想像を絶する報道(子どもの水筒に大人が排泄物を入れた!)に接して、放課後児童クラブの世界に私が思うこと。
放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。昨日(2025年3月5日)、なんとも信じがたい報道がありました。その報道に接して、私は放課後児童クラブの世界にいろいろと複雑な思いを巡らしました。雑多な感情ですが、どうかお読みください。
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<開いた口が塞がらない>
信じがたい報道とは、埼玉県草加市の地域型小規模保育の施設で、役員を務める男が子どもの水筒に尿を入れたという事案です。報道を引用します。テレ玉(テレビ埼玉)が3月5日12時23分に配信した「男の子の水筒に尿を入れた疑い 保育園役員の男逮捕/埼玉県」との見出しの記事です。
「男の子の水筒に尿を入れて使えなくしたとして、警察は5日までに、この保育園の役員を務める男を逮捕しました。男は「園児を怖がらせて言うことを聞かせようとした」と話しているというこです。」←※注意。文末は、記事そのままです。「ことです」の「と」が抜けていますね。
「男の子の母親が、草加警察署に「息子が保育園から帰ってきた際、水筒に黄色の液体が入っていた」と相談したのをきっかけに発覚しました。警察の調べに対して、三浦容疑者は「水筒に尿を入れて園児を怖がらせて言うことを聞かせようとした」と、容疑を認めているということです。」
(引用ここまで)
開いた口が塞がらないとはこのことです。
この世の中、現実の世界は、それこそ映画や小説の世界より、奇怪なことだらけです。私も新聞記者の時代に「そんなことがある?」と驚いたことがたくさんありましたし、放課後児童クラブの運営者に転じてからは、さらにもっと上を行く「信じがたい出来事」ばかりでした。その最たるものが信頼していた職員による犯罪行為で逮捕、起訴、そして有罪判決および民事訴訟ですが、実はさらにそれを上回る「とてもありえないこと」もありました。いずれ、そのことを公開できる日も来るでしょう。
しかし、昨日の草加の保育所で起きたという事案には、いろいろと思うことがありました。それは次のようなことです。
・閉鎖的な運営体制の危険性
・児童クラブを運営する組織や法人、団体は、誰のために存在しているのか
・保護者、第三者による事業と運営の監視の必要性
<閉鎖的な運営体制の危険性>
今回の草加市の事案では、母親が代表取締役を務めている施設で役員(といっても他の報道では事務員となっていますが)を務めていたといいます。つまり家族、親族で経営している企業で子どもが名義上、取締役にでもなっているのでしょう。
家族、身内が経営陣を占めている組織は珍しくありません。今回の草加の事案は株式会社のようですが、児童クラブの世界にも、営利法人、非営利法人、任意団体を問わず、一族でクラブ運営を手掛けている例はあります。特に、保育所や認定こども園、幼稚園を運営する非営利法人に見られます。
血縁関係はなくても、児童クラブを利用する保護者たちが「1つのまとまった集団」としてクラブを運営する形態も、似たようなものだと私は感じています。児童クラブのために協力し合う「ファミリー」の世界にいるようなものだからですね。
今回の報道に関してSNSでは「やっぱり一族の運営はダメだ」という意見、投稿をいくつか見かけました。心情的には私もそう思ってしまいがちです。どうしたって身内、一族は、自らを厳正に律したり厳しいルールを課してそれに従うというような行動原理を採用することについて、完全な期待が、私にはできないのです。もちろん、一族経営の法人や組織が、身内に甘くならないような公平公正な運営をしている、という例の方が多いとは思いますよ。一族や親族による、まともな法人や組織が1万社あるとしたら、いい加減な身内で甘い汁を吸っているような法人や組織は1~2社程度(で、あってほしい)と願うものです。
とにかく、一族や家族は、自分たちにとって不利なこと、残念なことは隠しがちになる、そういう傾向に、少しでも気を許すとなってしまうことを前提に考えていくべきだと、私は思うのです。それは血縁上の一族だけではなくて、疑似家族のような「保護者たちのまとまり」についても、同じことだと私は感じるのです。
今回の事案で大変気がかりなのは、報道が伝えている、被疑者の「水筒に尿を入れて園児を怖がらせて言うことを聞かせようとした」という供述内容です。これはつまり、この被疑者はかねて、子どもたちに対して恐怖や抑圧を手段として行使していたということを示しているのではないかと、私は想像します。己の言うことを聞かなかった子どもの水筒にあろうことか尿を入れたのではないかと、疑っているのです。
普段からこの保育施設では、職員が子どもたちにどう接していたのか、あるいは他の職員はこの被疑者の行動をどう思っていたのか、その点がとても気になるのです。経営者の一族だから、他に雇われている職員は、おそらく何も言えなかったのでは、なかろうか。この被疑者の行動に即した考え方で他の職員も子どもたちに接していたのではなかろうか。その点がとても気になります。
報道では、この施設に通っていた子どもたちは別の施設で受け入れられているとのこと、それは当然の措置でしょう。この施設と、この施設を運営している法人はもう同じような事業をできる余地はないでしょうから閉鎖、閉園、廃業となるでしょう。その結果として、今までその園で行われてきた子どもへの保育の内容が、このまま闇に埋もれてしまっては、私はそうであってはならないと考えます。
<児童クラブを運営する組織や法人、団体は、誰のために存在しているのか>
今回の報道では施設名を明記した報道がありました。それは評価します。以前のようになんでもかんでも実名報道の時代とは違い、21世紀になると、不祥事は施設名を匿名で報じられることが多くなったと私は感じているのですが、今回のようなあまりにも仰天の内容では、公益に資する点もあるので固有名詞を報じることに意義があると私は考えます。以前、その施設を利用していた保護者世帯にも「うちの子は大丈夫だったかしら?」と振り返る余地を与えることにもなります。
一族経営や疑似ファミリーによる企業、法人、団体がとりわけ多い福祉の世界です。私は自分の体験も踏まえて感じるのですが、運営側の人物の相互の関係が強くなればなるほど、その企業や法人、団体は、その運営側や体制内に属する人物の「ために存在する」という意識を、運営側や体制内に属する人たちに植え付けさせる恐れが強いと、感じます。
その結果として、本来であれば、「公のために」事業を行う、つまり「世のため、人のため、公の社会のため」に存在して事業を展開、福祉サービスを提供している存在であるのに、「誰のために、何のために」存在しているかをすっかり忘れてしまい、「自分たちのため、関わっている自分たちが得をするため、利益を得るため」という意識が、「世のため、人のため」という意識を圧倒してしまって、誰のために存在しているのか、その目的を見失ってしまいがちだと、私は常々感じてきていました。
税金からなる補助金を受け取って事業を行っていても、それは「福祉の事業をしているから当然のこと」として理解をしてしまい、結果的に「この事業をしている自分たちのために交付されたもの」という意識から抜け出せなくなってしまう。そういう恐れが非常に大きいと私は考えているのです。
百歩譲って営利企業であれば、最終的に利益を確保しなければ企業の存在意義がないので、利益を確保することはもちろん肯定します。ただそれも、事業目的を当然に完遂したうえでの利益の確保であって、事業目的が不完全なのに利益を確保するようでは、それは許し難いことだと私は考えます。児童クラブでいえば、子どもへの満足な育成支援が実施できていないのに、職員の雇用も労働条件も不十分なままなのに、事業者本体が利益をがっちり確保している状態です。それはいかがなものか。その点、営利企業であっても、事業をしっかりと行って社会に対して充実したサービスを提供していることが必要です。まして非営利の組織であれば、よりその点は重要視されるでしょう。
児童クラブの組織は、誰のためにあるのか。その施設で過ごす子どもと、児童クラブの仕組みがあるからこそ仕事と育児が両立できる保護者のためにあるのです。児童クラブを必要としている地域、自治体のためにも、存在するのです。その、必要な人のために必要なサービスを提供し、価値を提供しているから、その行為の対価として報酬を受け取っているのが、組織に属する人たちである、というのが私の理解です。
社会のために存在し、社会のために事業を行ってサービスを提供しているからこそ、補助金も交付されるし、利用料だって徴収できる。そもそも、「児童クラブが必要だ」という需要があるから、児童クラブを行う組織も存在できるということを、忘れがちではないでしょうか。
組織を立ち上げ、組織を回している人たちのために、児童クラブの組織があるのではない。社会をよりよく充実させるために、社会から期待されているからこそ利用され、存在できるのが児童クラブの組織だと私は強く思うのです。であれば、どういう事業を行っているか、どういうルールで行っているか、受け取った資金をどのように使っているか、つまりその組織が行っている事業や、その組織が存在するために使っているお金については、すべからく、第三者に、この社会に公開されてしかるべきだとも、私は当然に考えるのです。
児童クラブの組織は、その組織に属する人たち「だけ」のものではない。第一義的には、この社会のためにあるのだ、この社会のためにあって社会全体が望む「子育て支援」「子どもの健全育成」という崇高な役割のために存在するからこそ、補助金も、評価も、敬意も尊敬もまた受けているのだ、という意識を児童クラブの世界の人たちがもっと強く意識をしてほしいと、私は願っています。保護者と職員のため「だけ」ではない。この社会のためにこそ、存在しているのだという。昔の言葉でいえば「社会の公器」であるべきだと思うのです。(そのためにこそ、放課後児童健全育成事業で届け出を受理されていれば、しっかり補助金は交付されるべきだとも、私は考えます。そこに市区町村の裁量で交付しないという判断がなされないように、制度が整えられることが必要だとも、考えます。)
保護者たちによる、やや閉鎖的な形態の運営であっても、何ら変わることはありません。いったん、児童クラブを運営するんだと決めて事業に乗り出したからには、「この社会のために」存在するのだという、「公の」意識を持って、運営に携わってほしいと私は望みます。
<保護者、第三者による事業と運営の監視の必要性>
今回の草加の事案の報道では、たまたま保護者が気が付いたことが発覚の端緒のように、記事から読み取れます。他に複数の子どもの水筒に被疑者が尿を入れていたという報道があります。今回、異変に気が付いた保護者が草加警察署に相談したことで発覚した、という報道がありますが、この方がもし気が付かなかったらと思うと、恐ろしいです。
私が継続的に関心を向けている、滋賀県栗東市の放課後児童クラブを利用していた子どもが、何らかの要因で、それはおそらく児童クラブの中で起こったことがきっかけであると強く思われる要因で、心理的な傷害を受けた事案があります。それも、児童クラブという、外部の一般社会からは閉鎖的な空間内で、何かが起こったのだろうと強く推察できることです。
他にも、時々、児童クラブ(に限ったことではないにせよ)で起こる事案や事故、事件があります。それらは「なぜ」「どうして」「だれが」「どうやって」起きたのか、完全に解明することがなかなか難しい場合があります。栗東市の事案のように、事業者や行政が、事態の究明に後ろ向きであれば、なおさらです。
公のために存在している児童クラブです。そこで、何が、どのように起きているのか、行われているのか、やはり外部の者、一般社会が容易に把握できるような仕組みを備えるべきだと私は考えます。それな児童クラブの職員による子どもや保護者への支援、援助に限定されることなく、事業に関して起こるすべてのことについて、同様です。職員間でのやりとり、コミュニケーションもそうです。また、児童クラブを運営している企業、法人、組織、団体の組織統治についても同様です。
つまり、ガラス張りの運営こそ、必要であると私は考えます。
そのために、保護者は当然、組織内で運営に携わる者が随時、アクセスできるカメラを設置するのも良いでしょう。後日、運営の状況を確認するために、運営に関して責任を負う者、管理監督の責任を負う立場の者が確認できるように、しっかりと映像や音声の記録が保存されていることが必要でしょう。そうであれば、少し前に旧ツイッターであれこれ投稿が飛び交った「無断録音」の持つ危うさも排除できるでしょう。子どもに対する権利の侵害だけでなく雇用主、使用者による従業員、職員へのあるまじきふるまいもまた、監視できるからです。
組織の運営に関する情報もまた、確実に公開されるべきです。補助金が交付されているなら当然、交付されていなくとも、放課後児童健全育成事業という法律に記された事業を行う事業者であれば、社会に、事業の実態、事業者の現況に関する情報は、すべからく公開されるべきです。
児童クラブの事業者に多いNPO法人は、事業報告書や活動計算書、定款など運営に関する書類の公開が義務となっていますが、その内容は千差万別です。せめて社会福祉法人同様の情報公開が必要です。保護者会や運営委員会のような任意団体でも、その年度の事業の責任者は誰なのか、いくらの収入があってどういうことに使っているのかも、広く情報が公開されるべきでしょう。「保護者だから、ボランティアだから」は、通用しないと私は考えています。公開されたくないというなら、運営から撤退するべきだとも考えます。行政も、公開を義務付け、公開に従わない任意団体には児童クラブの運営を任せるべきではないと、私は考えます。
保護者会や父母会のあり方についても言いたい。私は、児童クラブを利用する保護者が強制的に加入させられる保護者会については否定的です。まして、そのような強制加入の保護者会、つまり任意団体が、子どもの生命身体を守り、職員の雇用を守るという権利義務関係を担うことは、あってはならないと考えます。
私が否定するのは、強制加入の点と、強制加入の任意団体が児童クラブという事業運営に関わる権利義務関係を担うことであって、こと、児童クラブで、どのように子どもたちが育っているか、どのような育成支援が行われているのかについて、保護者はしっかりとその情報を得ること、そしてより質の高い育成支援が行われるために保護者の立場で考えること、意見を出せる方は意見を出していくことが、当然に必要であると考えます。
保護者たちが、それは任意の集まりでも良いのですが、児童クラブで行われている健全育成事業の内容を知る、あるいはチェックする、あるいは希望する者が参画するということは、当然ながら推奨したい。それは事業者にとって、ある意味、とても有益(かつ非常に手ごわい)な、外部からの視点となるからです。事業者ひとりよがりの運営に陥らない、職員たちが自分たちのやりやすい独善的な事業執行に陥らないために、必要な仕組みだと私は考えます。
親として、保護者として、児童クラブにおいて、どのような事業が行われているか。我が家の子どもだけでなく児童クラブで過ごす「みんなの子ども」がどうやって過ごしているのかを、保護者「たち」が知ることこそ、児童クラブに置ける事業の質を向上させるための大きな仕掛け、仕組みの有効な1つの手段であると私は信じています。
それ以外の手段は当然ながら、徹底した法令遵守です。ルール、決まりに従った運営。そのためには、まっとうな事業が運営できることを定めたルール、決まりを、事業者がしっかりと定めてそれに従うことこそ、必要です。
利用者であって、子どもの監護者である保護者による関わり。そして徹底した法令遵守。この2つの仕組みをしっかりと備えた児童クラブこそ、安全で安心できる、質の高い放課後児童健全育成事業が実施できると、信じています。
草加の施設は、どうだったのでしょう。大変気になります。そしてこの報道を見聞きした児童クラブに関わる人たちが「うちの施設は大丈夫かな」と、自らの属する世界を点検する、確認するという意識を持ってほしいと、私は切に願います。
<おわりに:PR>
弊会は、次の点を大事に日々の活動に取り組んでいます。
(1)放課後児童クラブで働く職員、従事者の雇用労働条件の改善。「学童で働いた、安心して家庭をもうけて子どもも育てられる」を実現することです。
(2)子どもが児童クラブでその最善の利益を保障されて過ごすこと。そのためにこそ、質の高い人材が児童クラブで働くことが必要で、それには雇用労働条件が改善されることが不可欠です。
(3)保護者が安心して子育てと仕事や介護、育児、看護などができるために便利な放課後児童クラブを増やすこと。保護者が時々、リラックスして休息するために子どもを児童クラブに行かせてもいいのです。保護者の健康で安定した生活を支える児童クラブが増えてほしいと願います。
(4)地域社会の発展に尽くす放課後児童クラブを実現すること。市区町村にとって、人口の安定や地域社会の維持のために必要な子育て支援。その中核的な存在として児童クラブを活用することを提言しています。
(5)豊かな社会、国力の安定のために必要な児童クラブが増えることを目指します。人々が安心して過ごせる社会インフラとしての放課後児童クラブが充実すれば、社会が安定します。経済や文化的な活動も安心して子育て世帯が取り組めます。それは社会の安定となり、ひいては国家の安定、国力の増進にもつながるでしょう。
放課後児童クラブ(学童保育所)の運営支援は、こどもまんなか社会に欠かせない児童クラブを応援しています。
☆
弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイスが可能です。ぜひご検討ください。
☆
放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかご検討ください。
☆
「リアルを越えたフィクション。これが児童クラブの、ありのままの真の実態なのか?」 そんなおどろおどろしいキャッチコピーが似合う、放課後児童クラブを舞台にした小説を完成させました。「がくどう、序」というタイトルで、2025年3月中旬に、POD出版(アマゾンで注文すると、印刷された書籍が配送される仕組み)での発売となります。現在、静岡県湖西市の出版社に依頼して作業を進めております。
埼玉県内の、とある町の学童保育所に就職した新人支援員が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。残念ながら、子ども達の生き生きと遊ぶ姿や様子を丹念に描いた作品ではありません。大人も放課後児童クラブで育っていくことをテーマにしていて、さらに児童クラブの運営の実態を描くテーマでの小説は、なかなかないのではないのでしょうか。児童クラブの運営に密接にかかわった、元新聞記者である筆者だからこそ描ける「学童小説」です。ドラマや映画、漫画の原作にも十分、活用できる内容だと確信しています。ご期待ください。
20万字ほどの超大作になってしまったので、注文を受けてから印刷するという仕組みの設定上、価格が2000円以上になってしまいます。気軽に買える値段ではないのですが、それでも、損はさせません!という気合を込めて、お願いします。ぜひ、手に取ってください!
☆
「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
☆
(このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも共感できる部分がありましたら、ツイッターで萩原和也のフォローをお願いします。フェイスブックのあい和学童クラブ運営法人のページのフォロワーになっていただけますと、この上ない幸いです。よろしくお願いいたします。ご意見ご感想も、お問合せフォームからお寄せください。出典が明記されていれば引用は自由になさってください。)