学童保育所では英語や勉強をする時間がほとんどなく、子どもにとって無駄な時間だと思うのですが?

 学童保育所の多くは、とりたてて勉強、学習に使う時間を長めに確保していることは少ないです。宿題の時間があっても、その宿題も学童保育所の職員がつきっきりで教えるということはまずありません。というのも、設置目的がそもそも違うのです。

 学童保育所はそのほとんどが「放課後児童クラブ」です。放課後児童クラブとは、児童福祉法が定める「放課後児童健全育成事業」を実施する場所です。それを歴史的な経緯もあって学童保育所と呼ぶことが多いのです。その放課後児童クラブは、子どもの生活及び遊びの場として位置づけられているのです。生活の場はすなわち生活習慣を身に付ける場であり、遊びの場とは遊びを通じて子どもが必要な主体性や社会性を身に付けていく、すなわち人格としての成長の場であることを意味しています。そしてその管轄はこども家庭庁であり(2022度までは厚生労働省)、児童福祉の世界です。

 つまり、勉強や学習の場として位置づけられていないのです。もちろん生活の場であり「第二の家庭」という位置付けもありますから宿題の時間があります。しかし、それを超えて、学習をある程度以上まで行う場であることを、そもそも国が考えていないのですね。

 これは、児童クラブの場を人間の成長の場として位置づけていることである、ということです。人間として社会の中で生きていくには、学力うんぬんの前に、まずは自主性だったり他者との協調性、コミュニケーション能力、あるいは困難に遭遇して時には失敗してもそれを乗りこえていこうという主体性や自己肯定感がある程度、育っていることが求められます。いくら偏差値が高い学校を出ても社会で、会社で、うまくやっていけるかどうかは最終的には「人間としてのチカラ」が影響することは多くの大人が実感していることでしょう。そうした、人間としての総合的な能力を育てていこう、というのが児童クラブの目的なのです。学力向上や専門的な知識を伸ばすことは別の機会に別の場所で、という考え方といえるでしょう。それを「無駄なこと」として判断するか、「そういうことなら小学生のうちは人間の基礎的な力を養ってもらおう」と考えるかは、それぞれ個々の判断ですし、それに優劣はつけられません。小学生であっても基礎的な人間としての能力を十分育てており高度な知識や技能をどんどん吸収したいという子どもだっています。

 基本的は、学力向上や英会話を目的とした児童クラブは本質的には存在しないのです。しかし一方で、児童クラブの設置運営は市区町村の判断に任されています。待機児童が多い地域では学習塾や英会話の業者が児童クラブを開設し、そこで子どもを受け入れることも行われています。当然そこでは学力向上や英会話、あるいはダンスやスポーツなどが、一般的な児童クラブ、学童保育所よりはるかに多い時間を使って行われています。言い換えれば、「国は原則を示しているが、市区町村の判断によっては、学習塾や英会話教師のような児童クラブが存在する余地はゼロではない」ということになります。このあたりの区別は現場ではだいぶ崩れてきています。通常の児童クラブでもホームラーニングで一定程度の学習支援を行う形態も増えています。
 所得の二分化が進行する中で貧困による学習機会の差が生じていると指摘されています。児童クラブに通う低所得者世帯の学習機会を確保する観点でにおいて重要なことですから、今後はさらに児童クラブにおける学習機会について議論が深まっていくことでしょう。

 (運営支援による「放課後児童クラブ・学童保育用語の基礎知識」)