東日本大震災から14年。放課後児童クラブの事業者は、当時の記憶を記録に変えて後世に伝えていこう。
放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。3月11日がめぐってきました。いま、児童クラブにいる子どもたちはあの大震災の後になって生まれたと思うと、時の流れがいかに早いのかを感じます。児童クラブの世界では被害が大きかった被災地ではあの大震災について記憶が伝えられていることでしょう。私は、全国の児童クラブで同じようなことをぜひとも手掛けてほしいと願っています。
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<記憶を、記録にしていくことの意義>
2011年3月11日。東日本大震災(地震としては、東北地方太平洋沖地震)から14年目となりました。犠牲になられた方、犠牲になられた方と近しい人たちに心からお悔やみ申し上げます。
毎年、この日が近づくとメディアでは東北を中心とした被災地の様子が報じられます。今年は、岩手県大船渡市の山火事の報道とあいまって、津波で自宅を失い、この山火事でも自宅を焼失したという方の苦境が報じられてもいました。
児童クラブの世界でも、例えば全国学童保育連絡協議会が開催している、全国学童保育研究集会(全国研)の場で、被災地にある児童クラブからの報告が行われています。確か、2012年度の埼玉県開催から続いているのではないでしょうか。私はこの取り組みをずっと続けてほしいと願っています。児童クラブがある地域が震災で壊滅的な被害を受けたこと、子ども、保護者、職員の中で亡くなった人がいること、命の危機にさらされた人がいたこと、施設そのものも大きな被害を受けたこと、地震と震災の影響で子どもと職員が受けた、ことに心理的な被害、ダメージに対して、その回復のために向き合い続けている児童クラブの仲間の人たちがいること、その苦悩がはてしなく深いことなど、これは後世にずっと伝えていかねばならないものだと、私は信じて疑いません。
記憶はいずれ薄らいでいきます。そうしないと人間は常に苦悩に押しつぶされて明日に向かって生きるチカラを失ってしまう。記憶が薄らいでいくのは生きるためには当然に必要です。しかし、あの大地震から14年も経過し、あの大地震の時に生まれていなかった人がそろそろ義務教育を終えるという時代の流れに、「時が過ぎるのは早いものね」という感慨だけではなく、あの当時に児童クラブに何らかの形で関わっていた人、とりわけ、働いていた人や運営に関わっていた人は、あの大地震のときの児童クラブについて、記憶を記録に変えて、後世の時代に伝えていく必要があります。それが、後世の人がいろいろなことを考えるための大きな礎になるのだから、と私は考えています。
記憶を様々な形で記録に変える。文章でも映像でもなんでもいい。第三者に向けて可視化されたものが必要です。記憶を可視化したものですから、1つ1つの記録は1人1人または1つの集団が抱いている主観の可視化です。しかし、その可視化された主観は、数が集まると客観的な性質を帯びてきます。ですから、児童クラブが直面したあの大震災の記憶を記録に変えて集めていくことが、児童クラブと大震災、大災害との関わりを考えるうえで極めて重要な意義を持つのは、いうまでもありません。
<全国の児童クラブで取り組んでほしい>
あの大震災の記憶を記録に変えるのは、なにも被災地にある児童クラブだけが行えばいいとはまったく思いません。地震動や津波による地震そのものによる直接的な被害だけでなく、原子力発電所の被災による放射能汚染という未曽有の災害は、もっと広い地域の児童クラブに影響を及ぼしたはずです。また、地震動や福島原発被災による具体的な被害がなかった地域の児童クラブであっても、あの大震災の報道に接したり、あるいは支援物資を集めて発送したり募金を集めたりと、何らかの形で、あの大震災そしてあの大震災によって被害を受けた児童クラブとかかわりがあることでしょう。
被災地以外の場所にある児童クラブの人たちは、「大変だったでしょうね、東北のクラブは」ではなくて、自分たちはどうだったのか、自分たちはあの大震災や原発事故についてどう考えたのか、関わったのか、向き合ったのかを、ぜひとも、記録に変えてほしいと私は願います。それこそ、北海道や沖縄のクラブであってもです。きっと、必ず、何らかの思いや感情があったはずです。記憶は薄れてきます。もう14年もたてば、当時の生々しい記憶も薄らいでしまうでしょう。今が最後の機会と考えて、当時、児童クラブに関わっていた人は、あの時、何を感じ、何を考え、何を実行したのかを、ぜひ記録に残しておきましょうよ。
私もその思いを持ってかつて児童クラブ運営に取り組んでいました。ただ日々の激務が文字通り毎日の激務の中で、なかなか手が付けられずにいました。ようやくそれらに取り組める体制の構築にめどがついていたところでしたが、思い半ばで現状に至っていることは、はなはだ残念でなりません。今は個人の立場で、あの当時のことを書き残しておこうと考えています。
<萩原の場合>
最後に、東日本大震災について、私と児童クラブに関してのことを紹介します。箇条書きに近いスタイルで失礼します。当時、私は子ども(小学2年生)が児童クラブに在籍していました。保護者会の会長を夫婦で務めていました。運営は保護者運営由来のNPO法人ですが当時は事業執行の一部を保護者会が代行していた(事業執行全体の2割ほど)時代です。入所手続きやゴミ収集、児童クラブから法人を構成する各種会議への人員派遣を行っていた時代でした。地震発生時、夫婦とも都内の勤務先にいました。児童クラブは小学校の敷地内に別棟であります。木造モルタル造りですが地震動による被害は皆無でした。(上尾市の推定震度は5弱のようですが、児童クラブがある場所や我が家は軟弱地盤の地帯にあるので5強はあったのではないかと想像しています)
・地震発生から約30分後、私は児童クラブに電話をかけました。すぐにできなかったのは仕事(新聞社で報道の仕事)のためです。通常の電話がつながりにくくなってきたので災害用緊急電話をちょっと借りて電話をして、状況を職員から聞くことができました。
・子どもたちは小学校の校庭に集まったものの、その後、どうするか教員の間で話がなかなかつかなかったようで、学童クラブの子どもたちは児童クラブに戻って保護者の迎えを待つことにしたようです。後日、市内のほかの小学校では子どもだけで下校させた小学校があったようで、震度5以上の地震では必ず保護者が迎えに来るというルールが確立したきっかけとなりました。
・児童クラブでは、個々の保護者に連絡を取って早期の迎えを呼び掛けていました。私も職員からの要請を受けて、全保護者に早期の迎えを要請するメールを送信しました。連絡を受け取った人から返信をしてもらったので、返信の状況をクラブに伝えました。当時は保護者会会長が、すべての保護者に対する一斉メール送信をしていました。ですので私が当時在籍していた40数世帯のメールアドレス、携帯電話番号を保持していました。
・午後6時過ぎ、私は勤務先(東京都千代田区大手町)を出ました。すでに鉄道は全面ストップでしたし、外は歩いて帰宅する大勢の人たちで、見たことがないほどの大混雑でした。取材を兼ねて、徒歩で帰宅したどうなるかを確かめるべく、社を出ました。その模様の記事は数年前までインターネット上で読むことができましたが、もう検索できなくなっているようです。なお、我が家は両親とも時間内に子どもの迎えに行けないことは確実でしたのでファミリーサポートセンターの方に臨時でお迎えに行ってもらいました。職員はすべての子どもの迎えを完了し、午後7時40分ごろに退勤しました。
・私は徒歩で王子を超えて赤羽までたどり着きました。すでに両足の痛みは激しくて(何せ、運動不足の上に革靴)、歩くのもままならない状況でした。おまけに携帯電話(当時はガラケー。なお2020年まで私はガラケー)のバッテリーがほぼ尽きていました。ちょうどそこに、「地下鉄南北線が浦和美園まで運転再開」というニュースが入りました。「浦和美園とはいえ浦和に違いないんだからなんとかなるだろう」という全く根拠のない予測で、地下鉄に乗りました。妻には「浦和美園まで行く」とメールをしたらバッテリーが切れました。
・浦和美園についたら何百人もの人がいました。何か口々に「さいたま新都心への臨時バスがある」と言っていました。ところがやがて駅の案内放送で「臨時バスはありません」と告げられ、集まった何百人の人たちは茫然としていました。災害時とデマ、の典型例を見ました。タクシーは数百メートルの列です。しかもまったく来ません。私は(この極寒の中で朝まで立ち尽くすのか)と悲観に暮れつつ1時間ほどぼーっとしていましたが、妻から連絡を受けた知人が浦和美園の喧騒の中で私を見つけ出してくれて、奇跡的に我が家に戻ることができました。車中のラジオで聞いた津波の被害の様子に言葉を失いました。
・週明けの児童クラブ。職員の相談は放射能被害の影響です。運営本部から何も指示は出ていないとのこと。相談の結論として、当面の間、外遊びはさせないこととしました。まだどれだけの被ばくが起こりそうか報道でも明らかではなかったのです。そのことも会長メールから全保護者に伝えました。また不安な方は児童クラブの利用を控えるようにとも伝えました。外遊びの自粛は1週間ほど続けました。なお、数か月後の線量測定で、児童クラブの園庭の一部に放射線量が高いところがあり、市のマニュアルに従って、希望した保護者数人で掘り出して地下に埋め返す作業を行いました。
・計画停電への対応。保護者の中には自宅が停電した方も多く、大変な話が伝わってきました。児童クラブは停電しなかったもののそれは結果論で、停電するかしないかはその時になってみないとわからないという、事業運営に極めて深刻な影響がありました。
・募金を翌週月曜日から始めました。運営本部が指示する前に行いました。集めた募金は運営本部に託して送ってもらいました。
・ガソリンの供給不足で職員の通勤に重大な影響が出ました。
・職員の1人が岩手県陸前高田市に親類が住んでおり、当地の児童クラブとも個人的につながりがありました。その縁で「現地を励ます贈り物を子どもたちで作るのはどうでしょうか」と相談を受けたので、「ぜひやりましょう」と即答し、現地に送る贈り物や寄付品を集めました。しばらく交流が続き、やがて2014年秋、当時は運営法人の専従の代表者となっていた私が岩手県での全国研の後に、職員たち十数名と当地の児童クラブを訪れることにつながりました。
・大災害時には連絡手段が確保されにくいという、保護者との連絡ルートの確保を筆頭に、いろいろな問題が浮き彫りになりました。備蓄品のこと、心のケアのこと。職員の交通手段の確保。1つ1つの問題は平時には全く気付かないことばかりです。それらの問題を継続的に解決に取り組むことの困難さもまた突きつけられました。
当時、児童クラブに何らかのかかわりを持っていた人はぜひとも当時を思い出して、書きだしてみてください。どんなことでも。それを今の児童クラブに託して、後世に伝えていきましょう。
<おわりに:PR>
弊会は、次の点を大事に日々の活動に取り組んでいます。
(1)放課後児童クラブで働く職員、従事者の雇用労働条件の改善。「学童で働いた、安心して家庭をもうけて子どもも育てられる」を実現することです。
(2)子どもが児童クラブでその最善の利益を保障されて過ごすこと。そのためにこそ、質の高い人材が児童クラブで働くことが必要で、それには雇用労働条件が改善されることが不可欠です。
(3)保護者が安心して子育てと仕事や介護、育児、看護などができるために便利な放課後児童クラブを増やすこと。保護者が時々、リラックスして休息するために子どもを児童クラブに行かせてもいいのです。保護者の健康で安定した生活を支える児童クラブが増えてほしいと願います。
(4)地域社会の発展に尽くす放課後児童クラブを実現すること。市区町村にとって、人口の安定や地域社会の維持のために必要な子育て支援。その中核的な存在として児童クラブを活用することを提言しています。
(5)豊かな社会、国力の安定のために必要な児童クラブが増えることを目指します。人々が安心して過ごせる社会インフラとしての放課後児童クラブが充実すれば、社会が安定します。経済や文化的な活動も安心して子育て世帯が取り組めます。それは社会の安定となり、ひいては国家の安定、国力の増進にもつながるでしょう。
放課後児童クラブ(学童保育所)の運営支援は、こどもまんなか社会に欠かせない児童クラブを応援しています。
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弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイスが可能です。ぜひご検討ください。
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放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかご検討ください。
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放課後児童クラブを舞台にした小説「がくどう、序」を出版します。3月10日の発売を予定しています。埼玉県内の、とある町の学童保育所に就職した新人支援員が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。リアルを越えたフィクションと自負しています。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。残念ながら、子どもたちの生き生きと遊ぶ姿や様子を丹念に描いた作品ではありません。大人も放課後児童クラブで育っていくことをテーマにしていて、さらに児童クラブの運営の実態を描くテーマでの小説は、なかなかないのではないのでしょうか。児童クラブの運営に密接にかかわった筆者だからこそ描けた「学童小説」です。ドラマや映画、漫画の原作にも十分たえられる素材だと確信しています。ご期待ください。
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「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
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