車内置き去りの悲劇は、もう起こしてはならない。子どもに関わる職業の人が「無責任」を強調するのは残念無念。

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。子どもの育ちを支える学童保育、保護者の安定した生活を支える学童保育、そして社会を支える学童保育を支援する「学童保育運営支援」の重要性と必要性、学童保育のあらゆる問題の解決を訴えています。

 大変いたましい悲劇が起きました。今月9日、岡山県津山市で、保育園児が祖母の送迎忘れで車内に取り残され、熱中症(熱射病)で死亡したのです。送迎を忘れた祖母は過失致死容疑で警察に逮捕、送検されました。
 9月11日22時19分配信の山陽新聞デジタル記事を一部引用します。「岡山県津山市で9日、2歳男児が車内でぐったりした状態で見つかり死亡した事件で、県警は11日までに、自らの車の中に約9時間半置き去りにして死なせたとして、過失致死の疑いで津山市、介護助手の女(53)を逮捕、送検した。司法解剖の結果、死因は熱中症の中でも症状が重い熱射病だった」

 この事件では、保育園側が、無断欠席時に行うはずの連絡を怠ったとしており、その点を強調している報道が大変多くなっています。9月11日15時49分配信の読売新聞オンラインの記事は、リードの末尾に「保育園では、朝の登園が確認できない場合、保護者に直接、確認するルールがあるが、守られていなかった。」とあり、さらに「男児が通う保育園では、午前9時半までに登園が確認できない場合、電話で保護者に直接連絡するよう園の規則で定めていたが、連絡を怠っていた。園によると、17人の保育士が勤務し、6クラスで計84人の園児が通園している。男児は9日に園を利用する予定だったが、担任の保育士は、男児が家族と一緒に自宅にいると思い込んで連絡しなかった。保育士はこの日登園しなかった別の園児についても、保護者に電話していなかったという。」と、報じています。

 報道から確認できる「事実」としては、(1)警察は強制捜査を行ってすぐに被疑者を送検したこと(2)保育園は登園が確認できない場合に保護者に確認するルールがあったが守っていなかった(3)担任の保育士は、園児が家族と一緒に自宅にいると思い込んでいたーということがあります。

 (1)について、私の感想としては、非常に速い警察の捜査だと思いました。因果関係が極めて明白な事件とは思いますが、それにしても早い。しかも逮捕までしている。これは私の推測としては、「社会的に極めてインパクトがある事件であり、かつ、いたましい事件であり、まだ暑さが残るこの時期、車内に子どもが取り残される事案が繰り返されることに対して捜査機関としても社会に警鐘を鳴らしたいから、早めに事件化した」と思います。

 問題は(2)と(3)です。私の感想としては、非常に残念です。欠席確認の連絡が保護者側に通じていれば、こどもの所在確認が早めにでき、もしかしたら子どもの命を救えたかもしれない。絶対に救えたかどうかは分かりませんが、もっと早く事態に気付くことはできたはずです。「ルールの失念」と「思い込み」は、どのような職種でも、あってはならない過失ですが、とりわけ人の命に直結する業務においては、これはもう絶対に起こさないことであり、人間はミスを起こすことが前提として、結果的にミスを防ぐことができる多重何段階もの仕組みを構築しなければならないのです。

 この事件で最も大切だと私が思うことは、社会はもちろん、子どもの命に係わる職業に就いているものは、「どうしたら、子どもの車内置き去り事案を防ぐことができるのか。どうしていたら、今回の事案を防ぐことができたのか」を、亡くなった子どもの無念を各々の心に刻みつつ、真摯に、真剣に考えることなのです。いろいろな案がありますね。子どものそばにカバンなど大事な物を置いておくとか、取り残しを検知する機械を早急に開発するとか、SNSではいろいろ提言されています。それらのことをできることから速やかに取り入れることは大事です。当然、「受け入れ施設側は、所在が明らかではない子どもの所在確認に務める」ことは言うまでもありません。

 またこの事件は、警察がすぐに車内置き去りにした運転手を送検したことで分かるように、事件の直接的な原因を起こした=真っ先に刑事責任を問われたのは子どもを保育園に送り忘れた子どもの親族です。そのせいもあって、車内において、子どもの置き去りを防ぐ直接的な工夫や仕組みが多く提言されているのですが、私としては、この件では直接的な刑事責任が無いとしても、子どもを受け入れる施設の運営側のリスク管理に関する指摘や改善案の提言があまり見られないことが気がかりです。ルールの無視、「きっとこのはず」という思い込みの排除は、リスクを排除するための基礎的な事項です。この基礎的な事項の軽視が、何度も悲劇が繰り返される要因の1つではないかと思うのです。

 この事件で私がひどく残念に、むなしく思う事があります。この事件が報道されてから、特に保育園が連絡を怠ったと強調される報道が出てから、SNSでは「保育園に責任はない」「家族の責任」「登園前のことまで責任は持てない」という「保育園には責任はない!」という意見、発信が相次いでいます。中には「遊泳禁止の海岸に勝手に入っておぼれ死んだと同じで、保育園に責任はまったくない」という意見もありました。保育士や、あるいは保育園(学童保育も、ですが)の経営者や運営のコーチング、経営に関わる立場の方からは感情的な意見も多くみられ、また有名な保育園関係の識者も「登園前なので安全配慮義務に違反していない」と表明しています。

 それらの意見を見るたびに、私は率直に思います。「保育園側には責任は無い、それはそうであっても、保育側の責任がない、という意見を目にするたびに、子どもと保護者の育ちや育て方に関わる保育士や保育園関係者の良識と見識が疑われる。国家資格の尊厳をも損ねている」と。

 確かに、警察がすぐに捜査をして送検したのが運転手だけだったことから、保育園側には現時点において刑事責任が問われる余地は極めて少ないでしょう。保育園側に(刑事)責任はない、という声はその点においておそらく間違っていないと私も理解はできます。
 しかしながら、保育園側が欠席理由の確認を怠ったこと、園児は家族と一緒にいるはずと保育士が思い込んだのは各種報道から事実とみてよいでしょう。保育園側も謝罪の説明会で認めたようです。それを無視して、「登園前のことだから」と、保育園、保育士側に一切責任(この場合は民事上の責任になります)は無い、家族だけの責任だと、「0か100か」の、二者択一の意見しか表明しない、それしか表明できない稚拙な意見のオンパレードは、世の中の多くを占める「良識のある人、見識のある人」(しかも事実として、そういう人たちは世の中のパワーエリートであることが多い)からすると、大いに疑問を持たれるでしょう。

 これは、この事案の本質を考える作業と、責任の所在の分野の話を区別して考えられない、保育に関わる人たちの浅い思考から生まれているのです。
 まず、事案の本質を考える作業とは、子どもが亡くなるという重大事案について、「どうしたらその悲劇の繰り返しを食い止められるのか」を、直接の当事者ではなくとも保育関係者であるという立場において、事件を冷静にかつ深刻に受け止め、我が事ととして反省し、再発防止に向けて考えていくことです。保育に関わる専門職、子どもに寄り添う専門職の務めというものは、この種の事案の繰り返しを防ぐために社会に強く警告し、訴えて、具体策を提示して社会全体で再発防止に取り組む動きをリードすることでは、ないでしょうか。

 責任(刑事と民事の双方)の所在に関する話は、捜査機関(これは刑事)なり、あるいは裁判になったときに直接の当事者がそもそも考えればよい話ですが、法的思考力(リーガルマインド)がある人であれば、ことに民事上の責任の所在について「0か100か」で決められるものではないことは百も承知のはず。過失割合ということがあるからです。よって「保育園は悪くない!保育士は悪くない!」と、安易な考え方はそもそもできるはずがないのです。子どもの育ちに関する人、とりわけ、運営や管理職で関わる立場には、こうした法的思考力(リーガルマインド)が必要なのです。

 学童保育も含む多くの保育関係者が今回の事件で「保育園は絶対に悪くない!」と声を上げるたびに、子どもの育ちを支え、子どもの最善の利益を守る立場の人たちが、「自分の身の安全だけを大事に考えている」ことが浮かび上がってしまい、私は本当に残念に思います。普段から、やれ不適切保育だといろいろ批判を受け続けたことによる極度の被害妄想に近いゆえの反撃行動でしょうか。私はあえて申し上げるならば、「子どもの育ちに関わるという極めて重大な仕事に、保育園側の責任は無い、すべて家庭の責任だなんて、そんな軽い気持ちで臨んでいたのか。すべての子どもの命を守るんだという、すべてを背負うほどの覚悟がないと、到底、務まらない重要な仕事のはずなのに」とも、思うのです。

 「いやいや、保育所の人数が少ないし、給料も安いし、できることに限界がある。ましてあの事件は土曜日に起きた」という反論があるでしょう。私に言わせれば「それが何か?」です。人数が少ないのは以前から続く重要な問題ですが、それはそれで解決されることが必要であることは当然としても、その状況において確実に所在確認が実施できる仕組みを考えることが、施設の運営管理者の「仕事」です。給料の多寡で仕事の中身に差が出ることはあり得ません。論外です。土曜日だから人が少ない?必要なルールを実施するに人が足りないなら、出勤者を増やせばいいだけです。「できない」理由を先に挙げて「だから仕方がない、責任がない」という論法は、私は、悲劇に見舞われた子どもに対して何ら説得力を持たないものだと思います。

 保育も育成支援も、人の育ちに関わる仕事、子どもの最善の利益を守る仕事に就く者は、本当に重要な仕事をしているのです。専門性のある、社会的な評価も、社会からの期待も高い仕事なのですよ。それを、子どもの命が失われた悲劇に際して、どうしたら子どもの命を守れたかよりも「保育園は、保育士は悪くない!」との責任回避の事を声高に叫ぶことで、自ら、専門性と社会的な評価を傷つけていることを自覚してもらいたい。そうでないと、本来はもっと社会的な評価が高くなり報酬も高くなるべき職種なのですが、その機会は永遠になってきませんよ。仕事に対する矜持とプライドを、「私たちは悪くない。どうしていつも保育園、保育士だけが責められるのか」という被害妄想で自ら損ねることには、私は、もううんざりです。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育、子育て支援にまつわる各種の問題について提言を重ねています。学童保育の運営のあらゆる場面に関して、豊富な実例をもとに、その運営組織や地域に見合った方策について、その設定のお手伝いすることが可能です。

 育成支援の質の向上に直結する研修、教育の機会を提供するとともに、個々の学童保育所運営者様へ、安全安心な子どもの居場所づくりとその運営手法において、学童保育組織運営について豊富な経験を持つ代表が、自治体や学童保育運営事業者に講演や具体的な助言、アドバイスを行うことが可能です。

 子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。どんなことでも「あい和学童クラブ運営法人」に、ご相談ください。子育て支援の拡充に伴い、今後ますます重要視されていく子どもの居場所づくり事業の充実のため、一緒に取り組んでいきましょう。

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