ただひとつでいい 守れるだけで それでよかったのに
(代表萩原のブログ・身辺雑記。なお、本文と猫の写真は関係ありません)学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」萩原和也です。
ブログのタイトルは、米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞を抜き出したものです。馬と鹿、奥深い意味の曲名ですね。
わたしは自分自身のことを時々「学童バカ」と自称します。ええ、自分にとってぴったりの表現だと思っています。わたしは以前、新聞社勤めで、それなりに仕事は上手くいっていました。毎月、それなりの給与をいただいて安泰でした。でも、子どもを通じて関わった学童保育の世界の厳しく過酷な現実、それは学童保育の世界で子どもたちと保護者のために働いている人たちがあまりにも悲惨な状況であることを社会から半ば放置されている現実を知り、自分の力で、その厳しく過酷な現実を少しでも変えることができたらと、学童保育の世界で生きることを決めました。
その時、いろいろな人から「バカなことを考えるんじゃない」と言われました。その中でも一番うれしかったのが、「お前はバカだ。でも、世の中を変えてきたのは、バカだから」という言葉でした。だから、学童バカと言われることは誉め言葉でありますし、自分自身も学童バカでいるべきだと思っていましたし、今もそう思っています。
私はただひとつ、学童で働く人たちの境遇が少しでも好転すること、給料が少しでも上がること、休みが少しでも増えること、将来に少しでも希望と安心をもって暮らせるようになること、それだけを考え、実現したいと思って自分の使命に打ち込んできました。職員の生活を、雇用を、職業生活を、それを守りたいと思って学童の世界に足を踏み入れ、いまももちろんその思いは変わっていません。学童で働く人が安心して働けるようになれば、それは最終的には、子どもにとって必要な学童が安定することになり、子どもの生活を、保護者の生活を、守ることにもなるからです。
そのために、容赦はしませんでした。厳しく、恐ろしい存在だったのは間違いありません。「誰も悲しまぬよに 微笑むことが 上手くできなかった」、これも「馬と鹿」の歌詞ですが、まさにその通りです。すべては己の使命をひたすらに実現するために、私はすべてを捧げて過ごしてきました。自分自身に厳しかったのは当然ですが、職員と子どもを守る立場にいる者にも同じような使命感を求めました。それは当然ですし、その思いを曲げずに今に至っていることは、今も私の誇りです。
歌詞は、こう続きます。「ひとつ ただひとつでいい 守れるだけで それでよかったのに」、「あまりにくだらない 願いが消えない 誰にも奪えない魂」と。
私の願いは消えません。どんな厳しい状況になっても、どんなに理不尽な仕打ちに襲われても、私の覚悟は消えません。誰にもこの魂は奪えません。私はバカですから、後先は考えません。ダメなものはダメだし、許せないことは許せないのです。どれほど信頼していた人に裏切られようと、手のひらを返されようと、私はたったひとつのことを守れるだけでよかった。それは、「日本の学童をより良くするために、動かなきゃいけない」という覚悟を守ること。
「止まない」で「馬と鹿」は終わります。そうです。止まないのですよ。私の大好きなことば、「自ら省みて縮(なお)くんば 一千万人といえども我いかん」(孟子)。
では最後に、10月31日に記した一文をまた載せておきましょう。
ちょっとだけ、いやかなり感傷的になる日もまだ多い。それは仕方がないと思っている。それまで私は嘘偽りなくかなり本気で学童保育の世界が発展することにすべてのことをささげてきた。大げさに聞こえるかもしれないけれどこれだけは本気でそう言える。もともと、息子が学童保育所にお世話になってから学童保育の世界に足を踏み入れてにわかに信じがたいような事がまかり通っていることを知った。子どもたちと保護者のために懸命に仕事する人にはあってはならない酷い待遇が、当たり前のようにはびこっていた。それを無視して、自分たち利用者側だけが得するいい加減な制度は、早く是正されねばならないと、本気でそう思った。それが社会正義だと、私はそう思った。私はたくさんの「やらねばならないこと」を胸に抱いて、この世界に飛び込んできた。ただそれは、独りよがりだったといえるかもしれない。そうであっても、学童保育の世界が幸せになるために、こんな学童バカがいてもいい。