学童保育業界の進化発展に必要なことは「学童保育の常識は世間の非常識」を徹底的に追放すること。その1

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。子どもの育ちを支える学童保育、保護者の安定した生活を支える学童保育、そして社会を支える学童保育を支援する「学童保育運営支援」の重要性と必要性を訴えています。

 学童保育の世界は、その重大な使命と任務に対する社会の評価と理解がまったく追い付いていません。そのため、学童保育で働く人たちの給料が安く、いつまでたっても人員不足であり人材不足であり、それがさらに質の向上を妨げる悪循環に陥っています。
 そんな学童保育業界でよく言われる戯言(ざれごと)が、「学童保育の常識は、世間の非常識」。なんとも自虐的ですが、実は全くその通り。だからこそ、「学童保育の常識」を徹底的に打破しなければなりません。今週の弊会ブログは、そんな「学童保育の常識」を徹底的に批判し、学童保育の進化発展を願うものとします。

 1日目の今回は、学童保育業界に根深い自画自賛の体質を取り上げます。それはすなわち「第三者からどう見られ、評価されることを全く気にしない」という、客観視ができない残念な体質そのもの、なのです。

 その分かりやすい例が「指導員」の呼称です。

 放課後児童支援員という新たな公的資格が2015年に誕生してもう9年目です。ですがいまだに「学童(保育)指導員」という呼称が大変多く使われています。昔からなじみがあって愛着があるからとか、放課後児童支援員の資格を取得していない学童保育で働く人を含めた呼称として便利だからとか、いろいろな理由があるようです。学童保育業界最大手の業界団体が指導員呼称を続けるものですから、指導員という呼び方が正しい、と思う人も大勢いるでしょう。

 全く違います。保育士は制度を変えてそれまでの保母から保育士となりましたが、保母と呼んでいる人がいますか?いませんよね。保育士という資格名称になったから、保育士と誰もが呼ぶのです。
 では放課後児童支援員は? いまだに指導員と呼ぶ人が多いですよね。

 何が問題なのか。それは「ことばには、そのことばが持つ意味に、人はひきつけられる」ということを考えてください。難しいですか?例えば「鬼」という単語。その言葉から「おっかない、恐ろしそう」というイメージが頭の中にでてきませんか?日本語の中でも漢字は表意文字といって、単語に意味が含まれるからです。漢字による言葉には、それを見た人にある種のイメージを思いつかせます。なお、表音文字であっても、あるいは漢字による単語を音で聞いたとしても、「耳にして頭の中で受け止めたとたん、その言葉からイメージを連想する」のです。「こおり」と聞いたら涼しいイメージがでますよね。同じことです。

 さて、「指導員」という言葉から、世間の人々は何を連想しますか?学童保育指導員という言葉からは、「ああ、学童指導員は、学童保育所で子どもを指導する仕事なんだね。学童保育所は子どもに生活や過ごし方を指導する場所なんだ」というイメージを、間違いなく、世間の人々は連想するでしょう。学童保育指導員という言葉が、大変多く使われるということ、そして学童保育所で働く人や業界団体がその言葉を使うということこそが、「学童保育所は、子どもに指導するところ。学童指導員は、子どもにいろいろなことを言い聞かせる人」という社会的合意の形成に寄与する、ということを意味します。

 違う視点から説明すると、学童保育指導員という呼称を使い続けて平気な人たちは、「自分たちが、第三者(つまるところ、この世の中であり、社会)から、どういう見られ方をするか、どのように理解されるか、ということをまったく考慮していない」ということです。
 それはすなわち、「自分たちが満足しているのだから、それがいい。ヨソからどう見られようと、自分たちが望む呼び方なんだから、それでいい。本当の意味はヨソの人たちが学んでしるべきでしょう」という、極めて自己中心的であり、唯我独尊、夜郎自大、自画自賛の世界で生きている、ということだと、私は強く批判します。

 学童保育の世界に関わる人の嘆きでは「社会は、学童保育のことを分かってくれない。ただ遊ばせているだけだとか、ただ見守っているだけだとか、育成支援のことを理解してくれない」という内容が大変多いですね。当たり前ですよ。指導員という呼称から、社会の誰が、「子どもは、遊びと集団での生活を通じて子ども自身が主体的に育っていく。その子どもを支えるのが、学童保育所で働く人たちの仕事」であるということを、連想するというのですか。

 指導員と言う呼称からは、「子どもに言うことを聞かせ、遊ばせ、あれこれさせて過ごさせる」という一般的なイメージを社会が抱く事態を招くということに、学童保育で働く人や業界団体が、あまりにも無頓着なことに、本当に残念に私は思います。それは学童保育の世界が「自分たちが正しい。自分たちは間違っていない。間違っているのは社会だ」という閉鎖的体質があるからだと、私は思っています。
 学童保育の事を伝える業界の雑誌があります。内容は素晴らしいのですが、根本的な編集理念は、基本的には自画自賛であると私は判断しています。だれそれが頑張っている、一生懸命である、という内容。本来、質の向上というのは、成功例だけの紹介では達成できません。むしろ、失敗や問題を積極的に取り上げてこそ業務や質の改善ができるはず。それをしないのは、実は質の改善や業界の発展を目的としているのではなくあくまで組織運営の費用調達のためという存在意義に固執しているからなのでしょう。
 それはそれで重要な目的ですが、強制的な募金のようなものは、当然、いずれ先細りです。そのうち、手に取る人は完全に組織内の人たちだけになり、「タコが自分の脚を食べるようなもの」と化すでしょう。

 学童保育業界が、本当にこの社会に、自らの社会的使命と意義、そして役割を正確に発信し、社会からの学童保育に関する評価を高めたいのなら、直ちに「放課後児童支援員」という呼称を大々的におこなうべきなのです。

「学童保育指導員って子どもを指導する人だよね。子どもを指導して言い聞かせるだけだから、給料は手取り月18万円で十分だよ。そんな楽な仕事ないでしょ」となるのがオチです。
「放課後児童支援員って、子どもの主体的な成長を援助し、子どもたちが自分であれこれ工夫して過ごすことを、子どもたちが自ら行えるように適切に関わっていく仕事?そりゃ大変でしょう。給料が手取り月18万円では少ないんじゃない?」と、なる可能性が出てくるのです。

 人は、常に第三者(社会)から、どのように受け取られ、評価されるのか。それを常に意識することが必要で、その意識を放棄したり重要視したりしない人や団体、組織は、あっというまに自堕落します。「学童保育指導員たちは頑張っている。すごいんだ。それを分からない社会が残念なんだ」と思う学童保育界の常識こそ、世間の非常識なのです。

 もっと「放課後児童支援員」という資格を大事にしましょう。愛しましょう。その上で、この資格の更なる質的強化と発展を国に呼びかけましょう。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育所をめぐる構造的な問題について、その発信と問題解決に対する種々の提言を行っています。また、個々の学童保育所運営者様へ、安全安心な子どもの居場所づくりとその運営手法において、学童保育組織運営について豊富な経験を持つ代表が、自治体や学童保育運営事業者に具体的な助言、アドバイスを行うことが可能です。

 子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。どんなことでも「あい和学童クラブ運営法人」に、ご相談ください。子育て支援の拡充に伴い、今後ますます重要視されていく子どもの居場所づくり事業の充実のため、一緒に取り組んでいきましょう。

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