放課後児童クラブの根本的な存在意義を考える時期がきました。「放課後児童」ではなく「すべての児童」を対象に。
放課後児童クラブ(学童保育)運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所もおおむね該当します)に関して考えさせられる記事を立て続けに見かけました。以前から、私が考えていることに重なる内容です。その内容とはずばり、「放課後児童クラブは、留守家庭の放課後児童だけではなく、すべての児童を対象にするべきだ」ということです。
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<2つの報道から>
信濃毎日新聞デジタルが11月22日6時5分に、「育休で学童退所を促された… 戸惑う長野市の3児育てる母「放課後の数時間だけで全然違うのに…」という見出しの有料記事をインターネット上に配信しました。育休に入ったら児童クラブの退所を促されたという記事です。
また、AERA.dotが11月24日11時32分に、「仕事しながら子育ての負担感減らすには? 森澤恭子・東京都品川区長が説く重要なこと」と題した記事を配信しました。この記事には、森澤・品川区長による率直な育児と仕事の両立に対する考え方が紹介されています。とりわけ、記事にある、「「すべて、子どもは親が見なければならない」と家庭のみに子育ての責任を問う社会風土や同調圧力もあります。確かに子育てに協力的な祖父母が近くにいれば助かりますが、遠くに住んでいる場合は、孤独な子育てになりがちです。もとより「家族」だけに子育て負担を強いるのではなく、誰でも利用できる施策を充実させ、社会全体で子どもと子育てを支える社会をつくることが重要です。」と記された内容には、深く考えさせられました。
<放課後児童クラブの前提>
こども家庭庁のホームページには、こう記されています。「児童福祉法第6条の3第2項の規定に基づき、保護者が労働等により昼間家庭にいない小学校に就学している児童に対し、授業の終了後等に小学校の余裕教室や児童館等を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図るものです。」
つまり、保護者が昼間家庭にいない小学生に対して、適切な遊び及び生活の場を与える、ということです。なおここに「小学校の余裕教室」とありますが、実際の法律上の表記は「授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して適切な遊び及び生活の場を与え」ですから、「児童厚生施設等」であって、小学校の余裕教室とは書かれていません。児童館は児童厚生施設ですから問題ありませんが、なぜこども家庭庁は、わざわざ、児童厚生施設ではない小学校の余裕教室と表記して国民に紹介しているのでしょうか。その理由を説明するべきです。またメディアの記者は、意図的に表記を変えていることについてこども家庭庁の真意を質すべきでしょう。
それは置いておいて、児童クラブは、留守家庭の児童を対象にした事業、仕組みであることは大前提で織り込み済みなわけです。私が行っている市区町村データーベースでは各市区町村が住民に向けて公表している入所説明資料も、掲示されている限り収集していますが、圧倒的多数の自治体で、「保護者が在宅の場合は利用できません」「保護者が家にいるときは家庭での保育をお願いします。クラブの利用はできません」という趣旨の文言が、必ずと言っていいほど記載されています。それはもちろん、法律上の大前提に即した表現です。
<前提を、もう、見直そう>
児童クラブにおいては、留守家庭の児童を受け入れる。その当たり前すぎる大前提に対して、子育てをする側から「困ってしまいます」という声は、実はずっと前からありました。今もあります。それが少しだけ浮上したのが、冒頭に紹介した2つの記事です。
育児休暇をしている保護者は当然、在宅です。なので現在の児童クラブの定義では留守家庭ではないので児童クラブの入所要件を満たさないとする自治体の判断は正しい。しかし、「それでは子育てをする保護者が大変です」という声は、現実にあります。赤ちゃんを育てる保護者が、小学生になっている上の兄、姉について、放課後の数時間でも児童クラブで過ごすことが認められるなら、それだけ、保護者に余裕が生まれます。その余裕が必要だ、その余裕が欲しい、という声は決して育児の手抜き、保護者の子育ての責務の放棄ではありません。
余裕をもって子育てしたい、休息もしたい、息抜きもしたい、その保護者の気持ちは当たり前であり、正しいものです。それは親の責任の放棄やネグレクトとは全く違います。(あえてレスパイトとは表記しません。あまり横文字が好きではないもので)
世間から上がる声や、児童クラブに従事する者の本音として、「親が家にいるのに子供の面倒を見ないなんてダメだ」「子どもは親と一緒にいることが幸せ。子どもは親と過ごしたがっている」という意見があります。極めて強い意見です。私はその意見をまったく受け入れません。意図的に育児に関わらないネグレクトと本質的に違うのであれば、なぜ児童クラブで子どもが過ごすことを受け入れないのか、私には理解できません。
子育て中の親の休息だけではありません。児童クラブで、留守家庭ではない子どもを受け入れるべきだと私が考えている最大の理由は、保護者だけの子育てによる限界が確実に存在していることと、社会全体での子育てを確立するために最も効果的な仕組みが児童クラブだから、です。
私は、今の保護者、親が、昔(ものすごいあいまいな時代区分ですね)、例えば昭和時代の保護者と比べて子育ての能力、意欲、チカラが劣っているとは考えていません。昭和の時代だって、子育てに悩んでいた親は大勢いました。家庭内暴力だってたくさんありました。壮絶な家庭内暴力を描いた「積木くずし」という作品は1982年です。ただ、いわゆる昔は、地域社会がそれなりに機能していて良くも悪くも「おせっかいおじさん、おばさん」がいて、地域の方々が声がけをしてくれたり何気なく見てくれたりして、子育ての悩みの受け皿にも、子育ての心得や知恵の伝承がされていた。また祖父母とのつながり、血縁関係のつながりも色濃く存在していた。今は、それがほぼほぼ消滅していると言えるでしょう。品川区長のいう孤立した子育てが当然のように存在しています。
その代わり、今はインターネットでたくさんの子育て情報が手に入ります。書籍も、子育てに関するライフハック(生活上の知恵)も満ち溢れています。ただそれは、今の親が自ら選択して手に入れるものですが、問題は「情報の偏り」が生まれること。知らず知らずのうちに、自分が好む系統の情報が集まって来る、あるいは集めているということで、間違った情報のシャワーを浴びる可能性がついてまわっています。その情報の価値を分からない他の子育て世帯とは意気投合しずらくなり、ここにも「孤育て」が生じる可能性があります。私はそれを「積極的孤育て」と称しています。自分の子育てに賛同しない人の意見は不要だ、排除する、その施設が結果的に自分の家庭だけの子育てを成り立たせてしまうことが、積極的孤育て、なのです。
子育て世帯を覆う今の状況を根本的に変えることが必要です。だからこそ、専門的な子育て支援に関する知識と技能を身に付けた専門職を擁する子育て支援施設の重要性が生じるのです。
また、徐々に進行していった核家族化や個性の尊重といった社会的な価値観の変化から、私は、「人と人との濃密な関わりに慣れていない、経験が乏しい人」が次々に親となっていった今の社会では、家族という基本的な人と人の関りの単位内においても人間関係の構築、維持に、難しさを感じている人が増えていると感じています。それは否応なしに多人数との関わりを余儀なくされたことで知らず知らずのうちに身に付けていった人間関係の中で生きる術を身に付けることができた昔とは、決定的に違うものだと私は感じています。それが、親と子という極めて濃密な人間関係を育て、維持していくことの難しさもまた、生んでいるものであろうと感じるのです。そこには、子育てに苦労する親の姿が想像できてしまうのです。
<だから、児童クラブはすべての子どもを受け入れよう>
もう児童クラブは留守家庭の子ども、という枠を超えて、子育てについて支える全般的かつ専門的な施設として機能するべきです。児童館は本来、そのような役割をも、持っているものだと私は考えますが、児童クラブは施設数が相当ある社会資源です。そこに、より高度な専門性を帯びた資格を取得した人が配置されるようになり、必要とするすべての子育て世帯の要望や希望があれば、その保護者と一緒に子育てをしていく、あえて言えば、その親の子育て支援、子育てに関する全般的な支えとなるべきだと、私は考えるのです。
このことは、法律上の定義から変更しなければなりませんし、放課後児童クラブ、学童保育と言う仕組みそのものの変更を伴うものです。しかし、それに取り組むべきだと私は考えます。そのためには、いまのような任意事業ではなくて児童クラブは必ず市区町村が設置するべき児童福祉施設として定義されねばなりませんし、いまのような誰でも取得できる放課後児童支援員資格ではなくて、例えば新たに、より専門性を深めた国家資格を創設するなり今の放課後児童支援員資格の難易度を上げるなりの改革も必要です。基本的な考えからからはじまってありとあらゆることを変えねばなりません。
ですが、それが「こどもまんなか社会」への第一歩であると、私は考えます。
ケチくさいことを付け食われば、業界の生き残り策でもあります。というのは、この少子化の進行でいずれは児童クラブにおいても施設が余ったり資格保持者の働き口が無くなるという事態も考えられます。留守家庭という枠を無くせば、すべての子どもが対象となるわけですから、支援、援助の対象となる子どもの数はぐんと増えます。児童クラブを、保護者と共に子育てを行う「子育てステーション」のような位置付けとなれば、子どもがいる限り、存在が求められる仕組みとなるわけですから、事業として存在が不要となる恐れもなくなりますね。仕事も無くならない、ということです。いくらAIが進歩しても、人が人を支えて育てる仕組みは完全にAIで代替はできませんから、未来もずっと残る働き口にもなるでしょう。
放課後児童クラブから「放課後」を取り去ること。もっといえば、単なる「子どもの居場所」ではなく、そこで能動的に保護者とともに子育てをおこなう仕組みとして児童クラブを定義しなおすこと。児童育成支援施設を新たに打ち立てる、とでも呼べるでしょか。そのためには、法制度もそうですし、学術的な考え方、専門性においてもそうですが、ありとあらゆる分野で大転換に取り組まねばなりません。そしてもう、その時期は到来していると、私は考えています。
この考え方が広がって市民権を得られる日が来るまで私は訴え続けます。今は単なる大風呂敷に聞こえるかもしれませんが、この国の社会全体で子育てを支えることが当たり前になる日がやってこないと、ますます子育てがしにくい国になってしまいます。それだけは、絶対にごめんこうむりたい。そんな社会では、子育て支援の仕事をする人に満足な雇用労働条件を実現することができないでしょうから。
<おわりに:PR>
弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイスが可能です。ぜひご検討ください。
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放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかご検討ください。
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現在、放課後児童クラブを舞台にした小説を執筆中で、ほぼ完成しました。とある町の学童保育所に就職した新人支援員が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。残念ながら、子ども達の生き生きと遊ぶ姿や様子だけを描いた作品ではありません。例えるならば「大人も放課後児童クラブで育っていく」であり、そのようなテーマでの小説は、なかなかないのではないのでしょうか。児童クラブの運営に密接にかかわった筆者だからこそ描ける「学童小説」です。出版にご興味、ご関心ある方はぜひ弊会までご連絡ください。ドラマや映画、漫画の原作にも十分たえられる素材だと確信しています。ぜひご連絡、お待ちしております。
「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
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