学童保育の進化発展のために、あえて「嫌なところ、ひどいところ」と向き合う。ここが嫌だよ学童保育! その4

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。子どもの育ちを支える学童保育、保護者の安定した生活を支える学童保育、そして社会を支える学童保育を支援する「学童保育運営支援」の重要性と必要性を訴えています。学童保育の問題や課題の解決に向け、ぜひ皆様もお気軽に、学童保育に関するお困りごと、その他どんなことでも、ご相談やご依頼をお寄せください。講演、セミナー等をご検討ください。
 また、萩原は2024年春に「知られざる学童保育の世界」(仮題)を、寿郎社さんから刊行予定です。ご期待ください!良書ばかりを出版されているとても素晴らしいハイレベルの出版社さんからの出版ですよ!

 あい和学童クラブ運営法人は11月4日に登記上の設立日を迎えました。活動1周年を迎え、運営支援ブログは改めて学童保育の抱える課題や問題を取り上げています。今週は、学童保育について嫌なところ、ひどいところをあえて取り上げています。なぜなら、嫌なところやひどいところを認識し、その除去や修正ができれば、内容が改善されるからです。ぜひ皆様も、「こんなひどいことがある」という内容を、弊会までお伝えください。当ブログで紹介していきます。もちろん、紹介する際は固有名詞、当事者が判明するようなことはありませんから、ご安心ください。情報提供は匿名でも結構です。
 また、取り上げていく嫌なところ、ひどいところは、あくまでも「そういう例がいくつかある」というだけで、すべての学童保育所にあてはまるということではないことは、くれぐれもご理解ください。

 さてこれまでには以下の点を取り上げました。
・運営主体も現場の職員も保護者も、「預り所」で満足している
・事業の「質」に、設置者もユーザーも無関心
・あまりにひどい事業者(経営母体、運営主体、運営責任者のこと)があり、学童保育をボロボロにしている
・専門職として、社会人として、レベルが低すぎる職員が目立つ

 本日は、学童保育側の建前と本音の食い違いが大きい次の事を取り上げます。これまたバッサリといきます。
・子育て支援としてのサービス向上に後ろ向きなあまり、結果的に自ら首を絞めている

 まず、学童保育側によくある反応で、「サービス」という言葉を見たり聞いたりしただけでものすごい拒否反応が出ます。「学童はサービスじゃない!」「福祉は対人支援職。サービス業ではない!」とまあ、逆ギレされます。それは、その人が無知であることをさらけだしているだけですよ。行政の資料にもサービスという単語は使われますが、私も児童福祉サービスという語句を使う際のサービスは「生活や消費に必要な役務を提供すること」の意味で使います。学童保育の世界で逆ギレする方たちは「相手に利益を与えること、へりくだって給仕すること」の意味しか頭に思い浮かばないのでしょうね。そういう知識すら欠けている人たちが多い職業が、とても福祉サービスの専門職と世間にはみなされませんよ。

 また、私がよく使う「世間」「社会」についても一言。学童保育の評価が「社会的に」「世間的に」向上するとはどういうことでしょうか。もちろん、市井一般の多くの人、いわゆる住民、国民全体のことであり、その人たちの意識=世論のことですが、特に重要なのは、実際に社会の行く先を決めたり流れを起こしたりできる立場の人たちがその中に含まれている、ということです。言い換えれば、社会的に、あるいは世間的に評価を受けることは、今後の行く末について何らかの関与ができる人たち、いわゆるパワーエリートと称される立場に属する人たちに認知、受容されることも期待するのです。その点で、メディアが、学童保育のことを正確に、絶え間なく社会に発信することは何より欠かせない要素となります。

 上記サービスの意味と社会や世間の意味。この2点を前提に、かつ「適切な育成支援が必要十分に行われていることを前提に」、本題に切り込みましょう。「学童保育における子育て支援としてのサービス」とは簡単に言うと、「保護者(利用者)にとって便利であること」です。子育てと仕事等の両立という、とても大変な日常において少しでも保護者の苦労、心労を軽減することです。単に時間的な制約を緩めるだけでなく、子育てに関するあらゆる困りごと、悩みに寄り添って助言し、支え、励まし、具体的な支援を提供することです。

 学童保育で言うなら、子育てに関する悩み、例えば「うちの子は、友達とうまく仲良くなれないみたい」といったことから「家でゲームばかり。ネットばかり。勉強にまったく興味がない」という悩みまで幅広い子育ての悩みに支援員は対応することがありますが、学童保育に求められるサービスの向上とは、そういった子育ての本質的な部分への支援だけではありません。「子育て生活における便利さの向上」、つまり、朝は出勤に間に合うように開所時刻が設定されていて、夜は定時に退勤しても余裕をもって迎えに間に合う閉所時刻の設定など、「使い勝手」の部分のサービス向上もまた必要です。その最たるものは「学童保育を必要としている子育て世帯が、待機児童になることなく学童保育の利用ができる」ということですね。

 こういうことを主張するとまたもや学童保育側から反論が出ます。「学童保育所の開所時間を伸ばすと、親はどんどん子どもを長い間、学童保育所に連れて行く。親子で過ごせる時間が減る。それこそ子育てに深刻な影響がある」、と。親子で過ごす時間の長さと、親子の関係性の強固な構築が比例すると考えているなら、あまりにも単純すぎる考え方としか言いようがありません。それこそ子育ての専門性のカケラも感じさせませんね。親子で過ごす時間の長短は親子の良好な関係を築く絶対条件として左右するものではありません。影響を与える条件であることは私も否定はしませんが、共に過ごす時間の長短で親子関係の性質が決定的に左右されるものではありません。

 そもそも、親子で過ごす時間を良好な親子関係をもたらすうえで絶対視することは、学童保育の職員、放課後児童支援員等の仕事の目的を理解していませんね。子育て支援というのは、「親子で一緒に長時間、過ごすことができない子どもの成長発達を、支援するのが学童保育の職員の仕事。親と過ごす時間が短い子どもでも、それによって何らかの否定的な影響が生じることがないように支援するのが、学童保育の職員の仕事」ですよ。「親子で過ごせない時間が長くなるのは反対だ」という学童保育職員は、自らの職業の任務を否定していることになります。学童保育で子どもが長く過ごすことに賛成できないという支援員は、正確に学童保育職員の仕事の意義を感じられないと私には判断できますので、この仕事をお辞めになられた方がよい。

 もう1つ。学童保育という存在は、その他多くの仕事と同じように、社会が必要としているから存在しています。逆に言えば、「社会から必要とされなくなったら、不要となる」ということ。学童保育は子育て支援において必要な重要な社会的インフラと私は考えていますが、それとて、社会が「学童という仕組みは、もう不要」となれば、存在する理由も意義も失いますし、そこで働いている人は失業するのですよ。これは当たり前のことですが、その当たり前のことを学童保育業界の人たちはまるで意識していない。「学童は、子どもの育ちに必ず必要だ」と言う人をよく見かけますが、私はいつもあきれています。一時期は隆盛だったもののその後、ニーズが減ったことで消滅あるいは大幅に勢力を縮小させた仕事、業種なんていくらでもありますね。

 このことは、開所や閉所の時刻に当てはめると、学童保育を利用する側が必要とする時間帯に学童保育所が利用できない、利用しにくいとなれば、学童保育に対する必要性や期待も減っていく、それは学童保育に対する社会の支持もまた減るということです。そして、そのような保護者のニーズ、社会の期待を満たすような別の業態や別の業者が発展するということを意味します。学童保育の世界の中でも、お役所仕事で融通が利かない公立公営による運営より、営利企業の才覚で何が利用者の支持を得られるか熟知している民営による運営の方が利用者たる保護者の支持を集めるということがあります。これこそまさに「サービスの受け手から歓迎されることが、その業態の支持となり、それが業界の発展を導く」ということの典型例です。営利企業の学童保育運営が、ものすごい勢いで伸びているのは、単に指定管理料が安くて行政の財政コスト軽減に役立つからだけではありません。従前の学童保育所運営形態によって提供できる児童福祉サービスの中で、利用者たる保護者の利便性の向上をもたらすという点があることを無視していはいけません。子どもと保護者への支援の質の良さ「だけ」では、公共の児童福祉サービスは必ず選定されないことを理解しなくては、育成支援を大事にする勢力は、生き馬の目を抜く営利企業に完敗します。現に、そうなりつつあります。

 もっとも、本来は育成支援の質の優劣で学童保育所の評価がなされるべきです。残念ながら社会はその点より利便性やコストを重視している現状があります。理想に固執して理想を訴え続けても、実際に利便性とコストを重視されてしまってはおしまいです。その点、私は現実主義者、リアリストとして、「社会や世間から支持され、選ばれる学童保育所になるためには」の観点を大事にするべきだと考えています。育成支援の質こそ学童保育の質のレベルを図るという観点であるという理解に対して社会や世間の目を向けさせる努力が別途必要なのは、言うまでもありません。

 子どもに対する育成支援の質はもちろん大事です。健全育成事業の根幹ですから。しかし、それを優先するがあまり、支援員側の一方的な考え方を理由として保護者の子育て支援が軽視され、子どもの育ちを大事にするという錦の御旗を掲げて保護者の生活様式を制約するような運営を続けている学童保育側の態度は、学童保育の使い勝手の向上に関する努力から自ら顔を背けることと同じこと。結果として、利用者たる保護者の支持と理解を失い、「だったら、使い勝手のいい営利企業の学童の方が良いわ」と、学童保育側は自らの足場を狭くしている、自ら首を絞めているのです。

 よって、学童保育が今後、社会や世間からの支持、理解を得て、社会や世間から選ばれるためには、児童福祉サービスの充実、それも事業運営実態としての利便性向上は欠かせません。この努力を続けることで社会や世間からの支持や理解を得ることが、「やはり学童保育は必要だ。とても助かる。助かった。感謝している」という評価の蓄積となり、それは当然、学童保育の世界への高い評価と尊敬の念となり、結果的に、学童保育で働く人たちのあらゆる面での改善に結びつくのです。

 これは裏返せば、誤った支援観念の下で、次のような(よくありがちな)事、
・「なるべく親子一緒に過ごしてください。だから開所の時刻は早めません。閉所の時刻は遅くしません」
・「お弁当を親が作ることが親の愛情です。学童では一切、昼食提供の便宜は図りません」
・「学童では宿題の時間の確保以外は一切、勉強や学習に関わりません。宿題もやる、やらないはその子の判断。学童は関与しません。親子で勉強に向き合ってください。その方が子どものためです」
などを学童保育側が保護者に要求し、利用者たる保護者の要望や願いをまったく寄せ付けないのであれば、保護者の支持と理解、社会の支持と理解を減退させ、失わさせることになります。それはいずれ、学童保育に対する社会の支持、理解を失わせ、学童保育で働く人の待遇をもっと改善しなければならない、という声を受け止めてくれる人はいなくなります。

 もちろん、提供できるサービスは「つり合い」が必要です。いわゆる民間学童保育所(学習支援系)は、毎月の利用料が5万円以上という高い料金設定ゆえに、利用者は、送迎サービス、食事提供サービスを享受できるか、または若干のプラスアルファの追加料金を支払うことで選択できます。一方、事業委託や指定管理などで公営事業に準じた運営をしている場合は、収入の設定からして、あれもこれものサービスの準備提供はできません。できる範囲で、利用者たる保護者の便宜を図ることになります。もちろん、送迎支援の補助金、食事提供に関する職員の配置に関して育成支援体制強化事業補助金を獲得して、そのようなサービスを実施することは当然可能ですし、そうした補助金があるのですから、学童保育の運営事業者はそれら補助金を積極的に活用してサービスの幅を広げることが大事です。

 「必要としてくれる人がいなくなったら、存在することができない」。学童保育も例外ではないのです。社会から必要とされ、感謝される存在になること。この当たり前の事を改めて考えましょう。

 「ここが嫌だよ学童保育」シリーズ。ぜひとも皆様からの事例提供をお待ちしております。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の持続的な発展と制度の向上を目指し、種々の提言を重ねています。学童保育の運営のあらゆる場面に関して、豊富な実例をもとに、その運営組織や地域に見合った方策について、その設定のお手伝いすることが可能です。

 育成支援の質の向上に直結する研修、教育の機会を提供するとともに、個々の学童保育所運営者様へ、安全安心な子どもの居場所づくりとその運営手法において、学童保育組織運営について豊富な経験を持つ代表が、自治体や学童保育運営事業者に講演や具体的な助言、アドバイスを行うことが可能です。もちろん、外部の人材として運営主体の信頼性アップにご協力することも可能です。

 子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。どんなことでも「あい和学童クラブ運営法人」に、ご相談ください。子育て支援の拡充に伴い、今後ますます重要視されていく子どもの居場所づくり事業の充実のため、一緒に取り組んでいきましょう。

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