虐待禁止条例の改正案騒動に思う。「子どもだけで過ごさざるを得ない」状況を改善することは社会の責務です。

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。子どもの育ちを支える学童保育、保護者の安定した生活を支える学童保育、そして社会を支える学童保育を支援する「学童保育運営支援」の重要性と必要性を訴えています。学童保育事業の質的向上のためにぜひ、講演、セミナー等をご検討ください。

 大バッシングが巻き起こっている埼玉県の虐待禁止条例の改正案は、おそらく取り下げられるか、内容を大幅に修正することになるでしょう。(14時に追記。9月本会議の提案は見送りと報道がありました!)それは当然です。現状、子どもを留守番させざるを得ない状況にある県民に対し、何らかの救済措置や対応措置をしないまま、一方的に条例違反に追い込む条例は県民の基本的な権利を侵害するからです。その点は当然だと、私は思います。

 ただし、あえて言います。私がこの条例改正を問題視しているのは、必要な措置について具体的な対応を示さないまま、一方的に県民を条例違反とするからです。やむを得ないにしろ、意図的にしろ、保護者が「子どもだけで過ごす」時間と空間を作らざるを得ない状況というのは、子どもが犯罪や事故に巻き込まれる可能性を考えると、できる限り、無い方がいいに決まっています。
 なお、子どもだけで過ごさせない状況というのは、常に大人が子どもと一緒に過ごす、そばで見守っていることを意味しません。子どもだけで登下校する状況があっても、その子どもたちの様子を包括的に地域で、あるいは社会で見守っているということも、子どもだけで過ごす状況ではありません。地域の方がパトロールしている、警察が頻繁にパトロールしている、地域の方々が、子どもたちの登下校の時間は「今は子どもたちが外を歩いている時間だな、何か変な人が出没したらすぐに発見できるように、外の様子を気にしておこう」という意識を持つことでも、私は良いと思っています。

 現状は、そういう状況にありません。子どもたちだけで登下校している、公園で遊んでいても、子どもたちに無関心という状況です。その状況が改善すれば、子どもを放置していることや虐待状態にあるとは、言えないと私は考えています。前日のブログ記事で述べたように、学童保育所における子どもたちの活動が、まさにそういうスタイルですから。支援員が常につきっきりで子どもたちの様子を見ているのではありません。包括的に、総合的に、子どもたちの様子を確認する時間と空間があることも、珍しくないからです。
 それは支援員が子どもを放置しているのではありません。支援員は、子どもに危害が及ぶようなことが発生しないように、周囲に気を払い、事件や事故に結びつくような種々のリスクを排除する活動をしています。例えるなら「常に子どもを見守り、監視」するのではなく、「注意を払いながら、断続的に、子どもたちの活動の様子を確認している」ということです。子どもたちの時間と空間を気にせずに子どもたちを放置していることは、ありません。

 さて、今回の騒動で、どうしても私が納得できないことがあります。
・子どもだけの留守番や子どもたちだけでの登下校、公園での子どもだけの遊びについて、「そんなの、常に大人が見ている必要はない。だから条例はおかしい」という意見が、かなりあるように私は感じています。それは「絶対に違う」と私は指摘します。やはり、子どもたちが、子どもたちだけで過ごしている空間と時間について、大人から何ら関心や注意を払われていないという状況は、無くすべきです。

・子どたちがどう過ごすのかは、子どもたちが決めることだ。子どもたちの意見表明を受け止めずに一方的に条例を改正しようというのは間違いだ、という意見もSNS等で目にします。それも「絶対に違う」と私は指摘します。子どもが過ごす社会、社会環境をどうするかを考えるのは、大人の責任です。子どもの安全安心を確実に守る環境を作ることは絶対的な至上命題です。では、子どもが「大人の心配はいらない。僕たち、わたしたちだけで大丈夫」と言ったから子どもの安全安心な環境の整備に取り組まなくても良いことになるのですか?犯罪や事故は、第三者の介在によって生じることがあります。もっと言えば、子どもたちだけでの世界でも犯罪に等しい行為や事故は起きます。そのようなことを未然に防ぐための、大人の注意と関心は絶対に必要です。「子どもの意見を聞いていない、子どもの意見表明を得ていないから、条例の改正はおかしい」という意見は、さも、こども中心に物事を考えているという印象を世間に与えますが、私に言わせれば、それは「単に、子どもの意見を聞くという誰しも否定しにくいことを掲げて、自分の主張をもっともらしく見せるだけの、子どもを利用した大人の自己顕示欲」に過ぎません。こういう、子どもを利用して、さも正義を振りかざす人たちには、本当に私は嫌気を覚えます。

 今回の条例改正の問題では、条例改正案を作成した側に、次のことが欠けていたから問題だと私は思います。
・条例改正によって県民が受ける不利益、権利侵害の可能性について、法律の専門家と議論をしたのか。
・条例改正によって必要となる行政の責務について、行政側と具体的にどのような対応ができるか、行政側と意見を交わしたのか。
・実際に子育てをしている人たちの状況をしっかり把握し、意見を聞き、意見を交わしたのか。交わしていないなら、なぜそうしなかったのか。

 つまり、条例という、県民を法的規範力で拘束する重大な法令に関して、その改正案を作成する過程において、どれだけ各方面に配慮をしたのか、ということが、おざなりのように思えるので問題なのです。それは、政治家、議員としては、致命的な欠点だと私は思うのです。条例を改正することによって生じる具体的な問題について、どのように対応するのか具体的な方策をしっかり構築した上で、それを有権者たる県民に丁寧に説明するというプロセスが、欠けているから問題なのです。政治家、議員として、致命的な過ちを犯していることが問題です。
 それも、ただ単に「子育てをしていない自民党の男たちで決めた」と一方的に批判するのは、批判する側の知性を私は疑います。子育て経験の有無は絶対的な必要条件ではありません。子育てをした人、している人に、意見や見解をしっかりと聞いて、これから行おうとする政策立案に反映させれば良いのです。
 自民だから、自公だから、男だから、子育てのことが分かっていないから、という、低次元の批判をするような有権者たちだから、次元の低い議員が登場するのです。その点は、しっかりと指摘しておきます。子育てをしている、していない、男だから、と批判するのは、それはそれで不当な批判です。政策を立案する必要なプロセスを経ていないことを批判するべきです。それは政治家、議員として致命的なことですが、どうしてその点の批判は、大きな声にならないのでしょうか。不思議ですが、「その程度の有権者だから、あの程度の議員」と私は残念に思います。

 まずはいったん、条例改正案を取り下げて修正することが妥当でしょう(追記。取り下げとなりました)。もし通すのであれば、これまで私が指摘したように、具体的な子育て支援策の現実的な拡充を県民に約束するべきですね。放課後児童クラブ、児童館、ファミリーサポートなど子育て支援策を、予算の裏付けをもって拡充すること。地域による子どもの育ちの見守りに、さらに予算をつぎこむこと。警察の地域巡回を確実にするための警察予算の増加も必要です。

 学童保育業界も、「小学生の子どもの育ちは、私たちに任せてくれ。ただし、予算は確実に出してくれ」と訴えればいいのです。早くこのことに気付いていただきたいと私は願います。こどもまんなか社会で、学童保育が果たせる役割は、まさに今回の条例改正案騒動で示されているのですから。(なお、自民の県議団は、改めて学童保育の役割を学んだ方がよいですね。私に声をかけていただければみっちり講義しますよ)

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の持続的な発展と制度の向上を目指し、種々の提言を重ねています。学童保育の運営のあらゆる場面に関して、豊富な実例をもとに、その運営組織や地域に見合った方策について、その設定のお手伝いすることが可能です。

 育成支援の質の向上に直結する研修、教育の機会を提供するとともに、個々の学童保育所運営者様へ、安全安心な子どもの居場所づくりとその運営手法において、学童保育組織運営について豊富な経験を持つ代表が、自治体や学童保育運営事業者に講演や具体的な助言、アドバイスを行うことが可能です。もちろん、外部の人材として運営主体の信頼性アップにご協力することも可能です。

 子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。どんなことでも「あい和学童クラブ運営法人」に、ご相談ください。子育て支援の拡充に伴い、今後ますます重要視されていく子どもの居場所づくり事業の充実のため、一緒に取り組んでいきましょう。

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