました。

 そして児童クラブにおいては、今も昔もこの負担感は付いて回っているものです。本日のブログで、事業者と保護者の関わり方の区分を紹介しましたが、その一番上の状態においてすらも、保護者は児童クラブに対して負担感を感じることもあります。例えば、「子どもを迎えに行ったときに、職員から話しかけられたらどうしよう。嫌だな。あまり人と話すのは好きじゃないのに」ということを思ったら、それがすでに、児童クラブに対して抱く負担感になるのです。
 完全に私見ですが、今の時代を生きる人は他者との関わりにおいて、ごく限られた分野において親密になることがあってもそれ以外の部分では人間関係を維持することに興味関心をほぼ持っていないと私は思います。一方で、例えば昭和50年代前半ぐらいまでの時代においては、まだまだ地域コミュニティが濃厚に機能していた時代であり、他者との関わりを作ることで無ければその地域で暮らすことが難しかった、否が応でも他者と関わらねばその地域で平穏に暮らせなかったという時代でもあったので、人間関係を維持する上での「耐性」が育っていったということでもあります。実のところ、そのような時代に産声を上げて、その伝統を内部組織に残していった、昔ながらの児童クラブの運営、つまり保護者が関わることで機能している児童クラブは、ある意味において、昭和のコミュニティの精神や香りを今に伝えているとも言えるでしょう。
 当然、昭和の時代(平成初期もあまり変わらないでしょうが)の児童クラブは、現在と比べてまったく国や行政からの補助、援助の仕組みが成り立っていないために保護者があれもこれも作業をしなければ存在を維持できなかった状況です。保護者が背負う「負担」も今よりはるかに強大でした。負担感もそれに応じて現在よりはるかに強く感じられたのでしょうが、「耐性」がある時代でもあり、保護者も濃密なコミュニケーションから逃れならないという覚悟の中で生きてきたので、保護者同士で(本心はどうあれ)連携して多大な負担を乗り越えてきたのでしょう。今の時代の保護者が都営バスに乗って昭和の児童クラブの世界にタイムスリップしたら、10人のうち9人は「無理無理無理!」とギブアップするのではないでしょうかね。(都営バス=ドラマ「不適切にもほどがある!」のタイムマシン)。逆に、昭和の時代の児童クラブの保護者が、令和の児童クラブに来たら「え、なに?保護者がなんで何もしないの?」と目を丸くするでしょうね。

<負担は完全になくすべきです>
 以上の事から、私は当然ながら「負担は完全にゼロにするべきだ」という立場です。事業の運営責任を負担することは保護者が担うべき範囲を超えています。それは児童クラブを運営する事業者の役員が「任務」として背負えばいいことです。運営責任を負うということは、万が一の場合に損害倍書責任を負う事態が考えられることや、刑事上の責任も負う可能性をもっているということだからです。
(なお、別視点から、保護者が運営関わっている組織運営形態は、事業の安定性に欠けると評価されることを受け止めなければなりません。経営の素人が毎年入れ替わって事業運営に取り組む形態では、クラブ運営について公募で企業と対決することになったとき、格別の事情=保護者の運営参画を評価する自治体の意向、がない限りにおいて、負けは避けられません)

 私は保護者に「お客さんに徹していいんだよ」とは言いません。しかし、放課後児童健全育成という子どもの育ちを支える児童福祉のサービスを子どもに受けさせる権利がある保護者が、そのサービスを提供する実施責任を担い、その実施の結果によってさらに背負わねばならない責任を生む事態は理不尽であると考えます。まして、賠償金を要求されたり刑事責任を問われて書類送検されるといった事態は、絶対に起こしてはならないからです。事業運営における責任を負わない立場をお客さんと呼ぶのであれば、保護者はお客さんになっていいのです。

 なお、保護者が運営に参加できる方策がある場合において、保護者が自分の意思で参加する場合は、負担の問題は生じません。好き好んでやるのですから。
 またもう1点、保護者は児童クラブの運営における責任を負う必要はないと私は考えますが、このことは、「児童クラブの運営に保護者は無関心であってもよい」ということとは、全く異なります。保護者は、あれこれ、児童クラブの運営に意見を出していいのですし、出すべきです。保護者が意見を出すということで間接的に児童クラブ運営に関わることは、私は大歓迎です。

<負担感は完全になくせない。だが減っていくことは良い状態だ>
 負担感は、個人によってその度合いや生じる環境が異なります。ある人にとってまったく負担に思わないことが、他の人にとっては心配事になる、ということはよくある話です。ですから児童クラブに関わる保護者が抱く負担感は、完全になくすことは不可能ですし、完全になくすことを目指すことは無意味です。
 私の考える、事業者として必要な「負担感対策」は次の2点です。
・不用意に負担感を増すようなことを避ける
・負担感を歓迎感に昇華させることを心がける

 前者は、本来なら事業者で行えることを保護者に頼む、押し付けることを避けるものです。例えば、朝午前8時から開所していたクラブにおいて午前7時30分からの開所を事業者が検討するにあたって「保護者が参加してくれればスムーズに実施できそうなんですけれど」と保護者の自発的な参加を呼び掛けることがあたります。自発的参加といっても参加を期待されるわけですから、保護者にしてみれば「どうしたものか」となってしまいます。
 後者はとりわけ重要なことと私は考えます。例えば、クラブにおける子どもの育ちを事業者が保護者に伝えることは、放課後児童クラブ運営指針においても求められているように、児童クラブ運営事業者には重要な取組です。しかし、その会合に集まることに負担感を感じる保護者は、圧倒的に多いでしょう。年に1~2回であっても、です。
 それは「嫌だから」「面倒だから」負担感を覚えるのです。だったら、「楽しい」「むしろ回数を増やしてほしい」という意識を保護者が抱くように、事業者側が工夫すればよいのです。具体的な手法はクラブそれぞれであり、そのクラブにおける職員や、事業者が考えてください。それは仕事ですから。なお、私はかねて繰り返して述べていますが、会合に対して保護者が抱く負担感を解消するには、保護者を「出席者」ではなくて「参加者」にさせることが大事だということです。保護者が「参加して良かった、楽しかった」と思うようになれば、会合は負担ではなくて、むしろ待ち遠しいものになるのです。(とはいえ、30人いる保護者の全員がそのように変わっていくことは期待薄でしょう。児童クラブの世界はとかく、0か100か、黒白付けたがるのですが、30人いる保護者のうち25人が「よかった」「まあよかった」と思うだけで、大成功なのです。それを30人全員そうでなくっちゃ、とがんじがらめなのが、児童クラブ業界の性質です)

 このことは、負担感が減るということは児童クラブの運営にとって、実は良い結果を招くことになります。負担感が減っていく状態を児童クラブの運営事業者は常に目指すべきですし、現場のクラブ職員においては最優先の目標の1つになって当然です。それは保護者に迎合するのではありません。保護者に児童クラブの本質を理解してもらうことを目標に、保護者に、児童クラブへの親和性を高めていく作業ということです。それができなければ、放課後児童支援員の使命の1つでもある、保護者の子育ての支援は、なかなかうまくいかないでしょう。保護者の、児童クラブに抱く負担感を減らすことはすなわち支援員、クラブ職員の仕事の1つでもある、と言えるのです。

 <おわりに>
 私は児童クラブに対する保護者の負担を直ちに解消するべきだと何度も訴えています。それは伝統的な学童保育を重要視している業界の潮流と異なるものです。しかしなぜ私は負担解消を訴えるか。それは、保護者が児童クラブに高い関心を持っている、自ら子どもの育ちに関わっていく姿勢を大事にしたいからこそ、そのような姿勢を重要視しない、ある意味において一方的な関係にある営利の広域展開事業者によるクラブ運営が増加することを懸念しているからです。
 それは、保護者が負担を拒絶する→行政に強く訴えかける→行政は有権者の意向を踏まえ負担を解消することができる児童クラブ運営方法を導入しようとする→保護者が関わらない方式で運営する事業者にクラブ運営を任せるようになる、という流れです。この単純な理屈が分からない学童業界関係者ばかりなのが私にはまったく理解できません。現にいま、さいたま市で、このような流れがついに始まっているのですから。私はこのさいたま市の動きは、伝統的な児童クラブ業界(学童保育業界と呼称する方が、しっくりきますね)にとって「関ケ原」いや、「大坂夏の陣」だと、捉えています。どちらが徳川方で、どちらが豊臣方なのか、あえて言うまでもありませんが。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。

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