私が、本を書きたかった理由を紹介します。

 あい和学童クラブ運営法人の萩原和也です。2024年7月20日、ついに私の初めての本となる「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」が、寿郎社から刊行されました。私の個人的な感想や思いで埋め尽くされた「学童本」です。何かすごい理論を打ち立てているとか、何か新しい新発見を紹介しているとか、そんな高尚な、学術的な本ではありません。ただただ、私の手の届く範囲に過ぎないですが、私が見聞きし、体験した、放課後児童クラブの世界を紹介しながら、あることを訴えたいがために、書き上げた本です。

 あることとは、「児童クラブで働く人たちが、あまりにもかわいそうだ」ということ。それは、仕事に見合った報酬、給料がもらえていないことであり、それはすなわち、児童クラブと、児童クラブで働く人たちへの社会からの評価が不当にも低すぎること、です。それを、なんとかしたいがために、書き上げたのです。

 私の家族には子どもが1人います。その子が小学1年生になったとき、共働きの我が家は迷うことなく放課後児童クラブ(地元では「学童保育所」と表記されていますが)に入所しました。幸い、待機児童もなく、むしろ児童数は少なめのクラブでした。それまではまったく私は児童クラブ、学童保育の事を知りませんでした。入所して1年近く経っても同じでした。児童クラブの役割、目的について「仕事で留守の間、子どもを預かってくれる場所」という認識にすぎませんでした。とてもありがたい施設だとは思いました。でもそれは、居場所を提供してくれるという意味での感謝です。

 最初の転機は、夏の学童キャンプでした。学童では保護者は必ず何らかの係や役員を強制されていました。ま、それはそうだろうと特に疑問を持つことは無く、最も不人気だったキャンプ係を志望しました。「へーキャンプ、楽しそうじゃん」という理由でした。なぜ不人気なのかは、準備が大変なこと、当日の役割も大変なことだからというのは、直感で分かりましたが、何より、夏のキャンプという非日常な経験ができる単純な期待からでした。
 そのキャンプ、本当に大変でした。しかも不人気で参加者も少なかった。ということは、荷物運びやキャンプのあれこれ面倒を見る大人が少ないということです。今思い出しても本当に大変でした。なぜだか、昔からの伝統として、ガス釜やプロパンガスボンベまで運ぶのですから。子どもの数が十数人。保護者は8人ぐらいいたでしょうか。それに職員が3人。職員に重い荷物を運ばせるわけにはいきませんから私がせっせと運びました。本当に疲れたなあ。
 しかし気づいたことがあります。夜、焚火を前に職員とベテラン保護者さん(2人とも女性)が、子どもの育ちをどう支えるかという話をずっとしていたのです。私はガードマンとしてそばに付き添っていました。真剣に、子どもの育ちのあり方について話し込む2人を見ていて、学童ってのは奥深いんだなと気づき始めました。

 翌年、子どもが小学2年になったとき、保護者会の会長(3人もいました!)から打診されました。「萩原家で会長やってくれない?」。断る理由もないので即答で引き受けました。だいたい、会長はなかなか決まらずトラブルのもとになっていたぐらい。それがあっさり決まったということでとても喜ばれました。実はこのころには、学童はとても大事なんだな、ということが分かってきました。子どもを迎えに行くのは主に自分の役割でしたが、職員さんがいつも、子どもの様子を丁寧に伝えてくれる。心配事も伝えてくれる。他の子どもとの関りについても話してくれる。これほど子どもの事をしっかり見ているのは、なかなかできないぞ。学童の先生たちは、とてもどえらいことをしていると知り始めていたからです。

 会長になってみて、あれこれ事情を知ることになりました。お給料の額も知ることになりました。児童クラブを統一して運営する組織の状況も知るようになりました。そこで、確信が持てました。児童クラブが社会を支えるシステムの一部になっていること、児童クラブは単に子どもを預かっているだけではないこと、児童クラブで働く職員たちは子どもの成長を自分自身の責任として捉え、保護者と一緒に子育てをしていること。それにもかかわらず驚くほど安い給料で長時間、働いていることを。

 それから、自分のできる範囲で、「これはおかしいことだ」ということを是正しようと尽くしてきました。非常勤で運営組織の法人理事になり、次の年には代表理事になりました。それから紆余曲折を経て、私は新聞記者の仕事を辞め、学童運営法人の専従役員として働くことを選択しました。それもこれも、児童クラブの職員の雇用待遇をもっと改善したい、そのためには運営組織自体を改革しなければならない、ということが最大の動機でした。児童クラブに対する社会的な評価を向上させねばならない。同時に、職員の専門職としての意識を高めること。仕事に誇りを持って打ち込んでもらうこと。それを支えるために補助金の交付額を行政に増やしてもらうこと。職員にプロの仕事を求めるためには経営陣もまたプロの意識を持って動くこと。
 私はそうした思いだけを胸に、どうしたら職員が安心して身を寄せられる組織として進化発展できるであろうかと、組織の再構築を最優先目標として仕事に打ち込んできました。自分の時間をほぼ捨てて打ち込んできた経営者時代でしたが、私は誇りに思っています。それがたとえ伝統的な学童業界や役員仲間に理解されなかったとしても、です。市民サービス、行政が安心する高い水準での平準的な児童福祉サービスを提供することの重要性を職員や保護者出身の他の多くの理事に理解されなかったとしても、私は自分が手掛けてきたことは間違っていないと今も自信を持って言えます。現実に私の信念と、信念に基づいて次々に実行した施策を高く評価したのは行政でした。補助金もそれなりに交付が認められたのは、運営最高責任者の自分の働きが少しは評価された、それは今でも誇りに思っていますが、特に鼻にかけているわけではないですよ。

 放課後児童クラブ、学童保育所に対する社会的な評価向上を妨げているものは数えきれないほどたくさんあります。法律に基づく構造上の問題。資格制度ができたとはいえ専門性を深めるに至らない貧弱な資格制度、補助金の少なさ、残念ながら実は相当数存在する、程度の低い職員による不祥事や日々の適当な業務執行による子どもと保護者からの不信感。なにおり私が憤慨したのは、ごく一部ですが旧態依然として残っている悪しき伝統に執着した業界の勢力です。児童クラブに関わる人たちを選挙の際の票数として期待し計算する勢力です。結局のところ、保護者運営が大事だ大事だと繰り返す勢力ほど特定の勢力と深い結びつきがあることも見えてきました。保護者が参加すれば単純に頭数が増えますものね、票数だって増えるわけです。「わたしたち、学童の事を応援しますから、選挙はぜひ!」ということです。

 一方で、待機児童を始めとして児童クラブの整備は国を挙げての課題となっています。自治体だって、子育て支援を唱えなければ人口は増えません。児童クラブはどんどん整備されていますが、多くが営利企業の運営に任されるようになっています。当たり前です。企業として、形式として運営を円滑に行うノウハウは積んでいますから、企業に任せることが自治体の安心になるのです。保護者運営を大事にする児童クラブは、「自分たちが正しい。自分たちのやり方こそ子どものためになる」と訴えますが、自治体にとっては安定した事業運営こそ重大です。その認識のずれを修正せぬまま、今に至ってしまっているのですね。結果として、広域展開事業者による低賃金での児童クラブ職員の雇用が当たり前となってしまっています。

 この図式、もうそろそろ、社会がしっかりと認識し、「ちょっと、まずいんじゃない?」と思っていただかないと、児童クラブはこのままずっとそこで働く人たちは劣悪な雇用条件、職場環境に置かれたまま強固に固定化されてしまいます。私の本は、そこを訴えたいのです。

 単なる在野の、1人の、学童バカが思いのままをつづった本です。学術的には意味のない本でしょう。それでも一石を投じたかった。でも、私はまだ満足していません。運営支援の道はいばらの道ですが、私は進めるところまで進みたい。いつしか児童クラブで働く放課後児童支援員が、子どもたちのあこがれの職業として選ばれる日が来ることを信じています。