今も根強い誤解、偏見。「学童の子どもはかわいそう」「学童の子は乱暴、不安定」。一面だけを切り取る見方は残念

 放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブに関して時々、残念な意見や見方、言葉を耳にします。先日もSNSで見かけました。一面だけを切り取ってみているか、あるいは「一面しか見ていない、見ようとしない」ということから、誤解や偏見が生まれるのでしょう。児童クラブ側は「決してそんなことは、ない」ということをしっかり発信していく必要があると、運営支援は考えています。
 (※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)

<学童の子はかわいそう>
 私も面と向かって小学校の校長や教員、あるいは行政パーソンや、地域の方など、実に様々な方面にいる方から言われたことが何度もあります。「学童はかわいそうな子どもたちがいる場所だからさ、しっかり面倒みてやってよ」と議員からも言われたことすらあります。おそらく口にした方は、児童クラブの運営をしっかりと、子どもたちに丁寧な運営をしてくださいよ、と言いたかったのでしょう。それは確かに絶対に揺るがされてはならないことですが、前提条件の「かわいそうな子どもたちがいる場所」という理解が児童クラブに対して抱いているということは、見過ごされてはならないことですね。

 なぜ、かわいそうと思うのか。その場で「どうしてかわいそうと思うのですか?」と今まで聞いてこなかった自分に失態があります。次に面と向かって話してくる人がいたら、必ず聞き返します。よって今は想像ですが、おそらく、次のような考え方が念頭にあって「学童の子どもはかわいそう」となるのでしょう。
「親と一緒に過ごせない。下校してひとりぼっちの時間がある」
「児童クラブではほとんどの場合に集団生活のルールがあり、子ども自身の意思で好きなことを選択して行うことが必ずしもできる環境で過ごせない」
「放課後の自由な時間なのに児童クラブで無理やり過ごさねばならない」

 また、「かわいそう」と発した人が知っている児童クラブの状況が、荒れていたり息苦しかったり、大規模状態で過密状態であるなど、良好な育成支援の環境を備えていない場合では、次のような考え方に及ぶのでしょう。
「あんなにひどい環境で過ごさざるを得ないなんて、かわいそうだ」
 この、児童クラブの環境や状況の影響のために、子どもがかわいそうな思いをさせられることは、これは子ども自身の責任や原因ではなく、完全に児童クラブを設置、運営する側の、いわば「大人の社会」の失態です。子どものためにひどいことをしているのは社会であるという責任を感じて、状況の速やかな改善に動かねばなりませんね。

<「かわいそう」と見えてしまう瞬間、局面は確かにある>
 放課後児童クラブは、とりわけ低学年、まして新1年生においては、ほとんどが保護者の考え、親の意思によって子どもが「入所させられる」「通うことを強制される」ものです。それは保護者にしては「子どもを安全、安心な場所で過ごさせたい」という当然の理由からであって、それをもって「こどもがかわいそう」という結論にはなりません。むしろ、児童クラブの待機児童になってしまい、親が帰宅するまでの数時間、子どもだけで(昨今は少子化ゆえ、1人でいることも珍しくない)家で留守番させることの方が、防犯面を考えると不安になります。また、他者との関わりを持って人生に必要な様々な能力を会得する機会を喪失することになります。いくら子どもが自由に行動できることが素晴らしいと言っても、留守の間にネット動画を見放題でましてよからぬ人たちのネットワークに招き入れられることでもあろうことなら、憂慮すべき状況になってしまいます。
 昔、といっても昭和時代でしょうが、地域社会に老若男女が平日の日中であっても普通に過ごしていて人影があちこちに見られた時代、しかも地域社会に住む人同士で相互に干渉を及ぼし合っている時代でしたら、子どもだけで過ごすことがあっても、誰かが遠くで子どもたちの動向を気にかけていたものです。夕方に暗くなっても子どもたちが広場や原っぱで遊んでいたら、近所のおじちゃん、おばちゃんがやってきて「もう暗いんだからおうちに帰りなさいな」と、声を掛けてくれたものです。
 今はそういう時代ではありません。ほぼ無くなった地域社会のかかわりが児童クラブという狭い空間にはなりますが、そこで子どもたちが過ごす時代になってきたのです。

 もっとも、新1年生といえども「〇〇くんも、〇〇さんも学童に行くっていってるけど、あなたはどうする?学童に行くと楽しいよ」と親が子どもに声を掛けて半ば誘導尋問のように「だったらぼく(わたし)も学童に行く!」というのは、子どもが自主的に児童クラブに行くことを選択してはいないですね。この点、高学年の子どもが、「自分は学童に行きたい!」といって、退所や退会の選択も取れるのに自分の意思で児童クラブに通い続けることを選択する状況とは、根本的に異なります。

 要は、児童クラブは基本的に、特に低学年のうちは、無理やりに行かされるもの、又はそれに近い状況だということです。

 そのような状況において、児童クラブで過ごすことを子ども自身が納得して受け入れていない期間や局面においては、確かに子どもは「かわいそう」と言えるでしょう。新1年生の、入学式が始まる前の間の春休み期間中は、不安そうな表情をずっと浮かべている新入所の子どもたちばかりです。「おうちに帰りたい」とシクシク泣く子どもたちも、めずらしくありません。
 そのような状況を切り取って「ほら、学童に行かされる子どもがかわいそうだ」というのは、限定された期間でのことですから、それを一般化して「学童に行かされる子どもがかわいそうだ」と結論付けるのは、早急に過ぎますね。

 児童クラブの職員や運営者であれば、放課後児童クラブ運営指針に、そのような子どもへの配慮も記されているのを承知しているはずです。「① 子どもが自ら進んで放課後児童クラブに通い続けられるように援助する。・ 放課後児童クラブに通うことについて、その必要性を子どもが理解できるように援助する。」(第3章 放課後児童クラブにおける育成支援の内容 1.育成支援の内容 の(4)」と書いてあることがまさにそれですね。

 繰り返しますが、「かわいそう」と見える局面は、先にもつづりましたが、児童クラブの環境や状況によって、そう見えてしまう局面、場面があるのは言うまでもありません。大規模状態で子どもがギュウギュウ詰めでとてもストレスがいっぱいの環境にあるとか、猛暑が当然となった日本の夏で、冷房がほとんど効果をもたらさない蒸し暑い部屋で過ごしている子どもたちとか、職員がなんでもかんでも一方的に行動や思考さえも押し付け、強制させるような児童クラブで過ごさざるを得ない子どもは、少なくとも私には「かわいそうすぎる」と見えます。それはまったくもって、子ども、まして保護者の責任ではない。設置主体と運営主体、つまり市区町村やクラブ事業者の責任です。これは許してはなりません。

<学童の子どもは乱暴だ、情緒不安定だ、というのも一面的過ぎる>
 先日、SNSで児童クラブの子どもの発達面に問題があるようなことをうかがわせる投稿がありました。子どもの情緒面について、まして発達の度合いについては児童クラブで過ごすこととの因果関係は必ずしも明確ではないと私は考えます。まったく児童クラブの環境が影響しないとまでは私も考えません。子どもの精神面での発達において、児童クラブで過ごす時間が長い子どもも多い中で、過ごす時間がそれなりに長い場所における環境の要因が子どもの情緒、精神面の発達に影響を全く及ぼさないとまでは考えません。が、限定的でもあると考えます。
 それこそ、小学校における環境は影響するものがあるでしょう。もちろん家庭も。そもそも子ども自身の器質的なものによって何らかの影響が及んでいることがあるでしょう。かつて発達障害の原因として、家庭の環境や外部要因で起こると言われていました。私が小中学生のときは、広くそのようなことが言われていましたが、今では否定されています。このあたりの観点はすでに多くの研究結果が出ているものと承知しています。

 私は、児童クラブに通っている子どもが、通っていない子どもと比べて情緒不安定な子どもが多いという傾向があることも考えにくいとする立場です。その局面、局面において、情緒不安定になる子、乱暴な行動をする子はいるでしょうが、児童クラブに通うことで決定的に傾向づけられるものではないと考えます。ただし、極端な大規模状態や、職員の指導があまりにも極端すぎる偏りがあるという場合には、子どもの心理状況が不安定に置かれるだけに、情緒不安定にあんったり乱暴な行動をしたりする子は、現れるでしょう。それはその環境要因を改善すればいいのです。しかしこれって、小学校にも当てはまりますよね。児童クラブの職員ならわかる方が多いでしょうが「小学校ではとてもいい子、でも学童に来ると暴れる子」という場合があります。小学校では「よい子」でいることを強制させられて、その反動が、児童クラブで爆発するというパターンです。わたしは「小学校における子どもの抑圧の度合いがひどいと、それだけ、児童クラブが大変な状況に追い込まれるんだよ。小学校こそ、なんとかしてくださいよ」と言いたいですね。

 まして、精神面の発達に問題があるとか、他者との協調がうまくできない子どもは、児童クラブの子どもに多い傾向があるという見方に対しては、私は首をかしげるしかありません。

<こどもが、こどもらしく過ごせる>
 子どもが、子どもとしてその存在をしっかりと認識され、必要な社会的な規範や規律、社会で過ごすうえで必要な一般常識等を徐々に身に着けながら、自分自身のやりたいこと、考えていることにチャレンジできる、取り掛かることができる環境が整うことを私は願います。むろん、安全、安心して過ごせる時間と空間、そして気の置けない信用できる仲間がいる、そのような社会を児童クラブや児童館を中心に組み立てられることを願います。もちろん、児童クラブや児童館に行くことは強制や必要条件ではなく、家庭で過ごしたり塾、スポーツクラブ、こども食堂、放課後の校庭や公園、図書館、野原や川辺で過ごすことだっていい。要は、命や人権を不当に侵害されるような、強制的に脅かされるような状況でなければいいと考えます。すごい単純なことだと思うのですが、その単純なことがなかなかできない。
 いろいろな原因があるのでしょう。価値観にも問題がある。「将来、社会で成功するために、こどものうちに一生懸命励みなさい」と、子ども自身がやりたくもない勉強やスポーツ、芸術に、親が無理やり取り組ませることは、私は賛成しません。天才音楽家であることを疑われないモーツァルトは、幼少期から父親の徹底したスパルタ教育を受けました。それも才能の開花に影響したのだろうと考えますが、当のモーツァルトは後年、「目隠しをされてピアノを弾く、そんなことはだれしも練習さえすればできる」と手紙で心情を吐露しています。周りのみんなが天才、天才ともてはやしてきたことにモーツァルトは「作曲は自分自身が必死に勉強した。研究した。簡単にできるものではない。努力の結果なんだよ」という趣旨のことを書き綴りました。天才も努力しなければ名作の数々を作り得なかった。しかしそれはあくまで自主的な努力の結果なのです。子どもの将来の成功を願う気持ちは親として当然ですが、それを子ども自身の生きる力、生きる楽しみを奪ってやいまいか、ということを、子育てに直面している大人、子育て支援に関わっている大人や社会は、冷静に客観視して常に検討していくことが必要だと、私は感じています。

 児童クラブに通っている子どもは、決してかわいそうではありません。ある瞬間の時間は、かわいそうだと思えることがあるかもしれませんが、それは全体の評価ではありません。むしろ全体としてみれば、メリットがある。子どもにも、親にも、「あってよかった児童クラブ」となるのですから、心配しないでください。
 児童クラブで過ごした子どもは乱暴者でもありません。異年齢集団で過ごした、人間関係に「タフ」な子どもに育っていることの方が多いです。それは将来、メリットとなります。(その異年齢集団が苦手な子どもだっています。少人数あるいは自分一人で過ごしたい子どもだっています。だから児童クラブは万能な子育て支援の仕組みではない。児童クラブではない子どもの居場所を整備する必要は、当然にあるのです)

 児童クラブの関係者は、私も自省しますが、「学童の子どもって不憫だよね」という趣旨の話が聞こえたら、すぐにその修正を図りましょう。児童クラブのことをよく知らない人が、誤情報を信じてしまわないためにも。

<おわりに:PR>
 弊会は、次の点を大事に日々の活動に取り組んでいます。
(1)放課後児童クラブで働く職員、従事者の雇用労働条件の改善。「学童で働いた、安心して家庭をもうけて子どもも育てられる」を実現することです。
(2)子どもが児童クラブでその最善の利益を保障されて過ごすこと。そのためにこそ、質の高い人材が児童クラブで働くことが必要で、それには雇用労働条件が改善されることが不可欠です。
(3)保護者が安心して子育てと仕事や介護、育児、看護などができるために便利な放課後児童クラブを増やすこと。保護者が時々、リラックスして休息するために子どもを児童クラブに行かせてもいいのです。保護者の健康で安定した生活を支える児童クラブが増えてほしいと願います。
(4)地域社会の発展に尽くす放課後児童クラブを実現すること。市区町村にとって、人口の安定や地域社会の維持のために必要な子育て支援。その中核的な存在として児童クラブを活用することを提言しています。
(5)豊かな社会、国力の安定のために必要な児童クラブが増えることを目指します。人々が安心して過ごせる社会インフラとしての放課後児童クラブが充実すれば、社会が安定します。経済や文化的な活動も安心して子育て世帯が取り組めます。それは社会の安定となり、ひいては国家の安定、国力の増進にもつながるでしょう。
 放課後児童クラブ(学童保育所)の運営支援は、こどもまんなか社会に欠かせない児童クラブを応援しています。

 弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイスが可能です。ぜひご検討ください。

 放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかご検討ください。

 放課後児童クラブを舞台にした小説を完成させました。いまのところ、「がくどう、序」とタイトルを付けています。これは、埼玉県内の、とある町の学童保育所に就職した新人支援員が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。残念ながら、子ども達の生き生きと遊ぶ姿や様子を丹念に描いた作品ではありません。大人も放課後児童クラブで育っていくことをテーマにしていて、さらに児童クラブの運営の実態を描くテーマでの小説は、なかなかないのではないのでしょうか。児童クラブの運営に密接にかかわった筆者だからこそ描ける「学童小説」です。ドラマや映画、漫画の原作にも十分たえられる素材だと確信しています。ご期待ください。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。

(このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも共感できる部分がありましたら、ツイッターで萩原和也のフォローをお願いします。フェイスブックのあい和学童クラブ運営法人のページのフォロワーになっていただけますと、この上ない幸いです。よろしくお願いいたします。ご意見ご感想も、お問合せフォームからお寄せください。出典が明記されていれば引用は自由になさってください。)