ひとり語りその3:2回目の、この日。
(代表萩原のブログ・身辺雑記。なお、本文と猫の写真は関係ありません)学童保育運営者をサポートする「あい和学童クラブ運営法人」萩原和也です。個人的な思いをつづります。なぜなら8月最後の月曜日は、私にとって絶対に忘れてはならない日なのです。昨年も、同じように思いをつづったブログを投稿しています。
昨年のブログにも書きましたが、8月最後の月曜日は、「私が、自分の人生について深く思い悩み、考えることになった日」です。ちょっと踏み込んで書けば、学童保育に関わるようになってからというもの、私は、うそ偽りでなく自分の利益を度外視して、自らが関わる学童の世界の方々の最善の利益だけを念頭に、猛烈に働いてきました。(良い事ではないですが)自分の資産もつぎ込んで学童のために全身全霊を捧げました。学童を運営する組織と雇われて働く人たち、学童を利用する子ども、保護者、市民がよりよいサービスを受けられることが幸福になると信じ、そのために学童保育を向上させねばならないという強い決意で、ずっと向き合って過ごしていました。家族との時間も後回しにした。本当に家族に迷惑を掛けました。
その思いは結局のところ、単なる自己満足で終わっていたのですね。ごくわずかな人(それはこの法人に賛同して役員になってくれた人と、そしてやっぱり家族)以外には、まったく理解されていなかった。それを思い知ったということです。ぶっちゃけ、私の思いなんて「そういう地位にいる者ならやって当然でしょう。当たり前でしょう。でも、その思いで他の人たちの負担が増えるなんてまっぴらごめん」としか思われていなかったということです。そこには法令遵守も正常な統治も関係ない。「嫌なものは嫌」がまかり通ってしまう。ルールではなく感情で物事を決めてしまうことが目立つこの業界で少しでもその悪しき風習を打破したかったのですが、その壁は分厚かった。
これからもこの8月最後の月曜日が来ると、同じように胸が苦しくなるでしょう。しかしそれは、敗北感ではありません。なぜなら私は間違っていなかったから。そしてより広い世界に向かって、放課後児童クラブ、学童保育の世界に巣くう悪しき考えや慣習を、私は「それは違うでしょう!」と、臆することなく社会に発する機会に昇華できたのですから。
1年前に、こう書きました。
「しかしその思いを貫くために、どうしても乗り越えなければならないことがありました。それを実感したのが1年前だったということです。社会正義のために、学童保育の運営に関わっている者として、決して曲げることができないことに直面したときに、やはり私は、「大義を捨てて小利(小さな利益)にこだわる」ことはできなかった。それが例え、その先に考えられないような困難があるとしても、です。」
今も全く同じようなことを感じています。振り返ってみても昨年とほとんど変わらないのが大変苦しいところですが、あ、でも本は出しましたね。もっともっと世間の方に手に取って読んでいただければと思いますが、それは私の才能の無さでしょうか。でも私は決してあきらめない。学童の世界がより良くなるために最後の瞬間まで前を向き続けたい。そして過ちを認めた方がもしもいるなら私は笑顔で仲間に迎えたい。
最後にこれもまた1年前のブログの文章をそのまま紹介して終わりにしましょう。
「私は、学童保育に関わる人たちがもっと評価されるようになるために新聞記者という仕事を捨てて学童保育の世界に入りました。雇用労働条件の改善がその最大の目標ですが、そのためには、学童保育の世界が正当に評価されなければならない。正当に評価されるためには、学童保育の世界が自ら正義を追い求め、正義に従うことが大前提です。そのために私は、どんなに困難なことが待ち受けていると予想できたとしても、その道を進むことを選んだのです。実際、今は大変厳しい状況です。安定した収入はまったくありません。それでも、SNSで学童保育の目指す理想形を発信しながら、その発信内容を具現化するために必要なことに取り組んでいます。大変つらく厳しい毎日ですが、「ぼろは着てても心は錦」の意気込みで、くじけそうな日々であっても、「千万人と雖も我往かん」の精神で過ごしています」
私は、これからも、学童保育が社会から正当に評価されるために何をするべきかを考え続ける「学童バカ」でありたい。
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