こいつぁ許せない納得いかないことをぶちまける新春大放談!たまには言わせてもらいます!:身辺雑記です。
放課後児童クラブ(学童保育)運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所の中核的存在)の健全な発展を願い、とりわけ児童クラブで働く人たちが安心して一生続けられる仕事となるように雇用労働条件の向上の必要性を訴えている、児童クラブの運営支援です。今回は身辺雑記として、普段から頭に来ていることを遠慮なくぶちまけます。閲覧は自己責任でお願いします。ノークレームノーリターン!
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<なんだかなぁ。力の入れどころがそれ?>
先日、テレビコマーシャル(CM)で、ACジャパンの、こども食堂の内容を取り上げるCMを見ました。ドラマ「孤独のグルメ」の松重豊さんが登場する、CMそのものはとてもヒューマニズムあふれる素敵なCMです。孤独のグルメの主人公役を、みんなが集う場所の大切さを訴える内容にCMに起用するのは、王道的なベタなアイデアですが、私は好きです。子どものみならず大人も含めて「居場所」があることの大切さ、それは私も本当に大切だと感じますし、そんな居場所を増やすための取り組み、支援はしっかり国が予算を付けてほしい。
ただね、「こども食堂」の中でも、本来の子ども食堂、つまり貧困や監護者の不在で食事をとる機会に欠ける児童に対して食事を提供する仕組みは、本来は増えてはだめです。私はその考えを曲げません。必要最小限のセーフティーネットとして存在が必要ですが、あちこちに雨後の筍のようにどんどん増えていくのは、違う。まして、こども食堂に出資したこと、運営に関わっていることを「私たちは社会貢献しています」とアピールする人たちや団体にはもちろん、行政が予算を付けたと誇るのは、虫唾が走る。
これがですね、食事をとる機会を持てない子どもへの食事提供という役割ではなく、子どもも大人も関係なく全世代の人たちの交流の場、居場所提供という意味での「子ども食堂」であれば、私はどんどん増えてほしいと考えます。食事の機会を児童に提供することが目的の狭義の「子ども食堂」は福祉政策の貧困の象徴なので増えないでほしい、最低限の整備で済むように別の形の福祉的な政策を充実させてほしい。全世代が共に過ごして楽しむ広義の「子ども食堂」なら、どんどん増えてほしい。いっそ児童クラブの役割を一部代替することでもいいとすら私は考えています。
もうね、呼び名を区別した方がいいですよ。全世代の居場所のことを子ども食堂と呼ばないで別の名称にしましょうよ。
<本質を区別できない輩が多すぎやしないか>
先ほどね、旧ツイッターで見かけたポストが気になるのですよ。箱根駅伝が終わったら、あの大学、あのランナーの走りがどうだこうだと言うのは止めましょうよ、誹謗中傷は止めましょうよ、という内容でした。は?何いってんの?というのが私の率直な思いでです。
もちろん誹謗中傷はあかんですよ。人格攻撃はもってのほか。SNSで執拗に嫌がらせを投稿するなどあってはならない。まして、「あいつの走りがだらしなかったから順位が伸びなかった。死ね」などという非常識な投稿は許せません。ですがね、「あの選手はあの場面でああできたら」という思いを表明したり自分なりの論評をすることすらも誹謗中傷となると考えているのであれば、あまりにも思想が浅はかです。それ、単に、いやなことを言われたくないだけじゃないの、と私は思いますよ。
誹謗中傷と、意見の表明、論評の区別すらつかないの人たちが増えているのはネットの炎上事件を見ていればよく分かります。池袋の暴走事故で被害者遺族への常軌を逸した違法な投稿を繰り返す輩が後を絶たないあたり、日本社会の知性の劣化を私は嘆きます。超えてはならない一線の境が分からない人は昔もいました。今の時代だからどんどん増えているわけではなくて、匿名性をうのみにしてSNSで発信する馬鹿な輩が目立っている、ということだと私は理解しています。
<こども家庭庁に向けられるアホすぎる投稿>
旧ツイッターでは、わりとよく見かけますね。何兆円もの予算がムダ、こども家庭庁なんかいらない、という書き込み。さっきの箱根駅伝ランナーへの誹謗中傷はやめましょうという投稿の方向性が、どうしてこども家庭庁への誹謗中傷はやめましょうね、という内容の投稿にはならないのでしょうかね。役所というのは批判を受ける立場にいつもありますが、度を過ぎたそれこそ根拠のない書き込みは百害あって一利なし。というのも、SNSでは、根拠や証拠が無くても多くの人の賛同がある意見に、なびいてしまう人が多いからです。
こども家庭庁の5兆円程度の予算は、児童手当や育児休業給付など子育て世帯に必須の給付が含まれているからです。こども家庭庁がいらないという人は、そういう手当もいらないよということでしょうね。だったら、もし給付を受けているなら返上せい。過去の分を国に返せ。
こども家庭庁が自らPRしている政策、施策の中には確かに私も「はて?」と思うものがあります。なぜかそういう施策ほどメディアで報道されるので、「そんなバカなことに予算を使うなんて何を考えている!」と憤る人が多いのでしょうね。それは、おそらく「保育士さんなど困っている人がいるのに、そっちにお金を使おうとしないで何やってんだ!」という義憤の裏返しかも、しれません。現実には、メディアが興味本位?で取り上げるこども家庭庁の施策は、たいして予算がかかっていないものや、他省庁とのコラボレーションが多いようです。まあそうであっても、「それはいいから先にやることやってよ」というこども家庭庁への意識は、私にもあります。
<単純にやればいいんだよ>
こども家庭庁というか国には、放課後児童クラブの充実を図る施策を、単純にやってほしいのです。しかしガンとしてやらない。なにか理由があるのでしょう。メディアは報道発表だけを報じるのではなくて、どうして当たり前に単純なことが実行できないのか、しっかりと役所の内部を取材して報道しなければなりませんよ。記者クラブ詰めの記者だって、調査報道はできるのです。
その単純なこととは2つだけです。「運営費に使われる補助金をどんどん増やすことが、なぜできない」のと、「制度を強化することを、なぜやらない」の2つです。前者は、運営費に使われる補助金を増やしてくれれば職員の賃金を劇的に引き上げられますし職員数を増やせます。それは余裕のある児童の健全育成事業の実施に直結し、有能な人材を採用できることから事業の質の内容を引き上げます。待機児童対策で問題となる「施設があっても働く人がいない」宿痾を解消できます。手取り17万円の仕事より手取り27万円の仕事だったら27万円の仕事に多くの人の応募があって当然です。補助金を増やせない理由が必ずある。それをメディアが調べて報道しなさいよ。
制度の強化の取り組みがおざなりすぎる訳も取材しなさいよ。小学1年生のおよそ2人に1人が利用する社会インフラです。小学生全体では4人に1人が利用するのですよ、児童クラブは。いつまでも法定ながら任意の事業でいいわけではない。資格も、誰でも取得できるような底の浅い資格ではダメです。補助金を増やすなら増やすに値する事業が実施できなければダメですからね。
とにかくね、なんとかパッケージとか工夫を凝らすのもお仕事なのでしょうが、単純に予算を増やしなさいよ。保育所との力関係で予算獲得合戦に負けちゃうというなら、それこそメディアとこっそり協調しながら放課後児童対策がいかに喫緊の課題であるということを世間に伝えまくってください。政府の常とう手段ですよね。国防にしろ福祉にしろ、国土開発にしろ、メディアに資金を提供して記事を掲載させることは。同じ事を児童クラブ対象にしてやればいいだけの話です。
<楽したい、欲に目がくらんだ者ばかりか?>
制度が充実、事業の質が評価されるには、今ですら向上、進歩への取り組みが必要ですよ。それ、児童クラブの業界はやっていますか?私に言わせれば不安しかありませんね。対こどもへの支援や援助の取り組みは熱心ですがね、組織として、事業全体として質の底上げを目指す取り組みや意識改革は、やっていないに等しい。
広域展開事業者の存在を私は否定しませんが、「得られた収入の多くを利益として吸い上げる事業者」は断固反対です。都内の民設クラブは年間800万円もの黒字を生んでいますよ。その800万円があれば最低賃金水準で最低限の人数だけ職員を雇用するという運営の仕方でなくても、もっと余裕のある現場の事業執行体制を作り上げることができるはずですよね。職員の賃金を上げ、職員数を増やして、職場に余裕をもたらしたうえで、余ったカネがあるならどうぞ株主にでも役員にでも差し上げなさい。
やることをやってから、欲を追い求めてください、ラクをしようとしてください。先憂後楽、です。
<目先にとらわれて何が大事なのか分からない人が多すぎる>
SNSは便所の落書きとは言われますが、人々の本音が包み隠さず書き込まれる側面があるでしょう。世間の本音を垣間見ることができる装置だと言えます。その本音が暴走して過剰に膨らんでしまうことばかりでもありますが。
私が「なんだかなぁ」といつも思う投稿は、「政府はウクライナに巨額の支援をしている。もっと国内の困った人にどうして使わない。どうして減税しないのか」というたぐいのものです。これなど、まさに目先のことしか考えていない人たちの残念な思考です。手の届く範囲の事だけを考えて生きることを私は否定しませんが、他人に、社会に、押し付けてはなりませんよ。
ウクライナに日本政府初め多くの「それなりにまともな」国が支援をしているのはなぜか。それは、自由主義、民主主義が専制主義国家、帝国主義の圧迫に負けてはならないからですよ。好き勝手に「ウクライナに支援をするなど馬鹿らしい」とネットに投稿できるのも、まだ日本が自由主義であり民主主義だからですよ。その価値を理解できない輩が大勢いるようですね。ウクライナが民主主義とはいえないだろう、という意見は論点ずらしですね。少なくともプーチンや習近平、まして北朝鮮とはまったく違う。少なくとも日本は、SNSで公然を政府を批判して命を落とす、自由を奪われる国ではない。
ウクライナが負ければ専制主義国家に力の行使の正当性を与えます。それが自由主義、民主主義の国にどれだけ脅威となるか分からないのも、平和すぎる国の国民ゆえの迷走でしょうか。私には、第二次世界大戦前の時代はきっと今のような時代だっただろうと思えてなりません。
ウクライナへの援助額が多すぎるということが悔しい、おかしいと思わず、国内の産業や福祉に投じる予算が少ないと思うべきです。ウクライナに数千億円も出すなら国内に回せというのではなく、専制主義国家の力による現状変更は絶対に許さないという観点でウクライナに数千億円出して当然で、国内にもそれ以上の予算を出せ!と政府に求めるべきです。本来なら退役する自衛隊の対空ミサイルを供与するべきです。武器輸出は侵略を手助けする? 自衛隊の退役する防空ミサイルは文字通り国民や国の財産を守るための防衛の武器です。他国を侵略しようとしても使える武器ではありません。それこそ市民生活の平穏を脅かさないための平和のための道具ですよ。
<難しい問題だろうが、あえて言うぞ>
いつの世も報道は事件事故が多い。被害者の方のお名前や写真が公表されることが多い。これにもSNSでは厳しい批判が集まります。「マスゴミ」の横暴だ、という批判ですね。これは難しい問題ですが、あえて言います。必要な「場合」の方が多いんですよ、と。
実名報道と言いますが、実名報道をしてはならないケースは当然あります。加害者、被害者双方を含む当事者の名誉、尊厳がおびやかされる場合は実名報道は許されないと私は考えます。その典型例は性的虐待の被害者でしょう。報道による二次被害は致命的になります。広く社会に拡散してしまうと、もう取消しができませんから。これを逆から見ると、情状酌量による減刑の理由にもなる、(報道による)社会的制裁そのものです。
私は何故原則的に実名報道が必要だと考えるか。それは、私人や私企業では到底立ち向かえない強力な国家権力の暴走を防ぐことが最終目的にあるからです。匿名報道が当たり前となり、まして事故事件、事案の報道すら行われない社会は、国家権力が何ら批判を懸念することなくその権力を行使できる環境がそろった社会です。政権に批判的な言論や行動を繰り返す者を密かに連行して処分することが容易にできる社会になりえます。やはり報道という仕組みで政府や国家権力の行動を監視することが必要です。もちろん、報道機関は高い倫理観と使命感を持って使命を遂行せねばなりませんよ。
子どもが無残にも事件で命を落とす。そのような場合、子どもの名前を報じる必要性はあるのか。実に難しい問題です。いずれは、そんな報道が必要ない時代になってほしい。しかし残念ですが今はまだ、子どもの権利や存在が十分に当たり前に尊重されている社会になっていない。どこぞの幼稚園で子どもがバスに閉じ込められての落命事件や放課後等デイサービスでいい加減な業務運営によって子どもが命を落とした事件などが相次いで起きる時代である以上、とても残酷ではありますが被害者の存在を社会に発信し、氏名を伝えることでよりリアルに、身近な問題として社会の人々に感じてもらい、歪んだ社会の仕組みの是正を求めるうねりを起こすことがいわば必要悪としてまだ必要だと私は思わざるを得ない。そのために尊い御霊に申し訳ないですがこの悲惨さを伝えさせてくださいと、胸に刻んでいかねばならないと私は思うのです。とはいえ、ご遺族の意向は今であっても優先したい。匿名報道を望むのであればそれに従うこともまた必要でしょう。
なお、あくまで私が報道の現場にいたときの話ですが、事件にしろ事故にしろ、報道機関が独力で発生直後の段階で被害者や加害者の氏名を把握することは不可能です。そこは警察や海上保安庁、消防といった公権力の発表に従うことになります。よって、結局は、名前が報道されるされないは、最初の段階、つまり公権力が事件や事故の当事者の氏名を発表するかしないかによって左右されるのです。ということは児童クラブよろしく、地域ごとに判断の基準が異なるということです。もっといえば警察署長の判断によって異なります。同じような事件事故が、ある警察署では当事者の氏名が報道発表で公表されていても隣の警察署では匿名での報道発表となる、ということはまったく珍しくありません。
まして性犯罪事案で被疑者の氏名が報道されるかされないかは、捜査機関が報道機関に対して被疑者の名前を公表するか、しないかによって左右されることが一番大きな要素です。次いで、報道機関が独自に判断するというプロセスが加わります。なお報道機関は常に「すべての事案について当事者の氏名を報道発表として公表すること。それを報道するかしないかは報道機関が決定する」と公権力に対して物を申していますが、実際は公権力の判断次第ですね。このあたり、今もまだあまり変わっていないように私には感じられますが、どうなのでしょうね。
最後に。兵庫県知事選挙を象徴に、オールドメディアの敗北、SNSの勝利と喧伝されています。これまた安易な扇動に多くの人たちが踊らされていると私は冷めた目で見ています。同じ土俵で判断していないのはもとより、「自分が信じたい情報があるかどうか」の差であるにすぎない。要は「好物ばかり出てくる敷居の低い店」と、「注文して味わうには多少の作法(=知識、常識、見識)が必要な料理店」の違い。私は、どちらもそれなりに大事だと思っていますので、自分の気分次第で好きなように利用すればいいだけだと思いますがね。SNSのことを私は大好きですし利用も大々的にしています。かといってオールドメディアたる新聞やテレビニュースも大事だと考えています。肝心なことは「それは本当に正しいのかな」という自分なりの判断軸を持っていればいいだけのこと。簡単なことです。それさえあれば、ネットの情報も楽しめますし、マスメディアの情報も利用できますからね。
<おわりに:PR>
弊会は、次の点を大事に日々の活動に取り組んでいます。
(1)放課後児童クラブで働く職員、従事者の雇用労働条件の改善。「学童で働いた、安心して家庭をもうけて子どもも育てられる」を実現することです。
(2)子どもが児童クラブでその最善の利益を保障されて過ごすこと。そのためにこそ、質の高い人材が児童クラブで働くことが必要で、それには雇用労働条件が改善されることが不可欠です。
(3)保護者が安心して子育てと仕事や介護、育児、看護などができるために便利な放課後児童クラブを増やすこと。保護者が時々、リラックスして休息するために子どもを児童クラブに行かせてもいいのです。保護者の健康で安定した生活を支える児童クラブが増えてほしいと願います。
(4)地域社会の発展に尽くす放課後児童クラブを実現すること。市区町村にとって、人口の安定や地域社会の維持のために必要な子育て支援。その中核的な存在として児童クラブを活用することを提言しています。
(5)豊かな社会、国力の安定のために必要な児童クラブが増えることを目指します。人々が安心して過ごせる社会インフラとしての放課後児童クラブが充実すれば、社会が安定します。経済や文化的な活動も安心して子育て世帯が取り組めます。それは社会の安定となり、ひいては国家の安定、国力の増進にもつながるでしょう。
放課後児童クラブ(学童保育所)の運営支援は、こどもまんなか社会に欠かせない児童クラブを応援しています。
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弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイスが可能です。ぜひご検討ください。
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放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかご検討ください。
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放課後児童クラブを舞台にした小説を完成させました。いまのところ、「おとなの、がくどうものがたり。序」と仮のタイトルを付けています。これは、埼玉県内の、とある町の学童保育所に就職した新人支援員が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。残念ながら、子ども達の生き生きと遊ぶ姿や様子を丹念に描いた作品ではありません。大人も放課後児童クラブで育っていくことをテーマにしていて、さらに児童クラブの運営の実態を描くテーマでの小説は、なかなかないのではないのでしょうか。児童クラブの運営に密接にかかわった筆者だからこそ描ける「学童小説」です。ドラマや映画、漫画の原作にも十分たえられる素材だと確信しています。ご期待ください。
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「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
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(このブログをお読みいただきありがとうございました。少しでも共感できる部分がありましたら、ツイッターで萩原和也のフォローをお願いします。フェイスブックのあい和学童クラブ運営法人のページのフォロワーになっていただけますと、この上ない幸いです。よろしくお願いいたします。ご意見ご感想も、お問合せフォームからお寄せください。出典が明記されていれば引用は自由になさってください。)