学童保育と保護者会の関係。地域の実情に合わせるべきですが、「存在して当然」という固定観念は、やめよう

 学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」代表の萩原和也です。子どもの育ちを支える学童保育、保護者の安定した生活を支える学童保育、そして社会を支える学童保育を支援する「学童保育運営支援」の重要性と必要性を訴えています。学童保育の問題や課題の解決に向け、ぜひ皆様もお気軽に、学童保育に関するお困りごと、その他どんなことでも、ご相談やご依頼をお寄せください。講演、セミナー等をご検討ください。

 学童保育、それも伝統的な、保護者が運営に加わる、あるいは行事やイベントに保護者が参加する形式の学童保育にセットで存在するといってもいいのが「保護者会」(父母会)です。これから学童保育を利用する学童ビギナーのパパとママには、もしかすると、得体のしれない恐怖心すら、向けられている対象かもしれませんね。係や役員の負担が多い、平日夜や土日が会議でつぶれる、担当の任務が何をどうやったらいいのか、ろくに引継ぎがなさそう、という、種々の不安や恐れが、保護者会を想像すると同時に連想されてしまうかもしれません。

 その保護者会には、いつでもどこでも、「保護者会なんて不要だ」という意見と「保護者会こそ学童の質を高める必須の存在だ」という両極端の価値観が対立しあっています。私はその両極端の意見の双方とも、言いたいことはよく分かっているつもりです。それぞれ、考えている方向性によって、保護者会の要不要は判断が分かれてしまうものだからです。

 大変難しい問題ですが、あえて、おおざっぱに私なりの考えを示すなら、次のようになります。
・保護者「会」は、絶対に必須とは思わない。
・保護者同士の連携や交流が図れる機会を学童保育の事業者(運営主体)は定期的に用意するべきだが、それは保護者「会」で必ずある必要はない。

 まず、おそらくですが、保護者会の多くは、その会の目的が「会の存続」に陥っているのではないかと私は思っています。会長や副会長や会計や、種々の役員を決めるとき、すんなりと後任が決まらないで苦労をする経験をした学童保護者は多いと思いますが、まさにその状況こそ、保護者会が、何のために存在しているかを見失っている状況です。保護者会を構成する学童保護者が、「この保護者会という組織は、必要だ。とても役に立っている」という共通認識を持てていないからこそ、誰がどの役員をやるかが、すんなり決まらない。決められない。必要性があると構成員が認めているなら、会の体制など、すぐに決まるものです。
 むしろ、保護者会の目的は、「来年の会長や役員を決めるために1年間活動する」ということに、陥っていませんか?
 そんな保護者会なら、やらないほうがましです。解散してください。そして本当に、保護者が連携して組織化をすることが必要だと思ったら、自ずと、保護者たちの中から、「組織化しようよ、まとまっていこうよ」という要望が上がってくるはずです。そのような声が出ないのであれば、「会」を作る必要などありません。
 なお、会長など役員体制を決めて会費を集めて組織された会は、それが任意団体であっても、会としては法人と等しい扱いを受けることになります。仮に、イベントの企画と実行を保護者会が行うことになったものの、保護者会メンバーにしっかりと「イベントを無事に、安全に成功させよう」という意識に乏しく、いい加減なイベント運営をした結果、子どもや誰かにケガや損害を与えた場合、当事者として訴えられたり、賠償を命じられたりすることになります。「ただの、親睦団体」では済まないことは認識するべきです。

 私は学童保育の大きな役割として、子育て中の保護者同士が交流し、互いに子育て生活を支え合い励まし合える仲間を作る場があると考えています。今の時代に多い、孤立した「孤育て」の状況を解消するには、いわば「偶然に」かつ「強制的に」子育て中の保護者が一つ場所に集うことができる学童保育所の存在は、大いに利用価値があると考えています。むろん、保護者は子育ての当事者の1人ですから、学童保育所で、自分の子どもを含む多くの子どもたちがどのように過ごし、成長し、あるいは困り、悩んでいるかを、すべて知る権利があります。その知ることを保障する機会は、学童保育の事業者が必ず設定するべきです。そこに参加する保護者は、保護者会としての参加でなくても個々の保護者が参加することでも目的は果たせます。よって、保護者会でなければ、学童職員から学童保育所における生活や成長の様子を知ることができないとは私は考えていません。
 四半期ごとでも、2カ月に1回でも、毎月であっても、定期的に、保護者が一堂に(または学年別に区分されているとしても)集まることができる機会があれば、保護者同士の交流のきっかけは十分に作れます。保護者会がなければ、保護者同士の関係が作れないわけはありません。学童保育に関する重要な手引きである「放課後児童クラブ運営指針」にも、保護者連携組織と学童保育の運営主体との関りが重要との記載があります。それは、いかにして、学童保育の運営側が、保護者たちに、学童における子どもたちの育ちについて、関心を持ってもらうか、まさにそのことを示していると私は考えます。

 保護者たちが時々集まる機会がある。その中で、「親たちで、何か、子どもたちにしてあげられることはあるのか。職員たちを支えることが何かできるか」という機運が盛り上がり、それを継続的に実行することとなったとき、単発的に保護者が集まって段取りを立てて実行して、ということの繰り返しより、常設の組織がイベントや何かを実行し、得られた知見、経験を次年度にしっかりと記録として伝えていくことが効率的かつ合理的である、と保護者たちが気付いて組織化を求めたときに、保護者会の有効性を保護者たちが理解することになるでしょう。

 その意味では、いったん保護者会などは解散して、それでやってみてはどうですか。本当に必要なら、いずれ復活しますし、必要が無く、保護者会が無くてもいろいろなことができるのであれば(いろいろなことをしないかも、しれませんが)、会は必要がなかった、ということです。また、参加の任意性についても十分に配慮するべきです。保護者会に入りたい人、入りたくない人、それぞれの理由においてそれぞれの立場の保護者がいるはずです。参加しない選択をした人に不利になるようなことはしてはなりません。
 また、その意味において、参加の任意性を保障することが極めて重要です。任意性に関しては、保護者会に参加しなかった人にも、分け隔てなく、保護者会が同じようなサービスを提供することにおいて、保護者会参加メンバー全員に対して確実な理解ができるようにすることが重要です。保護者会の参加メンバーにはイベントでお菓子が出る、非参加メンバーの子どもにはお菓子がない、というようなことはあってはなりません。この場合、保護者会に参加する人は、参加しない人に対して、「自分は、保護者会に参加しているから、参加していない人よりも、偉いんだ」という考えは持ってはならないのです。「自分は、保護者会に参加していない人のためにも、保護者会で人一倍、汗を流すんだ。自分の頑張りで他の人を安心、満足させるのだ」という徹底的な「ノブレス・オブリージュ」の感覚を持たねばならないのです。

 なぜ、伝統的な学童保育に保護者会がつきものであるかということを取り上げると、ただでさえ長いブログがもっと長くなるので割愛しますが、要は、「学童保育は法律があって誕生したのではない。保護者たちが必要に迫られて自ら設置、運営して誕生した。だから、保護者同士の組織=保護者会(伝統的呼称では父母会)は、必ず存在していた。保護者会が学童保育所を設置運営してのだから」ということです。時代が変わり、今もまだ保護者会運営の放課後児童クラブはまだまだありますが、そうではない運営形態のクラブも増えました。半ば惰性で残っている保護者会なら、その存在が本当にまだ合理的な目的を有しているかどうか、しっかり確認したほうが、よいでしょう。

 なぜなら、「保護者会が保護者に課す労力や時間の強制的な提供に由来する負担(感)は、保護者が運営に参画する学童保育所に対する忌避反応を呼び起こしており、それが、株式会社による、営利の広域展開事業者の指定管理者としての学童保育運営の呼び水となっている」可能性があると、私は感じているからです。つまり、「保護者会なんてわけのわからないものがある事業者の学童保育より、保護者の会議参加がない株式会社の学童の方が、よっぽどまし」という多くの子育て中の保護者の声を育ててしまっているからです。そのような声、保護者の声は市民、有権者の声ですから、そのような「保護者の負担が多い学童は嫌」という声をなくそうと行政執行部が考えた場合、その行きつく先は、保護者会を設けない運営事業者に指定管理制度のもとで、学童運営を任せることになります。それが放課後児童クラブになるか、全児童対策事業になるかは行政側が決めること。保護者が参加する学童こそ大事!と叫んでいる考え方の学童保育所を支える勢力の活動が、当の子育て中の保護者から嫌われてしまい株式会社の指定管理者学童を増やすという皮肉な結果を招いているのですよ。

 しかし私は、それが保護者会かどうかはともかく、保護者同士が集まって行動する必要があるだろうという状況が存在すると考えています。それは、学童保育所を利用する保護者たちが、学童保育の運営に参画できる保障がない場合です。具体的には、公営学童や、それこそ株式会社が運営する営利の広域展開事業者による指定管理者学童保育の場合です。子どもの学童保育所における過ごし方や、保護者にとっての利便性向上など、事業者に対していろいろと要望、要求したいときに、利用者として個々の立場で意見を出す、提案することは当然できるでしょうが、同じような意見を持つ保護者たちが集まって要望、要求する方が、事業者に向けてより強い立場で臨むことができます。
 すなわち「運動」です。保護者が運営に参画できるルートがない場合は、保護者同士がまとまって「運動体」を構成して活動することは、大いに意義があると私は考えています。いわゆる連絡協議会はその典型ですし、保護者が任意に参加して成立した保護者会と、その保護者会の合同団体も、運動の形態として活躍できるでしょう。

 一方で、保護者が運営に参画できるルートが保障されている場合、例えば、事業者の役員に立候補すれば確実に就任できる場合や、定期的に事業者が利用者の意見や声を聴いて、要望や要求について討議検討できる公式の場(評議会等)が存在している場合は、特にその事業者が、行政からの一定の信頼を受けて随意契約や非公募による指定管理者となっている場合は、目立った活動をする運動団体は、私はかえって行政側の負担になる可能性があるので、存在しない方がよいと考えています。存在するとしても保護者同士の親睦団体程度であって、事業者とは単なる外部の第三者程度の関係性に留めておくべきです。要は、行政側の感覚として、一部の市民団体の要望で事業内容が決められる、あるいは変更されるという指摘を受けることは絶対にあってはならないからです。公平を旨とする行政としては特定の市民団体の意見で行政の方針が変えられた、ということは絶対に起こしてはならない不祥事になります。学童保育について生じている不都合については、運営事業者が事業の範囲内で行政と協議相談して解決するべきであり、利用者たる保護者の意見は、運営事業者が常に把握して運営の改善に活かせばいいだけです。
 ただし、いざというときに、力となるのは利用者である保護者の「数の力」です。よって、平時は親睦団体的な存在で緩く存在している保護者同士の集まりであっても、実のところ、水面下では、「緊急時には、保護者同士が密接に連携して活動する」という意識を、集まりの主要メンバーだけでも共有しておくべきです。まあ、ウサギの皮をかぶったナントカ、という状況でしょうか。ずるいようですが、事業の経営は、何があるか分かりません。ましてアウトソーシング事業は、いつ、一方の行政側の意見の変化で、無残にも使い捨てされてしまってもやむを得ない関係性です。むざむざと悲惨な状況に陥らないように、手立てを講じておくことは、事業者の事業経営において必要な備えです。

 大事なことは、「何のために、存在するのか。学童保育を充実させるために、必要なものは何か」を常に考えることです。それが保護者会であるなら、保護者たちはみな、同意するでしょう。保護者会が必要だから保護者会を作る、ではないのですよ。学童のため、子どものために必要であるのなら、保護者会を作る、なのです。

 「あい和学童クラブ運営法人」は、学童保育の事業運営をサポートします。子育て支援と学童保育の運営者の方、そして行政の子育て支援と学童保育担当者の方、ぜひとも子どもたちの安全と安心を守る場所づくりのために、一緒に考えていきましょう。

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