「頭おかしい条例」に思う残念なこと。差別意識を隠さない残念思考。それで子どもを守る?人権意識はお持ちで?

(代表萩原のブログ・身辺雑記。なお、本文と猫の写真は関係ありません)学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」萩原和也です。

 日本中を巻き込んだ埼玉県議会の虐待禁止条例改正案は周知のとおり、提案側の自民党県議団が条例改正案を撤回してとりあえず収束しました。条例改正案を作成するまでに子育て当事者や行政、法律の専門家に意見を聴いていないであろうことが明白であり、現状の生活を余儀なくされている子育て当事者が条例違反に追い込まれる非現実的な内容になっていたことから、撤回するほかなかったのは理解できるところです。

 私がどうしても憤りを隠せないのは、この条例改正案を「頭おかしい条例」と名付けて意気揚々としている勢力です。条例改正案の内容が「おかしい」ことは多くの人が認めることでしょう。しかし、「頭おかしい」と「頭」をわざわざ付けていることは、条例改正案を主導した勢力の人たちの「頭」を指しているとしか、私には理解できません。条例改正案は条文ですから「頭」はありませんよね。頭が付いているのは、通常は生物です。「頭」は比喩表現として「組織のトップ」を指すこともありますが、組織のトップは通常、人間ですよね。

 つまりこの「頭おかしい条例」の「頭おかしい」とは、この条例改正案の作成と提案に関わった人間の事を指して「頭がおかしい」と言っているに相違ないと理解されても、致し方ないでしょう。

 確かに、改正案を作成する過程に過ちはあったことは間違いないでしょう。この改正案を作成する動機や狙いについても、現状と乖離していた点について批判されるべきところはあるでしょう。

 だからといって、「頭がおかしい」という文言で、改正案の作成と提案に関わった人を批判するのは、正当な批判とは、私には思えません。それは単なる誹謗中傷であり、人間の尊厳を傷つける、許され難い表現です。

 あなたは、子どもの前で、「あの人たちは、頭がおかしい人たちだ」と言えますか?子どもの前で、人間に対して「頭がおかしい」と言える人は、子どもの育ちをどうのこうの言う資格はないと、私は思います。子どもに聞かせられない言葉を平気で使う人たちに、子どもの育ちについて関わる資質は、断じてありません。

 表現の自由は大事です。私は新聞記者でしたから、表現の自由は本当に守らなければ真の民主主義社会でありえないと固く信じています。だからといって、どのような表現でも許されることはないのは、誰しも理解できるでしょう。ヘイトスピーチは許されないことも、その1つです。

 大変残念なのは、「頭おかしい条例」と名付けた勢力は、およそ世間では、子どもの権利を守りその活動において高い社会的評価を得ておられる。しかし、子どもの権利を守るために他の人間の品位や人格を、残念な表現方法で誹謗中傷することは、目的の正当化としてもありえません。不当な手段による目的の達成は、その目的達成の成果を台無しにします。これが刑事裁判であれば、証拠調べの過程に違法性があれば、たとえその結果が誰が見ても罪を犯しているとあっても、司法判断は無罪になります。手段は目的を正当化しません。

 子どもの権利を普段から守る、子どもの味方だと言っていながら、「人間」の基本的人権を平然と踏みにじって平気な勢力について、私は本当に残念に思います。人間の権利を守れない側に、子どもの権利を本当に守る当然の意識は根付いていないだろうとすら、私には思えます。ただ単に、子どもを守ることの自分に酔いしれているだけではないかとすら、私には思えます。真に人権を守ろうという意識があるのかとすら、私には思えます。

 条例改正案が表向きに目指していたことは、子どもが子どもだけで過ごしている時間に、子どもへの不当な権利侵害、例えば犯罪などが子どもの権利を侵す可能性があるので、その可能性を極限まで減らしたいということです。私は、その目的地は、決して間違っていないと考えます。ただ、具体的に、子どもだけで過ごさざるを得ない時間を解消する手段を提示せず保護者の自助努力に委ねる形での内容だったことは、大いなる欠陥であったと考えます。子育て支援施設の充実、育児期間中の時短勤務の推進かつ常態化を実現する方策が先行しての、子どもだけの時間を解消する内容であれば、よかったと思います。

 今回の改正案反対運動が、そのような、子どもの具体的な権利を守る機運を失わせかねないほどの偏った盛り上がりで終わったことが、残念でなりませんし、そうなったことの原因はもちろん、自民党県議団にもあります。提案者にはしっかり反省をしてもらいつつ、社会全体で子どもをまもるために、当事者の視点を存分に取り入れた、本当の意味での「こどもまんなか社会実現条例」を提案していただきたいと切に願います。

 そして、他者の品格、品位を平然と貶めて平然としている勢力には、己の品格のなさを恥じていただきたいと願っています。批判は構わない。建設的な批判でこそ、物事はより内容を発展させ充実させる原動力になるのですから。

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