天知る、地知る、我知る、子(なんじ)知る

(代表萩原のブログ・身辺雑記。なお、本文と猫の写真は関係ありません)学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」萩原和也です。きょう(12月8日)朝、息子を東大宮駅へ送っていった帰り、交差点での信号待ちをしていたときのこと。歩行者用信号が赤だったので近隣の学校の生徒さんたち5、6人が信号待ちをしていました。徒歩で数歩歩けば渡れる細い道ですが、しっかりと信号を守っていました。
 すると後ろからやってきたコート姿の大人。その生徒たちの中をすり抜け、歩む足を止めることなくさっさと赤信号を渡っていきました。急になにやら話を始める生徒たち。その声はまったく聞こえませんでしたが、おそらく、赤信号を守らなかった大人に対しての話でしょう。
 以前、何かの書籍で、車がまったく通っていない時間帯の横断歩道で、赤信号を律義に待っている日本人に対して欧米の方が「なんて主体性のない国民性なんだ、合理的ではない」と評していた、というような内容の文章を読んだことがあります。明らかに事故に遭うリスクがないのだから自分の判断で赤信号だろうが渡るのが合理的だ、という考え方なのでしょう。でも、私はそれがすべてにおいて素晴らしい、合理的だ、とは思えませんでした。
 たとえ車が通っていないことが一目瞭然でも、「赤信号」なのだから渡らないで青信号に変わるまで待つ、という判断は、わたくしは素晴らしいと思います。だって、ルールを守っているということだから。
 ルールを守ることは、人間が、好き嫌いにかかわらずに実行しなければならないと思っています。不条理な判決に従って命を落としたソクラテスの例もありますが、それはともかく、決められたルールに従うこと、社会人、組織人としていえば、コンプライアンスをしっかり理解した行動をとることが、結局は、一番合理的であろうと思うのです。
 朝の光景で、赤信号をさっさと渡ってしまった大人の方にもなんらかの事情があったのでしょう。信号をしっかり守って立っていた生徒たちが、赤信号を守らずに渡った自分の姿を見てどう思うか、なんてことも想像するようなことはしていないでしょうね。でも、あの生徒たちには、きっと、残念な光景だとして記憶に残るのではないかと、わたくしは思います。
 以前に属していた組織で新採用の職員さんたちを対象にわたくしが法令順守などの講義をしていたとき、誰もいない横断歩道でも赤信号なら渡らない、みなさんにはそういう人であってほしいと述べたことがあります。後日、その講義を聴いていた職員さんから「あの話を聞いて、信頼できる法人だと思いました」と告げられたことがありました。まさに、我が意を得たり、でとてもうれしくなった記憶がよみがえりました。
 いまどき、天も地も、現実離れした概念ではありますが、少なくとも、ある行動を行った人は、自らが行ったふるまいを知っているのです。目の前に人がいたら、その人も自分のふるまいを知っているのです。古(いにしえ)から、間違ったことをしてはいけないよと戒める言葉をタイトルにしてみました。きょうの生徒さんたち、あの大人のふるまいを反面教師に頑張ってほしいと願っています。そういえば反面教師を打ち出した、とある生保のCMは最近とても印象に残りました。余談のさらに余談でした。

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