放課後児童クラブの従事者が陥りがちな重大な失態。「子どものため」なら、世の中のどんなことでも許される?
放課後児童クラブ(いわゆる学童保育所)運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。放課後児童クラブで、子どもの支援、援助に従事する職員(放課後児童支援員と、補助員)は、圧倒的多数の人が「子どものため」必死に育成支援について学び、日々、実践していることでしょう。敬意以外のなにものでもありません。ありがとうございます。しかし、ごく一部の方ですが、「子どものため」を錦の御旗のごとく敬いすぎて、大事な本質を見失っている事例も、なきにしもあらず。気を付けてほしいところです。
(※基本的に運営支援ブログでは、学童保育所について「放課後児童クラブ」(略して児童クラブ、クラブ)と記載しています。放課後児童クラブはおおむね学童保育所と同じです。)
<子どもが、それを望むなら>
放課後児童クラブで働くようになると、様々な機会で教育、研修を受けることになるでしょう。仮に「うちの職場では、行政が指定している研修以外、特に研修の機会は無いです」という職場、事業者であるなら、それは困ったものですが。(国の基準省令には「第八条 放課後児童健全育成事業者の職員は、常に自己研鑽に励み、児童の健全な育成を図るために必要な知識及び技能の修得、維持及び向上に努めなければならない。2 放課後児童健全育成事業者は、職員に対し、その資質の向上のための研修の機会を確保しなければならない。」と、ありますからね)
さて、児童クラブで働く職員が熱心に育成支援に関して学ぶにつれ、子どもの権利をいかにして大人が保障していくのかについて深く考えるようになるでしょう。それは当然なことですが、ここで、私が以前からずっと危惧していることがあります。特に、「保護者と職員(指導員とも。なお、こういうフレーズを使うのが大好きな方々は、指導員という文言を多用する傾向があります)が手を取り合って、こどもにとって最善の児童クラブ、学童保育を実現しよう」という理念を最優先に掲げる(それ自体は、決して悪いことではないにしても)方や団体が行う研修や分科会などでは、「子どもにとって豊かな放課後の時間を作るのが、私たち指導員の務めです」「子どもの主体性を妨げないために、子どもの意思を最大限尊重しましょう。それが、子どもの育ちを支えることです」という趣旨の教え、伝えが講師などが説明している状況が見受けられます。
私はそのことは否定しませんが、なにせ、「子どもを何より最優先に考えたい!」と良い意味で素朴、純粋に考えている児童クラブ職員の方々には、その思いが強すぎる結果、次のような状況に及んでしまうことが、ありませんか。
「何かにストレスを感じて、職員に乱暴なふるまいをする子ども。職員を殴ったり噛んだり、者を投げつけたりして職員を傷つける。でも職員の側は、いまその子の心の葛藤を解消するために必要な行為だから自分は痛いけれども頑張って耐える。それで子どもが平穏に戻るならと考えている」
「児童クラブの中がとてつもなく騒々しく、秩序がまったく取れず、おもちゃや本が飛び交い、死ねだのうざいだのという言葉もあちこちから見境なく発せられ、テーブルの上をドタドタと足音を立てて走り回るこどももいる。職員の側は、いま子どもたちはそうして過ごすことで日々のストレスを発散しているのだからこうした状況を許すことが子どもに寄り添った育成支援の形でもある、と考えている」
私は、断じてそれは間違いだと論じます。児童クラブは子どもが好き勝手に過ごす場ではありません。社会性を育む場でもあります。自分の思うがままに他者に暴力をふるうことを許すことは健全育成の本旨から全く外れます。児童クラブの職員は、子どもの満足だけを実現させればよいというものでは決してありませんね。子どもの主体性、やりたい気持ちを大事にするという業務のは、相手、第三者、物品も含めて、自分以外のすべての人や物に備わっている権利や財産を侵害しなことも同時に実現することで、実施できるものです。
<子どもが児童クラブで満足して過ごすことが最優先>
また、これは実に多くの、保護者運営由来の児童クラブ、あるいはその他の運営形態であっても「子どもの育ちを何より大事に考えたい」という非営利法人系の児童クラブに見られることとして、「子どもが児童クラブで安全安心に過ごすこと、子どもが児童クラブで十分に居心地よく過ごすことが大事であって、それらのことを妨げるものはどんなことであっても受け入れない。許せない」という考えを持つ職員が増える、という状況があると私は感じています。
典型的なこととして、次のようなことがあります。
「この児童クラブは定員が40人だ。新入所希望の世帯を全員受け入れると50人になる。10人の待機児童が出てもそれは当然、やむを得ない。なぜなら定員は施設の入所人数を定めたルールであり、定員を超えるのはルール違反。児童クラブで過ごす子どもの生活環境を著しく悪化させるから、絶対にダメなのだ」
言いたいことは私もよく分かります。児童クラブは子どもの安全安心を確保することを大前提に、遊びと生活の場所として機能して健全育成という本旨を果たすためにあるからです。大規模状態の児童クラブでは、事故やトラブルの発生の危険性を確実に上昇させますし、遊びと生活の場所としてふさわしくない、ということははっきりしています。
それで世の中、すべて丸く収まれば何も問題ありませんし、そういう世の中に、一日も早くなってほしいと心から私は願います。しかし現実はどうかといえば、丸く収まらない。結局のところ、「定員を1人たりとも越えることは許されない」という絶対的な尺度だけでは、悲しいし残念ですがこの現実は、丸く収まらない。相対的な尺度をもってして、「受け入れる側、受け入れられない側がそれぞれ我慢をして歩み寄って、どこまで相手側の希望とするところまで近づけるか」という考え方と行動を取らないと、「完全には丸く収まらなくても、少しでも球体に近い形状で収めること」ができません。
「高校や大学の入試は基準点に1点たりとも届かなかったらダメ。提出物だって1分1秒遅れたら受理されない。絶対的な基準は世の中にあって当然」と主張していた児童クラブの職員の方に何人も出会いましたが、児童クラブの人数をどこまで受け入れるのかについては、「現状において」必ずしも絶対的な尺度、基準で判断される必要はやむを得ずいったん棚に上げて、「どこまでだったら、児童クラブ側の環境の悪化や職員の業務量増大の負担を許容できるか」という立場と、「どこまでだったらやむなく待機児童として児童クラブ側に余裕ができるまで入所を待ってもらうか」との立場を摺り寄せる努力は、しなければならないと考えるのです。
当然ながら、定員や条例、省令基準に定めている原理原則を遵守しつつ児童クラブを運営できる状況を早期に実現することを求める、つまり施設の増加や拡大を、国や市区町村に強く求めることは欠かせません。
また、やむなく定員を上回るとしても、その上回ることへの「根拠」を設置主体(つまり市区町村側。民設民営なら事業者側)が、明文規定として制定していることが必要です。単なる「かわいそうだから」とか「しょうがないんだよ」ではなく、「当地区の児童クラブの定員は45人とする。定員を超える入所状況が生じたときは設置主体は個々の状況を判断し、やむを得ず定員を超えて弾力的な受け入れを図ることができる。その期間はできる限り短期間とし、定員超過の状況の解消に努める」というような決まり、ルールを設定しておくことも、当然ながら必要です。
「子どもの、児童クラブの、権利や環境を悪化させることが許せない」という素朴すぎる思い、気持ちは、次のような感情にまで発展することが往々にしてあります。
「こんなひどい児童クラブを放置しているうちの自治体は許せない。ひどい。担当課はバカばっかりだ。子どものことなんてこれっぽっちも考えていない。事なかれ主義がひどすぎる」
これについても、私は感情として同情する点はあります。過去何年も児童クラブの入所児童数が増え続けているにも関わらず一向に有効な施策を打ち出さない自治体には「子育て世帯とその子どもから確実に嫌われるよ。そういう人たちは、今住んでいるこの街を後にして戻ってこないよ。いずれ消滅する自治体になるよ」と私も心の中で毒づきます。が、それと、社会人として現実の業務や行動、言動は別です。
子どもを受け入れる施設の中でも、その運営にかかる費用(経費や人件費など、一切合切)すべてを利用料や事業による民間からの収益でまかなっている「民間学童保育所」は全くの別ものとして、いわゆる公設民営の児童クラブや、民設民営であっても放課後児童健全育成事業の業務委託を受けていたり、放課後児童健全育成事業に対する補助を受けている事業者においては、「放課後児童健全育成事業という法律に定められた事業を、市区町村からゆだねられて代わりに行っている」という認識が、どうも児童クラブの「中の人」には、とても薄いように私には感じられます。公の事業を代わりに民が行うものとして、業務委託、指定管理があります。前者は対等の立場と言われますが現実には受託側は委託に関する取り決め、仕様書に定められた内容を遵守しての事業が当然です。指定管理者はまさに行政処分の一種ですから、決められた範囲内で事業者が独自に工夫をして事業の質を向上させることが期待されています。また、事業の補助という形で、民の事業であるけれどもその重要性にかんがみて公のお金が投下されることも、実質的に公の事業の肩代わりとなるでしょう。
これを踏まえると、児童クラブの場合は、独自に財源を確保してそれで100%運営しているのではない限り、補助金を出すことを決めている市区町村の意向、要望を全く無視しての運営はできないものと、私は考えます。むろん、仕様書等で定められた内容を逸脱することはできない、という趣旨であって、放課後児童健全育成事業の本旨をさらに向上させる民の事業者の努力が否定されるものではないということを含みます。
児童クラブを設置する市区町村の意向が、あまりにも放課後児童健全育成事業の本旨とそぐわない場合は、受託者なり指定管理者は、「私たちの団体は、そのような市区町村の意向は容認できない。よって、事業を受けることはできません」と、辞退すればいいだけの話です。自分たちで独自の児童クラブを設立し、補助金に頼らず、利用者からの利用料や金融機関からの融資を受けて事業を展開すればいいだけのことです。業務委託を受けるとか、指定管理者として事業を引き受けることを決めた場合には、その市区町村の意向を踏まえた運営をまったく無視してはならないと考えます。それは事業の経営、運営責任を負う立場の者だけではなく、その事業で働いて報酬を受ける者すべてに当然あてはまると私は考えます。そもそも、市区町村から「あなたたちにお願いします」と言われなければ、児童クラブという事業を実施する機会が得られませんよ。機会を与えられた、あるいは競争で勝ち取ったなら、期間を全うするまで、全力で事業に取り組む。厳しい環境であれば「どう工夫すれば、少しでもその厳しさを軽減できるか」を考えて取り組む。その結果として「これはやはり資金が足りない」「人が足りない」となれば、合理的な理由を持って、市区町村に交渉を求めるというのが、健全な事業、つまりビジネスの姿でしょう。「市区町村がバカだ。私たちは受け入れない」では、「では、おやめください。代わりの事業者をこちらで探しますから」と言われておしまいです。児童クラブを営む機会を失ってオシマイ。それだけのつまらない話です。
確かに、「何を考えているんだこのお役所は!」と憤ることは(多々)あるでしょう。感情でどう思おうとそれは個人の自由です。その感情を業務に反映させてはなりませんよ、ということです。納得できないことがあれば通常のビジネスルールに従って、会議や協議の場でもって、課題事項として改善や進化を求めて相手方と協議を重ねて実現する方向に持っていければ良いのです。この点、どうも世の中の児童クラブの職員さんたちには、「協議で相手を納得させられなければ負け」という感情がややもするとあるようですが、この世の中の、会社であろうが自治体であろうが、予算がついて行われている、つまり計画的に行われていることをたった1回や数回の会議で変更できる、ひっくり返すことができると素朴に信じている人がいまだにいることが不思議です。世の中の仕組みを知らなさすぎる点は、困ったものです。
長々と書きましたが、「折り合いをつけることが現実世界に大事」であることと、「主張していることがすぐに実現するわけではない。自分たちが望むことを完全にやりたいなら、自分たちの独自の事業を興してそこでやりなさい」ということを、言いたいのですね、つまりは。
敗北主義はダメです。「どうせ、何を言っても聞き入れてもらえない」「何年言っても受け入れてくれない」とあきらめるのは敗北主義です。守りたいのは、子どものよりよい時間と空間、そして健全育成ですよね。その守りたいためにあきらめずに求め続けるのです。お役所に、社会に、ずっと働きかけ続けるのです。そもそも児童クラブの長い歴史は、先人たちの、そうした不屈の闘志による運動の結果、今に至っているのですよ。先人に敬意を払い、次世代の児童クラブが現代よりもっと充実するために、今を生きる児童クラブの人たちは、丁寧に、辛抱強く、改善を求めていくことがとても大事です。立春は過ぎて暦の上では春ですが、全国的に最強クラスの寒波に覆われている日本列島。でも、「冬来たりなば春遠からじ」といいます。今が冬でも、春が来るのです。いや、春を呼びよせられるのは、今の児童クラブを何とかしたいと考えて挑んでいる真摯な人たちです。頑張りましょう。
<おわりに:PR>
弊会は、次の点を大事に日々の活動に取り組んでいます。
(1)放課後児童クラブで働く職員、従事者の雇用労働条件の改善。「学童で働いた、安心して家庭をもうけて子どもも育てられる」を実現することです。
(2)子どもが児童クラブでその最善の利益を保障されて過ごすこと。そのためにこそ、質の高い人材が児童クラブで働くことが必要で、それには雇用労働条件が改善されることが不可欠です。
(3)保護者が安心して子育てと仕事や介護、育児、看護などができるために便利な放課後児童クラブを増やすこと。保護者が時々、リラックスして休息するために子どもを児童クラブに行かせてもいいのです。保護者の健康で安定した生活を支える児童クラブが増えてほしいと願います。
(4)地域社会の発展に尽くす放課後児童クラブを実現すること。市区町村にとって、人口の安定や地域社会の維持のために必要な子育て支援。その中核的な存在として児童クラブを活用することを提言しています。
(5)豊かな社会、国力の安定のために必要な児童クラブが増えることを目指します。人々が安心して過ごせる社会インフラとしての放課後児童クラブが充実すれば、社会が安定します。経済や文化的な活動も安心して子育て世帯が取り組めます。それは社会の安定となり、ひいては国家の安定、国力の増進にもつながるでしょう。
放課後児童クラブ(学童保育所)の運営支援は、こどもまんなか社会に欠かせない児童クラブを応援しています。
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弊会代表萩原ですが、2024年に行われた第56回社会保険労務士試験に合格しました。これから所定の研修を経て2025年秋に社会保険労務士として登録を目指します。登録の暁には、「日本で最も放課後児童クラブに詳しい社会保険労務士」として活動できるよう精進して参ります。皆様にはぜひお気軽にご依頼、ご用命ください。また、今時点でも、児童クラブにおける制度の説明や児童クラブにおける労務管理についての講演、セミナー、アドバイスが可能です。ぜひご検討ください。
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放課後児童クラブについて、萩原なりの意見をまとめた本が、2024年7月20日に寿郎社(札幌市)さんから出版されました。本のタイトルは、「知られざる〈学童保育〉の世界 問題だらけの社会インフラ」です。(わたしの目を通してみてきた)児童クラブの現実をありのままに伝え、苦労する職員、保護者、そして子どものことを伝えたく、私は本を書きました。学童に入って困らないためにどうすればいい? 小1の壁を回避する方法は?どうしたら低賃金から抜け出せる?難しい問題に私なりに答えを示している本です。それも、児童クラブがもっともっとよりよくなるために活動する「運営支援」の一つの手段です。どうかぜひ、1人でも多くの人に、本を手に取っていただきたいと願っております。注文はぜひ、萩原まで直接お寄せください。書店購入より1冊100円、お得に購入できます!大口注文、大歓迎です。どうかご検討ください。
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「リアルを越えたフィクション。これが児童クラブの、ありのままの真の実態なのか?」 そんなおどろおどろしいキャッチコピーが似合う、放課後児童クラブを舞台にした小説を完成させました。「がくどう、序」というタイトルで、2025年3月10日に、POD出版(アマゾンで注文すると、印刷された書籍が配送される仕組み)での発売となります。現在、静岡県湖西市の出版社に依頼して作業を進めております。
埼玉県内の、とある町の学童保育所に就職した新人支援員が次々に出会う出来事、難問と、児童クラブに関わる人たちの人間模様を、なかなか世間に知られていない放課後児童クラブの運営の実態や制度を背景に描く小説です。新人職員の成長ストーリーであり、人間ドラマであり、児童クラブの制度の問題点を訴える社会性も備えた、ボリュームたっぷりの小説です。残念ながら、子ども達の生き生きと遊ぶ姿や様子を丹念に描いた作品ではありません。大人も放課後児童クラブで育っていくことをテーマにしていて、さらに児童クラブの運営の実態を描くテーマでの小説は、なかなかないのではないのでしょうか。児童クラブの運営に密接にかかわった、元新聞記者である筆者だからこそ描ける「学童小説」です。ドラマや映画、漫画の原作にも十分、活用できる内容だと確信しています。ご期待ください。
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「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。リスクマネジメント、クライシスコントロールの重要性をお伝え出来ます。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、議員の方々、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。セミナー、勉強会の講師にぜひお声がけください。個別の事業者運営の支援、フォローも可能です、ぜひご相談ください。
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